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ネットの野次馬 VS マスコミ ── 事件報道激変のゆくえ

秋葉原・無差別殺傷事件、報道の裏側で

2008年08月04日 12時00分更新

文● 秋山文野、写真●曽根田 元、取材協力●NTTレゾナント

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秋葉原事件

6月8日の正午過ぎに、秋葉原の歩行者天国で起きた無差別殺傷事件。ここでは、この事件が浮き彫りにしたマスメディアとネットの関係性に関して論じる

 社会に衝撃をもたらした無差別殺傷事件は、「ネットの力」を見せつけた事件でもあった。瞬時にネット上を駆け巡った情報と議論、それを後追いせざるを得ないマスメディア。事件報道は今後どのように変革するのか。有名ブロガー2人が語る。

※この記事は、月刊アスキー2008年9月号に掲載された記事をウェブ用に再編集したものです


秋葉原事件とは

記事扉

本誌掲載面から


 6月8日午後0時35分ごろ、加藤智大容疑者(26歳)が歩行者天国で賑わう東京・秋葉原の交差点に2トントラックで突っ込み、通行人をはねたうえ、トラックから降りた後にナイフで通行人を次々と刺し、7人が死亡した。犯行予告が携帯用掲示板で行われるなど、ネットが“現場”のひとつとなったのも特徴。




“野次馬”と“報道”の差など存在しなかった


荻上 歩行者天国の秋葉原は、日本最大級のメディア都市です。そこに集まる歩行者の多くが「メディアを身体化」しています。

荻上チキ氏

荻上チキ氏

 事件が起きた直後の秋葉原では、単に現場を撮るだけではなく、ワンセグやラジオで事件がどう報道されているかをチェックしたりして、起こったことを確認したり、言説化しようとしていたわけです。

 そこへマスコミがやってきてメディアスクラムを組む。そのスクラムの模様をさらにブロガーがまた撮る。「報道対野次馬」なんて明確な差異はそこに存在しなかった。“見る者”と“見られる者”がすごく錯綜していた空間だったと思います。

 ネットでもマスメディアでも野次馬たたきが見られました。もちろん、本質的な差異なんてそこにはありません。容疑者を取り押さえた瞬間の画像が報道されましたが、携帯で撮影したその画像を持つ人に群がる報道関係者を大量に目撃しましたし、ブログより質の低い報道なんてゴロゴロあった。レポートしていたブロガーをたたくコメントだって、関心があるからそのサイトに「野次馬」として来たわけです。

 誰が野次馬かとか、あるべき報道の姿といった議論は意味がありません。

 むしろ、野次馬と報道の区別がなくなる過程で“事故”が起きないように対策することが重要です。反社会的なものが流れてしまうとか、過剰な非難が集中して“炎上”する危険が高まりますから。



“事件報道”としてはマスコミの完敗


藤代 おっしゃるように「報道」と「野次馬」の境界は融解したと思います。

藤代裕之氏

藤代裕之氏

 マスメディア側から見た“事件報道”としてもネットに完敗でした。一報はネットで流れ、写真は提供してもらった、事件の経緯を「逃走経路の地図」や「目撃者の証言」で再現するといった手法も、当事者が直接ネットで再現してしまっている。

 マスメディアはネットを追いかけただけだった。

 もはや打つ手がないように見えますが、本来は事件について語られている言説をメタ化して、そこに社会的な意味を見出す、という大切な役割があります。

 これまでの事件とはどう違うのか、社会背景は何か、事件を総合的、俯瞰的に見て記事を書く。専門家にお願いしてレビューしてもいい。

 ジャーナリストとして重要なことは、事件について語られている「周辺言説」から何を読み解くかなのに、マスメディアがやっていることは加藤容疑者の供述を警察から引っ張ってきて、それをセンセーショナルに伝えるだけ。新聞社の社会部にはもはや「社会」を切り取る力はありません。

 さまざまな人たちがネット上で発信して、いろんな意見を言ってる。派遣労働の闇や、希望を持てない若者の姿もそこにある。「それこそがニュース」にもかかわらず、マスメディアはネットに自分たちの存在意義がおびやかされる、という意識があるあまり、この事象を正面から受け止められず、ゆがめて伝えてしまうというのが現状です。既存メディアは限界に来てるんですよ。


荻上 何か事件が起きたとき、メディアはそれを言説化していく役割を持っています。言説化は、社会的な対策を検討するためにも、内面的なガス抜きにも機能します。

 そこで忘れてはいけないのは、「“事件”は常に、“メディア”によって構成される」という基本的なこと。もちろん、「犯人の心理こそが事件の真理だ」と安直に発想して、毒にしかならないコメントを挟むような、ここ数十年の間にワイドショーが作りあげてきた報道スタイルは最低です。でも、ある意味ではそれも「期待に応えて」やっていることですよね。今回の事件報道から「報道のあり方」について考えるためには、そういう現状も踏まえたうえで議論することが必須です。

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