創業からこれまでを振り返り、“AIデータクラウド”の未来を示す
AIによる革命に「取り残される企業」とは? Snowflake共同創業者の2人に聞く
2025年04月21日 13時00分更新
Oracleの開発者として西海岸で活躍していた2人のフランス人が、“データクラウド(Data Cloud)”を標榜するSnowflakeを創業してから13年。2025年3月、その2人が初めて日本の地を踏んだ。両氏は記者向けのラウンドテーブルで、創業時の想いから、現在進めている“AIデータクラウド”の戦略までを語った。

現在のSnowflakeは、当初のデータクラウドから“AIデータクラウド”へとメッセージを進化させている(2024年12月の説明会資料より)
Snowflakeの創業は「あらゆる企業を“データのGoogle”にしたい」から
2012年にSnowflakeを共同創業したフランス人とは、ブノワ・デイジビル氏とティエリー・クルアネス氏だ。2人が在籍していた当時のOracleは、まだクラウド戦略を(表向きには)持っておらず、むしろ批判的な立場だった。デイジビル氏は、当時OracleのCEOだったラリー・エリソン氏について、「ラリーはほとんどのことについて正しいビジョンを持っているが、クラウドに対する見解だけは間違っていると思っていた」と語ったことがある。
この日のラウンドテーブルで、デイジビル氏はSnowflakeの創業当時、データ分野で「2つの大きな革命」が起きていたと振り返った。ひとつは「ビッグデータ」、もうひとつは「クラウド」だ。
当時のビッグデータ市場は「Apache Hadoop」が牽引していたが、Hadoopが対象とする機械生成データと、ビジネスで扱われるデータは性質が異なり、別々に管理されるかたちとなっていた。デイジビル氏はそこに疑問を持ったという。
「構造化データと半構造化データを別々のシステムで扱うべき理由はない。データのサイロを作るのではなく、1つのシステムで異なるタイプのデータを扱えるようにするべきだと考えた」(デイジビル氏)
Hadoopのもうひとつの課題が「とにかくスピードが遅い」ことだった。「管理も難しく複雑で、SQLのような重要な技術も欠けていた。Hadoop(開発チーム)側は(SQLは)不要と考えていたようだが、われわれは重要だと思っていた」(デイジビル氏)。
もうひとつの革命、クラウドについては「ビッグデータよりもさらに重要な革命」だったと、デイジビル氏は語る。データ分析のワークロードは(使用リソースの)変動が激しく、スパイク時(ピーク時)には大量の計算能力が必要となる。そうしたワークロードは、クラウドの得意とするところだ。
「“クラウドの魔法”は、計算能力をオンデマンドで入手できること。たとえば、クラウドで1000台のサーバーを使えば、1台のときよりも1000倍速く処理ができるが、使用料は1台の場合と同じで済む(クラウドは時間単位の従量課金であり、1台だと1000倍の時間がかかるため)。つまり、同じコストでより速く処理ができる」(デイジビル氏)
クラウドのもうひとつの魅力は、フルマネージド型でソリューションを提供できることだという。「Snowflakeは、サーバーレス技術を活用してフルマネージドソリューションを提供したかった」(デイジビル氏)。
そこで目指したのが、「あらゆる企業を“データのGoogle”にすること」という目標だった。
「GoogleやMetaといった大企業だけが、大規模なデータセンターにデータを一カ所に集め、データのパワーを意味あるかたちで活用できている。(資金力と人的リソースが乏しい)企業は、オンプレミスシステムを使うしかなく取り残された状態だった。そこで、そうした企業でも簡単に使えるマネージドサービスを提供したかった」(デイジビル氏)
クルアネス氏も、ビッグデータ、クラウドという2つのトレンドは「新大陸の発見のようだった」と振り返る。「われわれはクラウドという新しい土地を発見し、ビッグデータという新しいニーズに応えていくことにした」(クルアネス氏)
