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Mr.ウォーカー玉置泰紀が厳選! おすすめスポット/アイテムベスト5 第12回

【決定版・郡山城ベスト5】大河ドラマ『豊臣兄弟!』で話題沸騰! “最強の弟”豊臣秀長が築いた「大坂城防衛の要塞」おすすめスポット

2026年06月03日 17時00分更新

文● 玉置泰紀(エリアLOVEウォーカー総編集長)

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城下町を歩く! 「郡山城」おすすめスポットベスト5

第5位:静かな住宅街に眠る偉大な補佐役の墓所「大納言塚」

 お城の南西、かつて「野毛山」と呼ばれた丘陵地にひっそりと佇むのが、豊臣秀長の墓所である「大納言塚」。 天正19年(1591年)、秀長はわずか50余年という短くも濃密な生涯を閉じ、ここに葬られた。豊臣家滅亡後、墓地は一度荒廃してしまうが、江戸時代の安永6年(1777年)に、秀長の位牌を託された春岳院の僧侶と郡山の町衆が協力して五輪塔を建立。秀長が領民からいかに深く慕われ、その遺徳が後世まで大切に受け継がれていたかを感じられる、ドラマファン必見の温かい歴史スポットだ。

大納言塚(筆者撮影)

第4位:統治者の威厳を示す城壁「東多聞櫓と追手東隅櫓」

 近鉄橿原線のすぐ横にそびえ立つのが、1980年代の追手門周辺整備事業で木造再建された「東多聞櫓(ひがしたもんやぐら)と追手東隅櫓」。「多聞櫓」とは、もともと松永久秀が多聞山城で初めて築いたとされる、城壁の上に建つ長屋状の櫓のこと。秀長にとってこの櫓は、軍事的な防衛線であると同時に、近世城郭の先駆けとしての威厳を城下に示す最高の「装飾」でもあった。

 東多聞櫓は細長い平櫓で、現在はギャラリーとして活用されている。昭和59年(1984年)に再建が完了した。木造平屋建て、多聞櫓形式(城壁の上に建つ長屋状の櫓)。復元された東多聞櫓の内部は、単なる展示物ではなく、歴史を伝える拠点として活用されている。

東多聞櫓と追手東隅櫓。すぐ横を近鉄橿原線が走る (筆者撮影)

第3位:豊臣兄弟の絆を象徴する正式ルート「極楽橋」

 本丸と毘沙門曲輪を結ぶ、かつての登城ルートの象徴的な架け橋が、2021年に伝統工法で見事に再建された「極楽橋」。 主に国産のヒノキや松を使用したこの橋は、藩主や限られた賓客だけが本丸へ向かう際に渡る「正式なルート」だった。天正13年の入城の際、小一郎(秀長)が兄の藤吉郎(秀吉)とともにこの道を通った可能性も高く、まさに豊臣政権の威光と、二人の強固な絆を象徴する必見の遺構といえる。

 長さ約22.12m、幅約5.4m。橋の欄干には、江戸時代の元和5年(1619年)の銘が入った擬宝珠が残っており、再建に際してはその意匠を参考に製作された。

極楽橋(筆者撮影)

第2位:権威と凄まじい執念の痕跡!「金箔瓦」と「逆さ地蔵」 

 郡山城の天守台周辺で絶対に見ておきたいのが、発掘調査で見つかった「菊紋が施された金箔瓦」と、石垣に組み込まれた「転用石(てんようせき)」。 金箔瓦は本来、信長や秀吉が自身の権威の象徴として使用したもの。それが郡山城の天守台周辺から出土したことは、秀長時代の政権ナンバー2としての絶大な権威を示すものと考えられている。

 一方で、天守台の北側石垣に逆さまに積まれた「逆さ地蔵」からは、秀長の凄まじい執念が伝わってくる。寺社勢力の強い大和を短期間で押さえ込み、大坂城の守りを固めるための急工事。石があまり採れない地域でもあり、石仏や墓石まで転用せざるを得なかった背景には、仏罰を恐れる時代にあって、それを顧みる暇さえなかった弟の並々ならぬ切迫感が生々しく刻まれている。

逆さ地蔵(筆者撮影)

第1位:畿内統治の要石! 圧倒的スケールの「天守台」と「城下町の縄張り」

 堂々の第1位は、2017年に展望デッキが整備されて上れるようになった「天守台からの眺望と、秀長が作った城下町の縄張り」。天守台(標高81m)に立つと、秀長が整備した城下町や奈良盆地、遠く薬師寺の塔までが一望できる。ここから周囲を見渡せば、郡山城がいかにして大坂城の南東を守る強固な盾として機能していたかが直感的に理解できるはず。

 四周に比較的眺望がきく立地をとっていて、秀長が整備した城下町や奈良盆地を一望でき、遠くには薬師寺の塔や若草山も望める。なかでも東方への展望が開け、大和東山の連山が一望できる。平城京跡はもちろんのこと、南都の諸寺や奈良町、天理~桜井の龍王山、三輪山も望める。南方では、大和三山も視野に入り、空気が澄んでいれば北方に比叡山を見る事も出来る。

 そして眼下に広がる碁盤の目状の町割こそが、秀長の経済施策と自治制度(箱本制度)によって発展した都市の骨格。弟がこの地で築き上げたインフラと統治システムがあったからこそ、兄は安心して天下を動かせたのだと、ドラマのテーマそのものを肌で感じることができる。

 2013年からの調査で、天守の柱を支える礎石が良好な状態で確認された。これにより、豊臣秀長(あるいは、秀保、増田長盛)の時代には、間違いなく天守が存在したことが科学的に証明された。大坂城のような巨大な5層構造ではなく、石垣の規模に見合った3層程度の重厚な天守だったのではないかと推測される。

天守台(筆者撮影)

天守台を上がった展望スペース(筆者撮影)

編集後記:城下町の風に吹かれ、自分だけの「エンドロール」を見る

 何百年と変わらずそこにある野面積みの石垣や、逆さ地蔵。その泥臭くも神聖な城跡の周りで、今は市民が穏やかに憩い、名産の金魚が優雅に泳ぎ、ドラマの主人公として脚光を浴びる小一郎(秀長)に想いを馳せる。天下人の名補佐役が、等身大の現代人たちののどかな日常をそっと見守っている。激動の戦国ロマンと、現在進行形のまちづくりがこれほど美しく重なり合い、極上のメタ観光が成立する街は、全国を探してもそう多くはないだろう。

 展望デッキが整備された天守台に立ち、眼下に広がる箱本十三町の町割りを眺めていると、ふとした瞬間に、奔放な兄を支えるために泥まみれになって駆け回る小一郎の姿や、将士たちの息遣い、活気あふれる商衆たちが、すぐ横をすれ違っていくように感じられないか。古都の変わらない景色の中には、彼らの「永遠の夢と野望」が今も瑞々しく息づいているのである。

 大和郡山を訪れた際には、ぜひ大河ドラマ館を満喫したあと、レンタサイクルを借りて、平城宮跡から秋篠川沿いを抜け、この城下町を自転車で走り抜けてみてほしい。頬を撫でる大和の風を感じた瞬間、あなたの脳内で『豊臣兄弟!』のメインテーマが鳴り響き、目の前の100万石の景色に「自分だけの物語」のエンドロールが鮮やかに重なって見えるはずだ。

大和郡山市役所(筆者撮影)

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