高層ビルや歴史的建造物など、丸の内の建築群を現場のレポートを交えながら紹介する連載「丸の内建築ツアー」。今回は、容積地区制度が創設されて百尺規制が廃止された後に建設されつつも、超高層にはならなかった有楽町駅前に建つ「有楽町ビルヂング」と「新有楽町ビルヂング」を紹介します。
有楽町ビルヂングの建設とデザイン
高度経済成長期の真っ只中、現在、有楽町駅西口の新有楽町ビルが建っている区画には、「毎日新聞社 東京本社」が建っており、その南側、現在、有楽町ビルヂングの建っている場所では、この社屋の拡張用地とされていた区画を1964年5月に三菱地所が買収します。そして、1964年7月に「(仮称)有楽町国際ビル」という名称で着工、建設途中の1965年9月に「新有楽町ビルヂング」という名称に変更。さらに1966年1月に「有楽町ビルヂング」に再度変更され、こちらが正式名称となり、1966年5月24日に竣工しました。
「有楽町ビルヂング」は当初、百尺規制(高さ約31m)のある建築基準法に基づき地上9階で設計されましたが、斜線制限によりセットバックする必要がありました。ちょうど1963年7月に建築基準法が改正され、容積率制度が導入されたことで、地上11階に計画変更されました。
有楽町ビルヂングは、鉄骨鉄筋コンクリート造で地上11階、地下5階、延床面積42,159.08㎡、基準階面積586.25坪、天井高2,693mmという規模で竣工しました。地下1階と地上1階には店舗が入り、建物中央部にはエレベーターや階段、水回りが集約されたコアが配置されていました。
なお、竣工時、建築基準法改正や証券不況の影響でオフィスビルの駆け込み着工が相次いでおり、オフィスの過剰供給から約1/3しか入居しませんでした。しかし、1964年の東京オリンピックを経て、1年後には入居率が7割に向上しました。現代の2021年に開催された東京オリンピック前後のオフィス過剰供給とコロナ禍によるオフィスの需要低迷と似たような状況だったことがわかります。
外観デザインは、建物外周をガラス張り、梁・床や腰壁部分を茶系統のパネルとしたものとなっており、内装は、エントランス部分の壁面全体に陶板タイルを貼りつけた意匠が特徴的でした。
新有楽町ビルヂングの建設とデザイン
有楽町ビルヂングが建設されている区画の北側の区画には、東側に毎日新聞東京本社、西側に丸ノ内日活劇場と農協会館が建っていました。
1964年7月に丸ノ内日活劇場跡地を三菱地所が取得、「新有楽町国際ビル(仮称)」として、1965年2月に第1期工事を着工、第2期部分の建設を目指し、同時並行で毎日新聞東京本社と農協会館の立ち退き・買収交渉を行い、1965年11月に敷地を取得、第2期部分の計画が進められている1967年1月に地上9階、地下3階で竣工、1967年3月に第2期部分の既存建築物の解体が完了し、1967年9月に新築着工します。
そして、1969年6月に地上14階、地下4階、延床面積83,023.27㎡、オフィスフロアの基準階面積が1,443.83坪、天井高2,700mmのオフィスビル「新有楽町ビルヂング」が竣工します。
丸の内仲通り側は、当時から景観に対する意識が強く、地上9階、高さ100尺で揃えられ、14階部分は敷地中央部と東側となっています。また、外観デザインは青いタイル張りで角がアールを描いた窓が独特な意匠を創り出しています。
有楽町ビルヂングと新有楽町ビルヂングを再開発へ
2021年7月に三菱地所から、「有楽町ビルヂング」と「新有楽町ビルヂング」の建て替えが発表されました。両ビルの建て替えに伴い、「有楽町エリア再構築」が本格的に始まり、テナントニーズの高度化や脱炭素社会の実現に向けた社会的要請への対応強化、災害時における事業継続性を意識した防災機能の強化等の機能更新が図られるものとされています。
2023年10月31日に両ビルは閉館され、約1年経過した現在も解体待ちの状態となっており、窓や扉などには丸の内の景色を描いた、かわいらしい絵が飾られています。
蛇足ですが、ほぼ同時期に竣工したにも関わらずガラス張りの「有楽町ビルヂング」とタイル張りの「新有楽町ビルヂング」を比較すると、ガラス張りの「有楽町ビルヂング」のほうが古さを感じさせない外観ですね。今、次々と建設が進められている超高層ビルでも、50年100年後、ガラス張りのほうが古さを感じないのでしょうか…? 気になりますね。
以上で今回の建築ツアーは終了。独特な意匠の「有楽町ビルヂング」と「新有楽町ビルヂング」はいかがでしたでしょうか? 建て替えを待つ今のうちに最後の姿を確認しに行ってみてもいいかもしれません。
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