色物扱いだったHHKBだが長い積み重ねのあと集大成となるHYBRID Type-Sをリリースできた
最後はトークセッション。「~HHKB黎明期 25年前何があったのか~」というお題で、当時の開発に関わった皆さんが登壇した。元PFU社員の富士通システム総合研究所 白神一久氏とテラテクノス取締役CTO 八幡勇一氏、そしてHHKBといえばこの方、PFU社長室シニアディレクター松本秀樹氏だ。
HHKBの誕生は25年以上前に遡る。白神氏が和田先生によるキーボードの論文を読み、その感想を上司に伝えたところ和田先生と話をする機会が得られたそう。白神氏はソフトウェアエンジニアだったので、八幡氏と一緒に半年かけて試作を行なった。
キーボード配列は和田先生が考案した「alephキーボード」がもとになっているのだが、そのままではPCにつないだときに足りない。BIOSを操作するキーやMacだとオプションやコマンドも必要になる。そこで、HHKB配列を和田先生に贈ったところ、なかなか厳しい返事が返ってきた。
スペースキーの両側にAltキーを追加するだけでも譲歩したのに、さらにキーを増やすのが納得いかない、というのだ。左右非対称なのも気に入らないし、工夫すれば使えるのだから工夫すればいい。どうしてもMac用のキーを追加しなければならないなら、Macは対象機から外してもしかたがない、というものだ。
とはいえ、メーカーなので最低限のキーは必要、ということで現在の配列となり、SUN、Windows、Macに対応した。さらには、「Fn」キーに関しても一筋縄ではいかなかった。
「ファンクションキーは裏メニューみたいな形でした。BIOSだけ操作できればいいので、カーソルキーは左側に置いていました。そうしたら、Windowsを使っている人から片手で操作したいから右側にも持ってきてくれ、と言われてこういう配列になりました」(八幡氏)
ただ、初代HHKBはPFU研究所で作っていたので、社内の販売チャネルがなかったそう。基本BtoBのビジネスを行なっていたため、事業部の製品であれば営業経由で売れるのだが、BtoCの製品なので苦労したそう。最終的に、消耗品を販売している部隊のルートで会計処理を行なった。
販売は現在のPFUダイレクトの原型になるような通信販売。当時はまだパソコン通信で、本当に先駆け的な取り組みだったようだ。
「最初の『PD-KB01』はSUNワークステーションとPCにしか対応していなくて、1年くらいしてようやくMacに対応しました。おおらかな時代でしたよね。1999年に金型の焼却が終わったとたんに、1万円値下げしたという(笑)」(松本氏)
広告宣伝費もなかったので、和田先生の「アメリカ西部のカウボーイたちは、馬が死ぬと馬はそこに残していくが、どんなに砂漠を歩こうとも、鞍は自分で担いで往く。馬は消耗品であり、鞍は自分の体に馴染んだインターフェースだからだ。いまやパソコンは消耗品であり、キーボードは大切な、生涯使えるインターフェースであることを忘れてはいけない」という言葉をうまくマーケティングに活かしたそう。
社内でのHHKBは王道というより、マイナーで色物だった
Happy Hackingという名称がらみでもいろいろあった。日本で商標登録しようとしたら、特許庁から拒絶通知が来た。当時はハッカーとかハックというと、悪いことというイメージが流布されていたためだ。そこで、「ハッカーズ」(スティーブン・レビー著)という本の内容を提出し、商標登録を行なった。
アメリカにHHKBが進出する際も、Happy Hackingという言葉が問題になり、HHKBとなった。Happy Hackingと書いてある部分にはネームプレートを貼って隠したそうだ。
安価モデルの「HHKB Lite」や「HHKB Lite2」は、高価なためなかなか広まらなかった初代「HHKB」の事業の目を潰さないために開発したという。胸が熱くなる。
2003年、「HHKB Professional」がお目見えした。積極的に新製品を出したいという思いのほか、それまでキーボードを作っていた会社が撤退することになり、新企画を行なうことになったそう。
「当時、キーボードは東プレさんが評判になっていたんです。もしくは、メカニカルのどちらかで作れないかなと思って、いろいろ当たってました」(八幡氏)
とは言え、当時は結構、大変だったようだ。HHKBは我々から見ると、PFUの王道の商品に見えるが、内部ではマイナーで色物という空気感だったという。
たとえば、金型の稟議を申請しようとしても、数千万円かかるために当時の事業部長にダメ出しを食らう。製造先と調整して1台ごとにパーチャージで乗せてもらうように、という話になったそう。何とか3年の目標台数を決めて動かしたところ、1年も経たずに達成して「HHKB Professional」は大成功を収めることになる。
「結局、HHKBの歴史は、そういう風に誰かがネガティブだったりしても、たとえば社長がしっかり支えてくれて、ずっとやってこれました。けっこう茨の道で、僕の心が折れていたら、これはなかったかもしれない」と松本氏。
そして2019年、HHKBの集大成である「HYBRID Type-S」の発表と「ロングライフデザイン賞」を受賞という大きなイベントがあった。
「この年は本当にいい年でしたね。今まで、PFUの中でHHKBがずっと継子(ままこ)みたいなところもありましたが、「HYBRID Type-S」を開発するプロジェクトができた時に、うちの技術部門が気合いを入れてやってくれて、本当に素晴らしい集大成になりました。同時に、ロングライフデザイン賞ももらえた。これもメーカー冥利に尽きます。20数年間やってきて、この賞をいただいたと。われわれの誇りだと思ってます」(松本氏)
トークセッションのあとはZoomの参加者にプレゼントが当たる企画が行なわれて、ミートアップは大団円で終了した。
オンラインとはいえ、大盛り上がりだった。ミートアップらしく、登壇者のぶっちゃけトークがとても楽しかった。今後もHHKBが躍進していくことを期待したい。