ソニー製携帯電話の黎明期を振り返る
今やみんなの超必需品といえば、スマートフォンですね。そのスマートフォンの前身となる携帯電話が世の中で普及しはじめたのは1990年代。ソニーからも多くの携帯電話が発売されました。
歴史を遡ってみると、ソニーがはじめて投入したモデルは、1989年に発売された「CP-201」。いわゆるショルダーフォンとも呼ばれる、本体を肩にかけて受話器を持って電話するタイプです。最近だと芸人の平野ノラさんの「しもしも~?」というネタになっていたアレです。
もともとはそれよりも前にアメリカ向けに売り出す予定だった自動車電話が存在したものの、結果として発売に至ることはありませんでした。その幻の初号機をもとに、半分の大きさを目指してでき上がったのが、980gという重さに収まった「CP-201」でした。
小型化にあたって、もともと入っていたヒートシンクが大きすぎたという事もあり、本体にファンを内蔵して冷却する機能を搭載しています。サイズは210×59×69mm、重量980gと、今考えるととんでもない重さと大きさです。
そもそもが車内での使用を想定していたことから、車はもちろん外にも持ち出して使える「車載携帯」という1台で2役を実現。自動車電話は本体の無線部分をトランクに載せ、通話用のトランシーバーとなる部分を車内に載せる大掛かりなものでした。それがひとつになったことで、当時の忙しいビジネスマンの間で大活躍したという話を聞いたことがあります。
その後、DDIセルラーの初期モデルとして1991年に登場した携帯電話が「HP-211」。片手で持てるハンディータイプで、テレビのリモコンのようなボディーと液晶ディスプレーを装備。アンテナは手で引っ張って引き出す方式で、バッテリー部分はマイクと一体型になっていて取り外せる機能を備えていました。
そして、その後に出た2号機は忘れもしない1994年に発売された「HP-231」。筆者が初めて手にした携帯電話です。カードサイズの超小型サイズが特徴で、マイク部分は折りたたみ式になっておりワンタッチで伸ばして使うタイプでした。ディスプレーも何もないシンプルなモデルでしたが、大きなイメージのあった携帯電話がこんなに小さいなんてすごいじゃないか! と社会人になりたての1年目に購入したことは覚えています。
胸ポケットタイプと言いながらも、アンテナロッドは固定式で引っ込めることはできず、しかもそこそこの重量もあったので、実際に胸ポケットには入れたことはありませんでした。携帯電話を持った事がうれしくて、電話番号を友だちに知らせまくったり、飲み会で見せびらかしたり、ドヤ顔で使っていたのです。けれども用件が終わったら即終話。なぜなら通話料がやたらと高くて、長々と電話してるととんでもない料金になってしまうからです。
ポケベルが流行っていた頃
JKは公衆電話でボタンを連打しまくりだった
話は若干それますが、携帯電話がなかった時代の通信手段はどうしていたんだい? と若い人は思うでしょう。その時代に活躍していたのが「ポケベル」というアイテムでした。「ポケベルが鳴らなくて」というドラマで有名なあのポケベルです。このドラマも古いので若い人にはピンと来ないと思いますが……。
筆者が入社した企業でも、このポケベルが営業新人1年目にして支給されたのですが、これがまぁまぁな地獄絵図でした。ポケベルは、特定の数字を表示することだけに特化した通信端末。呼び出し音がピーピーピーピーと雄叫びをあげて、ドキッとしながら目をやるとディスプレーに自分の会社や取引先の電話番号だけがただ表示されるだけ。この番号に電話してねと。
一体どんな用件なのか? 上司怒ってるのかな? 取引先で何か起きたのかな? と、高速道路に乗っている途中にサービスエリアに寄って、公衆電話で電話をかけるあの憂鬱さはたまったもんじゃありません。ときには、暗号文のように数字を文字に見立てて用件を伝えられます。今では絶対に考えられないような通信手段ですが、大真面目にビジネスで活躍していました。
それを考えると、携帯電話のいつでもどこでも直接話せることがどれだけスゴいことなのか! と思います。でも時と場合によっては、携帯電話もまた諸刃の剣です。会社用の携帯電話があるならまだしも、プライベート用の携帯電話しかない場合、これが会社の上司に知られようものなら、休日・昼夜を問わずじゃんじゃん電話がかかってきて、もはやそのほうが地獄です。
いかに会社では携帯電話を持っていない事を極秘にするか、あぁ、また一人先輩の携帯番号が上司にバレてしまった……、とまるでサバイバルゲームのようでした。今となってはいい思い出です(たぶん)。
携帯電話のブレイクスルー!?
ジョグダイヤルのムーブメント
そんなどうでもいい歴史は置いておいて、ソニーの携帯電話のムーブメントがこの頃に起きました。そうです、知る人知る“ジョグダイヤル”を搭載した携帯電話です。ジョグタイヤルというのは、ビデオレコーダーのテープをコントロールするダイヤル操作メカニズムに着想を得たもので、本体の前面にある円形のダイヤルを上下に動かすことで音量を調節したり電話帳検索時に送り戻しをできるというもの。確か、1994年に登場したツーカー向けの「TH241」に備わったマルチファンクションダイヤルが起源になっています。
その1年後には、1回の動作ごとに1つつづ送るアクションから、親指1本でなぞって「回転」、そのまま押し込んで「決定」という直感的な動作の「ジョグダイヤル」へと昇華しました。ジョグダイヤルをくるくる回すと動作に連動してディスプレーに表示された電話番号も同期して目まぐるしく変わるギミックが心地よく、「クルクルピッピ」という愛称とともにソニーの携帯電話の代名詞にもなりました。
筆者もこの頃に発売されたソニー製携帯電話をいくつも機種変更したことを覚えています。
その後、発売されたソニーの携帯電話には必ずジョグタイヤルが搭載され、機能もブラッシュアップされていき、2000年にはそれまではサイドにあったジョグタイヤルはセンタージョグに形を変えながら長年にわたって採用され続けました。
とはいえ、2000年以降の携帯電話業界の中ではソニーのポジションは盤石ではありませんでした。強い勢力を持ち始めたドコモと共同開発を進めるメーカー、いわゆるP.N.D.F(松下通信工業、NEC、三菱電機、富士通)が圧倒的に強く、それは販売台数についても同様でした。
ソニーは、それら主要メーカーの次点的存在から抜け出すことはできていませんでした。唯一、auからはメモリースティック搭載のMSウォークマンや、パネル交換ができる着せ替えケータイ、BluetoothでVAIOノートと連携してワイヤレスデータ通信ができるといった、ソニーらしさを放つモデルもいくつか登場しました。
ですが、あくまでもソニーファンの支持にとどまり、爆発的ヒットにはなりませんでした。その後、ヨーロッパの大手通信機器メーカーであるエリクソンと合弁事業によってソニー・エリクソンが発足し、新たなチャレンジに向かうのはもう少し後の話になります。
筆者紹介───君国泰将
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