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「万かつサンド@肉の万世」の謎を解く!

2001年01月28日 21時37分更新

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人呼んで“ミスター・万世(歩く社歴男)”大登場!

誠実な人柄の鉄人シェフ・柴田調理課長。でも、コーヒーにはお砂糖をたっぷり入れないと気が済まない甘党だったりする

 我々Akiba2GO!の取材に対して、肉の万世サイドが選び抜いた人材は、純白のシェフ帽子がキリリと似合う柴田調理課長。彼は調理のすべてを統括するエキスパートであるだけでなく、驚くべきタレントの持ち主なのであった。その才覚とは……
「人生のタイミングが社歴と同じ」
なのであった。せっかくなので、彼の口から万世の歴史を語っていただこう。

「肉の万世が創業したのは、昭和24年(1949年)9月9日のこと。私が生まれたのもじつは同年同月だったりします。最初は店名も職種も違って、鹿野(しかの)無線という電気店でしたが、ホラ、ウチのある場所って電気街の中心地からは少し離れてるでしょ。売り上げがよくなかったらしくてね。創業者の鹿野明が色々考え「これからはきっと食べ物がイケる時代がくる。今こそ転職すべきだ!」という天啓をもとに、万世はまずコロッケやメンチカツを売るお惣菜店としてスタートしたんだ。ちなみに建物はバラックの平屋だったそうだよ」

――もと電気店だったんスか! それが、いつから肉屋&レストランになったんしょう?

「レストランになったのはしばらく後のことだね。まずは精肉販売のほうを先に手がけたそうです。ウチはね、ビーフステーキにいちはやく目をつけた店なんですよ。当時牛肉は今以上に高級な素材で、まだまだ一般家庭の食卓にはなじみがなかった。そこをうまくプロデュースしたものだから、牛肉の旨さがだんだん知れ渡って売り上げもグーンと伸びてきた。そこで創業者の鹿野明が色々考え「肉を主体としたレストランは絶対にイケる。今こそ業務拡大すべきだ!」という天啓をもとに、昭和38年(1963年)建てたのが初代「にくびる」なワケです。ちなみにこの年、私は中学校に上がりました」

――にくびる? ソレなんですか???



「ああ、肉ビル。我々は自社の建物のことをいつも「肉ビル(矢部注:すげえ……すげえネーミングだ!)」って呼んでるんですわ。えーと、なんだっけ? あ、そうそう初代肉ビルの話か。4階建てでね、1階で精肉を販売し、上階がレストランというフロア構成でした。その後、隣の敷地を借りることができて増築したり、改装をしてたんだけど、ついに平成3年の8月。いまご覧になっている10階建ての肉ビルになったというわけです」

――いまの建物は肉ビルMkIIというわけですか。……「酒池肉林」という言葉がありますが、本当に「おにくのはやし(meat jangle)」だとは思いませんでした(あ然)。脱帽です。ところで「万かつサンド」が開発されたのはいつごろ?

「いまでは当時のことを知る人間が少なくてね、いつだっけなァ? ……たしか営業部で調べたんじゃなかったっけ」

営業部主任:荒井さん
「はい。『推定では昭和30年(1955年)ごろ』でございます」

――ええっ!?(汗) 推定ってあの、よければもう少しくわしく……

営業部主任:荒井さん
「とにかくウチのほうにも資料がほとんど残ってないうえ、昨年創業者が亡くなってしまったものでしてね。ただ、官庁で調べてみたところ「万かつサンド」は昭和31年に商標登録されているんです。そこから推測するに、この時点でもう人気メニューになっていたハズ。となると、問題はいつごろ商品化したかですが、社歴のチョ~古い人曰く『昭和29年より前じゃなかった。これは間違いない』とのこと。ですから、昭和29年から昭和31年までの2年間に登場したというのが正確なところなんです。でも、それじゃあんまりないい方なんで、オフィシャルな見解として昭和30年ごろと申し上げているのです」

――初期の「万かつサンド」と今では、味や仕様が違うんですか?

「基本的に45年前から変わってないよ。年配のお客様に「ウン十年ぶりに食べたけど、味が同じですごく嬉しかった」っていわれるくらいにね。もちろん、肉やパン、ソースといった素材は当時とまったく同じではないけれど、現代のお客様に合わせて味付けをかえるってことはしない。……まあ、マイナーチェンジとしてソースの酸味をやや強く出すようにしたくらいだね。冷えた状態で食べるなら、そのほうが美味しいという理由で。秋葉原の街並みは変化したけど、ウチの味は変わらないよ」



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