既存メディアの存在をおびやかす変化とは?
藤代 これまでの発信する側は「舞台裏に回れるパスを持った人たち」でした。しかし今回は、野次馬も含めて関わった人全員が舞台裏に回り、送り手側になった。もちろんこれは、秋葉原という特殊事情もあります。
しかし、今回起こった現象は、これから要所要所で起こりうることです。そのとき現場になるのは、後期高齢者医療制度や、裁判員制度の問題かもしれません。さまざまな問題の当事者が自ら語り、かつ自分が被写体になる、望むと望まざるとにかかわらず誰しも舞台裏に立たされて「メディア化してしまう」という問いを突きつけられかねない。それが露わになった、というのがこれまでと違う部分です。
mixiで淡々と「後ろの人が倒れていた」と書いていた人たちもいますが、彼らは「ジャーナリストとしてこの事件を世界に伝えなくては」と思ってやっていたわけじゃないでしょう。目の前で起こったことを、衝動に突き動かされてひたすら書いていた。マスメディアに所属しているか、ジャーナリストとして自覚があるか無自覚かとは無関係に、メディアの渦の中に巻き込まれていく。これは大きなインパクトです。