まわりの家がすべて水没してしまった
── 家が浸水しはじめたときのことを教えてください。
午前2時45分ごろ、トイレからゴボンゴボンと異音が聞こえはじめました。「トイレから異常な音が聞こえたら床上浸水がはじまる」と教えてもらったことがあり、音が家に響き渡るのが怖くて、便器に詰め物をして音をむりやり押さえました。
床上浸水に備えて机の上に荷物を移動していると、いきなり床下収納のフタが浮き上がりました。足でおさえつけたもののその勢いは強く、まったく意味がなかったため、フタをはずして放置しました。
それから水道が使えなくなる前に急いでペットボトルに水をため、食料などをかかえて二階に避難しました。床下収納が浮き上がったのを見て、部屋数の多い昔ながらの畳敷きの家屋でこの状況になってしまうと、足場が浮き上がって、高齢者はとても逃げられないだろうと思いました。
床上10cmくらいまで水位が上昇すると自宅が停電し、家の中が真っ暗になりました。はじめはブレーカーを入れなおそうと思ったものの、感電の恐れがあったため断念し、携帯電話のライトで明かりをとることにしました。
寝なければ体力が持たないと判断して、しばらく飼い猫と2階で転がっていましたが、少しずつ階段に水が迫ってくるのがわかりました。「このまま2階以上に水位が上昇したら……?」と思って、浮き輪代わりになるものがないか探しました。灯油ポリタンクを見つけたので部屋に配置しました。
この頃から、水位が上昇するにつれ、なぜか部屋が一気に暑くなっていきました。
午前4時45分頃、ついに水位が2階まで到達。ベランダから出て屋根の上に逃げるための準備をはじめました。仕事道具を持って逃げようかと思ったものの「救助の際に隊員たちの作業の邪魔になる」と判断し、貴重品や傘など最低限の装備だけを持ち、リュックサックの中に猫とエサをつめて脱出しました。
直接に2階の屋根に登るのが難しい構造の家だったので、ひとまず1階屋根に登りましたが、先ほどまでの蒸し暑さがうそのように寒く、雨に体温を奪われないよう傘をさしてひたすら待っていました。
午前5時をすぎたころ、一度母親に電話したところ、「消防車を呼びなさい」と言われました。「まわりの家がすべて水没している状況を見る限り来られるわけがない……」と思いつつも119番に発信しました。電話はまったく通じず、もしかして倉敷市全体が水に沈んでしまったのでは……と不安でした。このころから携帯電話の通信が不安定になり、ドコモはどうにかギリギリ通話ができる状況でした。
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