アキバ・キーマンインタビュー 第11回
【アキバ・キーマンインタビューNo.11】
隠れ名物「りんごのコロッケ」の店“肉の鈴鹿”で、女将・房子さんのあたたかさに触れる!
2007年05月03日 22時00分更新
ローマ帝国と日本の神田の意外な共通点
――ところで、もともとお店はいつぐらいからあるんですか?
【房子さん】 明治の終わり頃、明治45年に創業しました。当時は牛肉屋だけだったけど。それで、関東大震災で焼かれましてね。伊勢丹の隣りにあったんだけど、伊勢丹があったのはご存じ?
――秋葉原に伊勢丹ですか?
【房子さん】 ええ。震災で焼かれる前は、新宿の追分に移ってしまった伊勢丹が今のヤマギワリビナの辺りにあったのよ。その後も牛肉屋をやっていたんだけど、また戦争で焼かれちゃって、もう全部なくなっちゃってね。それで戦後、2代目が戦争から帰ってきてここでがんばってくれたのよ。戦後は豚肉が主。それでこの辺はほら、店を構えても住んでいる人がいないから、ほとんど学校などに納めていたのよ。すると、肉の切れ端がいっぱい出るでしょ。それを集めてコロッケやメンチを作って売ったのが、惣菜を扱った始まり。それで主人が3代目です。
――いろんな困難を乗り越えてきたお店なんですね。
【房子さん】 買い物に来る方はあまり気づかれないかも知れませんが、この周辺には何代目っていう昔からのお店がたくさんあるのよ。神田明神の隣に三河屋さんがあるけど、あのお店は江戸時代からですもんね。こちらが3代目なんていってられないわ。
――房子さんがここへきたのはいつ頃ですか?
【房子さん】 嫁いだのはだいたい30年くらい前かしら。
――秋葉原は房子さんにとってどういう街ですか?
【房子さん】 私は秋葉原というよりも神田が好き。ここは住所が外神田だからね。今は千代田区の外の神田みたいな感じだけど、ここも以前は神田旅籠町だったのよ。その後、ここのエリア(外神田)と内神田だけまとめられちゃったけど。
――神田のどういったところが魅力ですか?
【房子さん】 成熟した街っていうの?やっぱり江戸の文化から続く歴史があるわけでしょ。その歴史を大事にしながらみんな住んでいるけれど、新しい文化も取り入れている。下町だからやっぱり情の深い人が多いんじゃないかしら。で、違う文化の人も認め合って融合するっていうか。私が思うにパクスロマーナじゃないかしら?
――パクスロマーナ?
【房子さん】 ええ。私はミケランジェロの大ファンで、フィレンツェなんか歩き回るのが好きなんです。パクスロマーナとは、600年も続いたローマ帝国が他民族を“寛容”に受け止め、共生した長期にわたる平和のこと。それと同じようなことが日本のこの下町で起こっているんじゃないかと考えると、もうワクワクしてね。相手を丸抱えで認め合うっていうの? そういう寛容さがある街だと思うの。
――新しい文化もありつつ、地元に根付いた歴史もちゃんと生きているんですね。
【房子さん】 食の文化においても、ポルトガルがテンプーラとかをもって来てくれたじゃない?でも日本のオリジナルみたいになっている。結局は時代に新たな風を取り入れたことで、文化が成り立ったのよね。だから、コロッケはこうあるべきだという概念にとらわれるのでなく、りんごのコロッケが“秋葉原ならでは”みたいに受け入れられてよかった。
――なるほど。秋葉原だからこそりんごのコロッケが受け入れられたんですね。
【房子さん】 りんごのコロッケもある意味、斬新で流動性があるもの。だからおばさん、秋葉原独特な空気を読み取って、ワクワクしながらりんごのコロッケを売ってるわ。なんだか文化の一端を担ってる感じがして。これからはもう宇宙食になるかもしれないけれど、しっかりしたものを食べて21世紀を生きてもらいたいの。食べ物はだんだんなくなるものですものね。それだけに材料のしっかりしたものを食べてもらいたいわ。
肉の鈴鹿
http://homepage2.nifty.com/sandosuzuka/
住所:東京都千代田区外神田3-1-2
TEL:03-3251-5361
営業時間:11時~18時30分
定休日:土日祝
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