丸の内LOVEWalker総編集長・玉置泰紀の「丸の内びとに会ってみた」 第1回
丸の内LOVEウォーカー総編集長・玉置泰紀の「丸の内びとに会ってみた」 第1回
4年ぶりに丸の内に帰ってくる名物音楽フェス! 「ラ・フォル・ジュルネTOKYO2023」主催のKAJIMOTO・梶本社長に会ってみた
丸の内LOVEウォーカー総編集長の玉置泰紀が、丸の内エリアのキーパーソンに丸の内という地への思い、今そこで実現しようとしていること、それらを通じて得た貴重なエピソードなどを聞いていく新連載。その第1回は、クラシック音楽を中心とした音楽事務所として有名なKAJIMOTOの梶本眞秀社長が登場。今年のGW(5月4~6日)で4年ぶりに開催される、日本最大のクラシック音楽フェスティバル「ラ・フォル・ジュルネ」誕生秘話とその魅力、丸の内との運命的なマッチング、コロナ禍での苦労やフェスの見どころなどを、存分に語ってもらった。
日本の「ラ・フォル・ジュルネ」はルネ・マルタンとの出会いから始まった
「ラ・フォル・ジュルネ」は、1995年からフランス西部の港町・ナントで毎年開催されている、フランス最大級のクラシック音楽のフェスティバル。クラシック界の異端児と言われたルネ・マルタンが始めた、赤ちゃんから大人まで、誰でも普段着かつ低料金で楽しめるこのフェスは、東京でも2005年から開催され、丸の内エリアで100万人以上を動員するほどの人気を博した。昨今のコロナ禍で休止が続いていたが、今年のゴールデンウィークに4年ぶりに開催される。
――「ラ・フォル・ジュルネ」とルネ・マルタンさんとの出会いは?
梶本「私はKAJIMOTO(旧・梶本音楽事務所)の2代目ですが、父(梶本尚靖氏)とは違ったことをやりたかった。父は国内でいろいろな仕事をしたけれども、国外での仕事はほとんどできていなくて、マネジメントしていた小澤征爾さんが日本から飛び出した時も付いていけなかったんです。要は国内用のマネジメントだったから、僕の代では海外でも直接マネジメントできるようになりたい、と。
2000年にパリ・オフィスを開設して、さぁ最初に何を観ようかな、ザルツブルク音楽祭かなって言っていたら、今パリで副社長をやっているシルヴィー・ブーシャールが『フランスのナントに変わったことをやっているプロデューサーがいるよ。ルネ・マルタンという名で、クラシック業界では彼を受け入れている人と、あいつはヘンチクリンなやつだよという人がいるから、彼に会うのが面白いんじゃない? 絶対観に行くべきだ』と。
なぜならシャルル・デュトワやマルタ・アルゲリッチ、ネルソン・フレイレも、みんなマルタンのフェスティバルを知っている。決して二流じゃない、ぜひ行くべきだ、とまで言うのですよ。それでまずは行ったんです。
初めて会ったルネは、僕と背丈も同じぐらいで、ふたりともメガネを掛けている。考え方も非常に類似していて、すぐに意気投合しました」
「ラ・フォル・ジュルネ」の「因習を忘れて羽目を外す」という精神がクラシックのあり方を変えた
――「ラ・フォル・ジュルネ」という名称は、モーツァルトのオペラで有名な、ボーマルシェの戯曲「フィガロの結婚」に由来するとか
梶本「『フィガロの結婚』の原題は、『ラ・フォル・ジュルネ、あるいはフィガロの結婚/La Folle Journée, ou le Mariage de Figaro』。音楽祭の名は、マルタンがインスピレーションを受けてそこから取ったんです。『ラ・フォル・ジュルネ』とは『熱狂の日』『バカ騒ぎの日』などと訳されますが、分かりやすく言うと、今日一日だけは因習を忘れて羽目を外そうよ、日頃の価値観を捨てて違うことやってみましょうよ、ということなんです」
――素晴らしいタイトルだし、日本でのクラシック音楽のあり方を間違いなく変えました
梶本「クラシックのコンサートというと、例えば外来オーケストラだと、チケットも3万円、4万円と高額だから行く人もまた限られていました。そういうものを乗り越えたい、というのが僕らの中にあったと思います」
――「ラ・フォル・ジュルネ」はロックフェスみたいな気軽さがありますね
梶本「ルネはロックもジャズも聴くんですよ。世界最大級のイギリスのグラストンベリー・フェスティバルみたいなロックフェスでは何万人も集まっているのに、クラシックのコンサートでは1000人、2000人でいっぱいになっただけで喜んでいる。この意識の差は何なのだろうと。
彼は考え方がボーダーレスだから、何がダメなのかなと調べていくと、クラシックはスノビッシュである程度基礎的な知識がないと、コンサートに行っても分からないところがある。知っていて当たり前で、みんな訳知り顔でシーンとして聴いている。服装もみんなピシッとしていて、ジーパンとTシャツでは行きにくい。非常に堅苦しいと。
だからロックフェスのように誰でも気軽に聴ける、これまでとはちょっと違う次元でクラシックを扱ってみよう、というのが彼の考えだった。
僕もKAJIMOTOに入る前はキョードー東京で働いていて、ABBAやスティービー・ワンダー、アル・ジャロウ、マンハッタン・トランスファー、有名になる前のイーグルスら面白いミュージシャンとずっとツアーをやってきて、いろいろな可能性を知っていた訳です。だからいつか、それまでのKAJIMOTOとは違う形で何かやりたい、と考えていた部分を思い出させてくれましたね」
――ルネ・マルタンさんとの出会いで、その時が来た
梶本「僕が大好きな本に、(作曲家の)武満徹さんの対談集『すべての因習から逃れるために』というものがあるんです。(音楽プロデューサーで)娘の真樹さんから頂いたものですが、“すべての因習から逃れる”って、まさに僕がやってきたことじゃない? ルネもやろうとしていることだし。
因習と戦っていたのは、僕ひとりじゃない。ジョン・ケイジ、キース・ジャレット、ミッシェル・ベロフ…、武満徹さんと対談していた若き芸術家たちも闘ってきた。
でも、因習が悪いと言っている訳じゃないんです。それぞれ違うことをやっていこうよ、ということ。僕らが目指していることはまさにこれだな、と」
丸の内での開催実現の裏には運命的な縁とタイミングがあった
――ところで「ラ・フォル・ジュルネ」は、なぜ丸の内でやることに?
梶本「ルネは日本に興味を持っていて、東京でやるならいつでも協力するよ、と言ってくれていたんですが、実現できたのは非常にラッキーだったんです。
まずは建物ですね。建築家のラファエル・ヴィニオリが設計した東京国際フォーラムが1997年に開館しました。内部には劇場型のホール2つと多くの会議場、中央にはオープンスペースもある。同時にいくつものコンサートを行う、まさに『ラ・フォル・ジュルネ』のためにつくられたような建物じゃないですか。
次に、当時の三菱地所の取締役会長・福澤武さんとの出会いがありました。お話ししてみると、福澤さんはなんとチェリストで、ラ・フォル・ジュルネに興味を持って下さった。僕は僕で、福澤さんの街づくりのフィロソフィーに、非常に心を動かされたんです。
成熟した街というのは文化がちゃんとあって、人がそこに住めて楽しめて、ここにいるのがいいなっていう風に思えなきゃ。ゴールデンウィークなんか、人でいっぱいになってなきゃウソだと」
――ゴールデンウィークに人があふれる丸の内。当時は想像もできませんでした
梶本「三菱地所さんは、丸の内エリアをビジネスのセンターにすることに、ずっと時間とエネルギーを費やして成功している。でも、それだけでは街づくりは完結していない。文化や芸術があって、人がいつも集まってなきゃいけない。だから、この『ラ・フォル・ジュルネ』は面白いかもしれないと、福澤さんはおっしゃった。それでナントまで観に来て下さったんです。取締役会長なのに行動力があって、自分で行っちゃう。この人は凄いなと思いました。
実際に『ラ・フォル・ジュルネ』をご覧になった福澤さんが『これ面白いな。梶本さん、ちょっとやってみますかね』とおっしゃったところから、始まったんです。
ちょうど三菱地所さんも、丸の内を文化や芸術があり、人が集まる街にしたかったけれど、どうすればよいか模索していた時期だったんですね。
まず福澤さんがおられて、三菱地所さんが素晴らしい街づくりのフィロソフィーを持ってらっしゃったところに、東京国際フォーラムがあり、僕が会場を探していた。その三者が2001〜2003年に出会っていったことで、すべてが始まったという訳です」
「ラ・フォル・ジュルネ」がついに東京へ 初開催はWBC並みの大逆転劇!
――2005年に初めて開催した時の手応えはいかがでしたか?
梶本「最初はまったくなかった(笑)。前売り券が全然売れなくて、何だか分からないイベントに、なかなか人も来ないじゃないですか。これは失敗かと思いましたよ(笑)。海外からもアーティストや楽団をたくさん呼んでいて、まったく客が来ないと大ダメージだし」
――前売りが全然売れなかったのに、なぜ初年度は32万人も動員できた?
梶本「それがね、朝の情報番組でGWのイベントとして紹介してくれたり、その当時協賛して下さっていた新聞社さんが音楽祭の折り込みを入れてくれたり、各誌が東京でやっている新しい音楽祭が面白そうだから、皆さんぜひ遊びに行ってみて下さいねって。そしたら当日券は完売が続出し、チケット販売も間に合わないぐらい人が集まりました。その反響には驚きましたよ。
だから、非常にいろいろなことが上手くマッチングして、何とか1年目終了に漕ぎ着けたという訳です」
――音楽フェス、特にクラシックで街全体をジャックするのは初めてでしたね
梶本「『ラ・フォル・ジュルネ』は、福澤さんや東京国際フォーラムの関係者、いろんな人がいたから実現できた。福澤さんは本当の意味での街づくりをしようと思っていたし、アイデアを持つルネがいて、いくつものコンサートを同時に開催できる会場を探していた。そういうものが、本当に上手く噛み合ったんですね。
この前のWBCも同じでしたね。ここで空振りしたら終わっちゃっていただろう時に、吉田正尚がカキーンと打ってくれて同点になって。そこからのドラマがまた凄かったじゃないですか。それまで不振だった村上宗隆のサヨナラ・ヒット。あれを観ていて、本当に『ラ・フォル・ジュルネ』みたいだなって。最終回ツーアウトだったけど、最後はよく打てたなぁと」
――昨今のコロナ禍で4年間も休止されていましたが、その間はどんな苦労が?
梶本「コロナはどうしようもなかったですね。人が集まること自体がダメですから。『ラ・フォル・ジュルネ』の基本は、人が集まってコミュニケートすることだから、これができないんだったら中止するしかないと。少し規制が弛んだ時に日本人だけで、という意見もあったけど、中途半端にやるのはよくない、ちゃんとできる時まで待つことにしました」
ビジネス街から成熟した街へ 変わりゆく丸の内の魅力とは?
――縁あって「ラ・フォル・ジュルネ」のホームとなった丸の内の街。昔はビジネス一色だったけれど、丸ビルや新丸ビルができたり、丸の内仲通りにアートを展示したり。その新しい街づくりも「ラ・フォル・ジュルネ」の精神とピッタリ合っていますよね
梶本「三菱地所さんは、『ラ・フォル・ジュルネ』の精神をしっかりと分かって下さっていて、それが音楽だけじゃないんです。
2010年頃にパリの美術館へ行った時、カンディンスキーの『青騎士』が展示されていて、そこに三菱一号館美術館のパンフレットがあった。
カンディンスキーの『青騎士』は、第一次世界大戦が始まる直前の作品で、絵画も形の決まったものばかりやっていたらダメだ、価値観を変えた絵を描こうとドイツ人を中心にフランス人らも集まって、パリで創作したものなんです。でも第一次世界大戦が始まると彼らは散り散りになって、フランス人とドイツ人は戦場で撃ち合わないといけなくなった。みんな若くして死んじゃったから、作品数はそんなにないのですが。
パンフレットを見つけた時は、うわーっ、音楽だけじゃなくて美術もフォローしているじゃない!と、うれしかったです。
三菱地所さんの街づくりでは、これまでの“まち”という概念を覆そうとしていますよね。街だからできないじゃなくて、何でも可能性はありますよ、と。彼らは止まらないで、さらに先へ行っている」
――(大手町・丸の内・有楽町の)大丸有エリアマネジメント協議会(リガーレ)も創設20年を迎えました。つまり、町衆が集まって自分たちの街をつくるんだ、街を面白いところにするんだ、と頑張っているのが素晴らしい
梶本「まさにその通りで、自分たちの街をどういう風につくっていくか、価値観を変えていくか、またその価値観を保つかとか。日本に来た外国人が、なぜみんな道を掃いているのか? と聞いてくるんですが、自分の街だから少なくとも自分の店の前では、お客さんが嫌な思いをしないようにキレイにしているって言ったら、みんなビックリしますよね。
自分たちの街を住みやすい、面白いところにしようとする先には、人生って短いし楽しもうよ、楽しめる時間や空間を作ろうよ、という思いがある。さらにその延長線上には、日本の国力がある。国力にもいろいろありますが、武力ではなくて文化の力。どこまでそれが浸透しているか、どこまでそれを人々が楽しんでいるか。こういうところが国力、文化力というか、ひとつの国のあり方や位置を測るメジャーになるんじゃないかと。
そこに住む人たちがどこまで充実感を抱き、この時代にここに生まれてきたことが非常にうれしい、楽しいと思って暮らしているか。最終的にはそれを目指しているんじゃないかなと思います」
――「ラ・フォル・ジュルネ」は、丸の内で頑張る皆さんにも大きな力を与えました
梶本「もしそうであれば、とてもうれしいです。でも、それも三菱地所の福澤さんが、『ラ・フォル・ジュルネ』を最初にやろうとおっしゃって下さったから。その前からいろいろ考えてらっしゃった中での一部を、僕たちは経験したのだと思いますけれど。それは非常にラッキーでしたし、このことを忘れずに次の段階では、経験を生かして日本全体を元気にしていくようなことができたら」
――また丸の内の人たちには、そこで生きているシビック・プライドがありますね
梶本「この前、武満真樹さんから頂いた絵画を額装したくて、銀座のお店に行ったんですよ。額装の方法について、(お店の方と)最初はちょっと揉めましたが、音楽や美術という文化を扱う人同士で、それはつまらないだろうと腹を割ってお話ししたら、確かにそうですね、と。逆にいろいろな提案もして下さって、初めて会ったのにまるで友達みたいになりました。
丸の内や銀座って、単にモノを売ったり買ったりするだけじゃなくて、もっと人間くさい、面白いエリアに発展しつつあるんだなと思いましたね」
4年ぶりに復活する「ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2023」の見どころは?
――今回は4年ぶりの開催。また2020年にできなかったベートーヴェンがテーマですが、どんな見どころが? 楽しい仕掛けもたくさんありそうですね
梶本「ルネ(のアイデア)が、凄く面白いんですよ。何を考えているのかなって、ときどき思うこともあるんですけど(笑)。とんでもないアイデアを出してきて、以前には阿波踊りを観た彼が、これを呼ぼうと言い出して徳島県に連絡したら、なんと知事から『一番いいチームを送ります、予算もこちら持ちで』と。阿波踊りを生で観たことがない、若い世代の前でせっかく踊るんだからと凄いチームが来ましたよ。
もう、チャンカチャンカチャンカチャンカって始まったら、若い人が集まって大騒ぎ! テレビでしか観たことがない阿波踊りの、一糸乱れずシンクロナイズして踊る姿には感動しましたね。しかも『ラ・フォル・ジュルネ』向けに、ワルツ仕様でも踊ってくれたんです。今回も実際に体験しないと分からない、未知の感動がきっとありますよ」
――僕は宮川彬良さんの「シンフォニック・マンボNo.5」も非常に楽しみにしています。声も出したいな(笑)
梶本「あれは僕も期待しています。また、今回はオマージュ作品にもぜひ注目を。渋さ知らズオーケストラが毎年入ってくれていて、彼らは無茶苦茶やっているように見えるんですけど、実はけっこう真面目に、テーマをちゃんと読み込んでいるんです。今回のテーマ、ベートーヴェンをどう取り込んでいくかが、とっても楽しみですね。
そして『ハバナのベートーヴェン』や、ルネ・マルタンのおすすめ『ルネ・マルタンのル・ク・ド・クール〜ハート直撃コンサート〜』も面白いと思います」
――1公演1500円から、S席でも3000円という料金設定もいいですね
梶本「過去には、マルタ・アルゲリッチやイーヴォ・ポゴレリッチも出演したことがありますし。もちろん彼らは一流のプロフェッショナルだから、本当は高いギャラが必要なのだけれど、将来のクラシックファンへの投資と考えてくれましたね。クラシックは素晴らしいということを、広く知ってもらいたいというね」
――そして「ラ・フォル・ジュルネ」といえば、赤ちゃんコンサート。これまでの掲載記事でも一番反響がありました
梶本「今年も0歳からのコンサートが2公演あります。いつもけっこう一杯になるんですよ。皆さんがおむつ替えとか、赤ちゃんが泣くのが心配だとおっしゃるんですけど、泣き出してしまうお子さんがいても途中でロビーに出て休憩をして戻ってきたりと、自由な雰囲気のコンサートなんです。 また3歳から入れるコンサートは8公演、そのほかのコンサートも6歳からOKなので、お子さん連れでもぜひお気軽に来てほしいですね。
そういえば数年前から、毎年2組のファミリーが隣同士の席を取って来てくれていて、その子どもたちがもう中学生になったと新聞の取材を受けていたんですよ。毎年ここで会っている、と。それはうれしかったです」
ピアノフェスティバルやアートに触れられる移動遊園地KAJIMOTOの次なる夢は?
――「ラ・フォル・ジュルネ」も今年復活して、さらに盛り上がりそうですが、梶本さんにはまだまだ叶えたい夢があるとか
梶本「ルネがやっている、ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノフェスティバル、そしてもうひとつ、ルナルナという移動遊園地があるんですが、このふたつはまだ実現できていないんです。
ルナルナは、80年代後半にウィーンのアーティスト、アンドレ・ヘラーの企画によってドイツのハンブルクで開催された、移動遊園地式の現代アート展なんですが、本当に素晴らしいアイデアで、子どもたちが最先端のアーティストの作品に触れることができるんです。作品が遊具として遊園地に置かれていて、美術館みたいに遠くから観るんじゃなくて、子どもたちがオブジェに触ったり、観覧車などの乗り物に乗ったりできる。
参加したアーティストも半端なく凄かった。キース・ヘリング、バスキア、ダリ、ヨーゼフ・ボイス、リキテンスタイン。当時はまだ無名で、今では有名になったアーティストもいて、みんな若かったから一生懸命作っている訳ですよ」
――日本で開催する権利を既に得ていますね
梶本「そうなんです。せっかく権利をもらったのに、いろいろなハードルがあって、まだ実現できていない。けれど僕は、ぜひいつか丸の内でやりたいという、新たな夢を描いています」
普段着のままで素晴らしい文化や芸術に触れられて、いつも人で賑わっている。そこに住んでいることが楽しくて誇りになるのが、本当の成熟した街の姿。ルネ・マルタンとの出会いからクラシックは堅苦しいという因習を拭い去り、丸の内の街づくりを躍進させた音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」の誕生と継続には、梶本氏と数々の運命的な出会いと丸の内びとの思いがあった。
文化力という国力で、日本を発展させていくという使命を担う「ラ・フォル・ジュルネ」。泣いたって騒いだっていい、赤ちゃんコンサートからクラシックに親しんだ子どもたちが大人になる頃、日本はさらに大きく変わるのかもしれない。
梶本眞秀(かじもと・まさひで)●1951年生まれ、兵庫県出身。株式会社KAJIMOTO代表取締役社長。1975年、米マサチューセッツ州クラーク大学卒業。ポピュラー音楽の仕事に携わった後、梶本音楽事務所入社。1992年、梶本音楽事務所の代表取締役社長に就任。2009年、クラシック音楽界の既成の概念を打ち破り新風を吹き込むべく、アート・ディレクターの佐藤可士和氏とのコラボレーションで、社名を梶本音楽事務所からKAJIMOTOへ変更した。年間を通じて、海外からの数々のトップ・アーティスト、アンサンブル、オーケストラを招聘するとともに、数多くの優れた演奏家を日本国内に加え、海外にも広く紹介している。また、世界最大級のクラシック音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ」を全国で展開、2013年より東日本大震災復興支援プロジェクト「アーク・ノヴァ」を実施。2001年、フランス共和国芸術文化勲章オフィシェ授章。2006年、イタリア共和国功労勲章グランデ・ウッフィチャーレ受章。2019年2月、フランス共和国芸術文化勲章コマンドゥール受章。
聞き手=玉置泰紀(たまき・やすのり)●1961 年生まれ、大阪府出身。株式会社角川アスキー総合研究所・戦略推進室。エリアLOVEウォーカー総編集長。国際大学GLOCOM客員研究員。一般社団法人メタ観光推進機構理事。京都市埋蔵文化財研究所理事。大阪府日本万国博覧会記念公園運営審議会会長代行。産経新聞〜福武書店〜角川4誌編集長。
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