みなさん、ボンジュール! 学芸員の岩瀬慧です。
今年はパリ2024オリンピック・パラリンピックが盛り上がりましたね。クーベルタン男爵が理念を提唱して始まったオリンピックですが、パリで最初に開催されたのは実に100年前、1924年のことでした。その1924年9月で3年間に及ぶフランス滞在を終えて帰国したひとりの日本人画家、坂本繁二郎(はんじろう)。彼こそが、三菱一号館美術館の建物メンテナンス休館を経た再開館から始まる「小企画展」第1回目の「坂本繁二郎とフランス」展の主人公です。
福岡県久留米市に生まれた坂本繁二郎は、森三美(みよし)に洋画の手ほどきを受け、郷里の学友である青木繁を追いかけるように上京すると、小山正太郎という画家の不同舎に学びます。1912年の第6回文展(※)に《うすれ日》というホルスタイン種の牛が一頭描かれている絵画を出品し、これが夏目漱石の目にとまります。漱石曰く「牛は沈んでいる。もっと鋭く云えば、何か考えている。《うすれ日》の前に佇んで、しばらくこの変な牛を眺めていると、自分もいつかこの動物に釣り込まれる。そうして考えたくなる。もし考えないで永くこの絵の前に立っているものがあったら…(中略)電気のかからない人間のようなものである」と高く評価しています。
※1907年に創設された日本で最初の官設公募展(文部省美術展覧会)の略称
当時の朝日新聞に展覧会評を連載していた大御所の文豪に評価されたわけですから、坂本は相当に嬉しかったようで、後生大事に新聞の切り抜きを取っていたものの、漱石とはついに会えないままだったそうです。
そしてこの「牛」というモティーフが、坂本をフランスへ向かわせるきっかけとなり、1921年、39歳と当時の画家としては遅い海外渡航でしたが、パリの地を踏みました。《老婆》や《キャンペルレ》はフランス滞在中に描かれた作品で、作品のなかにエメラルド・グリーン調が出て、坂本の画風が変化していく最中であることが見てとれる作品です。
牛や馬を描くという何とも素朴なモティーフはどこから来るのかということも、ミレーの《種蒔く人》のようなフランスのバルビゾン派のレアリスムに辿り着きますし、坂本の師である小山正太郎が学んだ画家、フォンタネージにも通底するものです。19世紀前半のフランスでレアリスムとは、神話や宗教といった高尚なテーマではなく、卑近な、身近なもので絵画を描くべきという考え方です。
坂本がフランスで得たものは何か、それが帰国後の作品にどう影響していくのか、あるいは他の洋行帰りの画家、藤島武二、岡田三郎助、満谷国四郎と較べて見た時にどうか、合計15点の作品を通して浮き彫りにしていきたいと思います。どうぞお楽しみに!
小企画展「坂本繁二郎とフランス」
会期:2024年11月23日(土)~2025年1月26日(日)
https://mimt.jp/small-gallery/#sakamoto