馬油美容家・岡田恵子さん/主婦から一転。百貨店も認める、愛されブランドができるまで

文●源詩帆  編集●山野井春絵

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 重度の火傷を経験し、30年間ひどい肌荒れに悩んでいた横浜市在住の岡田恵子さん。馬油との出合いで肌荒れが改善した経験から、主婦からビジネスを立ち上げ、現在は馬油美容家として活動している。創業当時は予想を遥かに超える試練が続き、何度も挫けそうになるも、現在では有名百貨店へ出店し、店頭販売を行うまでに…。そんな岡田さんのライフシフトと、ビジネスを成功させるまでの軌跡とは。

馬油美容家、岡田恵子さん。30年間手荒れに悩み、様々な保湿クリームを試す。ようやく馬油に辿り着き、「神様からの贈り物とさえ思った」と語る。

大火傷から30年。手に触れる喜びをまた感じられるなんて

オリジナルブランド「サンキューバーユ」を立ち上げ、数年で人気コスメに育て上げた。

 

 岡田恵子さんは、20代で手に重度の火傷を負った。皮膚移植をしたが、その手はパッチワークのような見た目となり、常に手を隠すように生きてきた。外出先では、食事以外でレースの手袋を手放せなかった。30年もの間、移植した皮膚は乾燥やひび割れ、かゆみが酷く、黒ずみも進んだ。

 50歳の時、思いがけず転機が訪れた。
夫から「試しに塗ってみて」とプレゼントされたのは、馬油。その時は特に期待もせず、むしろ「馬の油なんて」と塗る前からその効果を疑っていたという。

 実際に塗ってみると、乾燥した手に自然に溶け込み、痒みや痛みが軽減。それは、自分の手に触れる喜びを取り戻した瞬間だった。その後使い続けると手の黒ずみまで改善し、今では移植した部分がほとんどわからないほどに。

「もちろん、馬油の存在は知っていました。でも日々悩み、解決方法を探していた私が30年間気づくことができなかったのは、ただ馬油の良さを知らなかったから。最先端の医療や高価なものならしかたがないかもしれませんが、馬油は主婦の私でも買えるくらい身近なものです。『ということは、私が伝える人になるしかない!』と起業を決意しました」
 

家族会議で誕生したオリジナルの馬油

サンキューバーユで使用しているのは「こうね油」。一般的な馬油とは異なり、馬のたてがみの皮下脂肪からのみ作られ、極めて希少だそう。

 

 ビジネス経験のない専業主婦だったが、幸い、夫の仕事柄、商品開発はスムーズに進んだ。「昔ながらの商品という古臭い印象を持たれがちな馬油のイメージをガラッと変える」ことを念頭に、家族会議を重ね、ブランド名は「サンキューバーユ」、パッケージデザインも高級感のある金色の馬車に決めた。

 「プロジェクト商品開発は進んでいるものの、販売先が見つかりませんでした。PCも使えず、夫のメールを元に、どうにか言葉を組み合わせ、営業メールを送る日々でした。そもそも、50代の主婦の話を本気で聞いてくれるところはほとんどなく、アポが取れないまま、時間ばかりが過ぎてしまいました」

 ふつうに考えれば、販売先が決まらないまま在庫を抱え、不安で夜も眠れなくなりそうな状況だ。
それでもなぜ諦めなかったのか。

 「その頃は、“諦める”という選択肢を持っていなかったですね。すでに商品の生産はスタートして、プロジェクトははじまっているから。ここで辞めるなんていうことは考えもしませんでした。あの頃の私には、諦めるという言葉が辞書になかった、という感じです」

ようやくスタートラインに。本当に辛いのはここから

強風を遮るものがない中、真冬でも駅ナカ販売を行う。当時50代の岡田さんは、凍えそうになりながらも、笑顔で道ゆく人に声をかけ続けた。 

 

 アポが取れても出店には至らない日々が続いたが、ある時、駅の通路(駅ナカ)などで販売を行う催事販売会社に出会う。チャンスを得て、初めての販売活動が始まった。起業を決心してから、1年近くが経過していた。

 「ようやくスタートラインに立てたと喜んだのも束の間、過酷な日々が始まりました。駅ナカ催事販売は、毎朝、一から設営し、夜は完全撤収が絶対。私たちのような販売業者用の駐車場は売り場から遠く、台車で何往復も…。当時50代の私にはそれが相当辛かったのですが、本当に辛いのはそこからです。

 専業主婦で、のんびり過ごしてきた私にとって駅構内を足早に歩く人々はとてもクールに見えました。実際に『おばさん、どけ』、 『馬油なんかつけるかよ』 と言われたことも、酔っ払いに売り場をめちゃくちゃにされたこともあります。私は何をしているんだろうと、泣いてばかりいた時期もありました」

 それでも興味をもってくれる人に誠心誠意込めてサンキューバーユの説明と想いを伝えたという。

 「本当に落ち込んで、もうやめようかと思う時に限って、サンキューバーユを購入してくれたお客さんが現れるんです。忙しい朝でも、設営中の私にわざわざ会いにきて感想を聞かせてくれ、お友達をたくさん連れてきてくれる方までいました。

 その度に、『こんなにありがたいことはない。馬油のおかげで今があるんだから、私のように悩んでいる誰かのために、私ももう少し頑張ってみよう』と、自分を奮い立たせました」

 大晦日の夜も必死に馬油を売り続けた岡田さん。いつの間にか、多くのファンを得ていた。駅ナカ催事販売を始めてから一年後、多くのファンの後押しもあり、粘り続けた百貨店への出店が決まった。
 

年齢はただの数字。小さな幸せや達成感を味わって、社会と関わり続ける

「この馬油のおかげで肌が改善した」と話してくれる顧客の存在に救われる日々。「馬油の良さを伝えるという使命が果たせている。これからも頑張ろうと思える」と岡田さん。

 

 百貨店での販売は、岡田さんの起業人生を大きく変えた。「百貨店で販売している商品」という安心感から、リピート客は増え続けたのだ。

 対面販売にこだわっていたが、コロナ禍にはオンライン販売を始め、苦手なインスタライブにも挑戦した。60代になっても自己実現の喜びを感じる日々だという。

 「人生100年時代なら、私は折り返し地点を過ぎたあたり。まだ挑戦したいことは山ほどあります。今までやってきた販売活動であっても、お客さんは一人一人違う。毎日が新しい挑戦です。それに、今日うまくできなかったことは、いつかできるようになる日が来るはず。その繰り返し。

 年齢はただの数字なのに、もう歳だから、おばさんだから、何をやってもダメだと言う人もいるけれど、大きなことでなくていい。小さな幸せや達成感を味わって、社会と関わり続けることが人生において大切なことの一つだと思っています。

 もちろん辛い時もあるけれど、今の自分と丁寧に向き合って、自分はどう輝くことができるか真剣に考えて行動すれば、それだけで自分も世の中も豊かになる。特に同世代の女性たちは、これまでの人生や経験という宝物をたくさん持っているじゃないですか。

 そんな素敵な宝物を活かして社会と関われば、見方、捉え方が変わり、まだ見ぬ世界を楽しめるようになるかもしれない。私は馬油を通じて、そんなことを伝えていきたいです」

 いつも笑顔の岡田さん。終始前向きで、根底には「感謝」の気持ちが溢れている。それでも、苦悩の催事販売について語る時、涙を流す姿があった。

 「もう体力的に駅ナカでの催事販売は難しいですが」と語りながらも、間違いなくその一年間があったから、見えてきた世界があるという。これまでの軌跡と自分を救ってくれた馬油との出合いに感謝しながら、岡田さんは今日も誰かのために奮闘している。

Profile:岡田恵子

おかだ・けいこ/本来の肌の力を引き出す「馬油」のシンプルスキンケアで素肌に自信を持ち、年齢に関係なく社会で活躍し続ける女性を増やしたいと、馬油美容家として活動。百貨店などでの公開セミナーのほか、自らのスキンケアをインスタグラムのLIVEで実況中継し、FacebookのLIVEでスキンケアの基礎知識や馬油を使った美容法をレクチャーするなど、発信にもチャレンジ。2021年には、美と環境保護をコンセプトとする「ミセスグローバルアースジャパン東京大会」出場。特別賞受賞。2022年には電子書籍「シミが消える 天然セラミドスキンケア」出版し好評。

岡田恵子さんInstagramはこちら。

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