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「田舎だからこの程度でいい」なんて言わせない

秋田から発信するneccoの力強く自由な生き方、働き方

2018年05月02日 10時30分更新

文● 重森大

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秋田県秋田市にあるnecco(ネッコ)。会社を興した東京出身アメリカ帰りの阿部 文人さんは「デザインを通じてお客さんに儲かってもらいたい」という、わかりやすいが簡単ではない目標に向けて、日々努力を続けている。前職で知り合ったという森下 裕介さん、今 聖菜さんらコアメンバーに集まってもらい、起業の経緯や働き方、これからの展望について話を聞いた。

こだわり抜いたneccoのオフィス、木漏れ日が心地よい

フルリモート体制から、居心地のいいオフィス作りへ回れ右!

 阿部さんは東京生まれ東京育ちで、かつては東京のIT企業に勤めていた。しかし最先ビジネスの現場に身を投じたくなり、単身渡米。約1年間を過ごしたアメリカでもっとも強く感じたのは、多様性を受け入れる土壌があることだったという。

「生まれ育った国さえ違う人たちが、ネイティブではない英語でいろいろなことを言い合いながら、いろいろなアイデアを生み出していました。どこで生まれたか、どんな風に生きてきたか、そんなことにとらわれない自由さを実体験で感じました」(阿部さん)

necco CEO Creative Director / Engineer 阿部 文人さん

 帰国後の阿部さんは生活環境の変化もあり、秋田に引っ越し地場のIT企業に入社。そこで現在のメンバーと出会い、2016年にneccoを立ち上げた。起業当初のメンバーは3名。オフィスもなく全員がリモートワークというノマド企業だった。従業員の大半がリモートワーカーという企業はベンチャーでは珍しくなくなったが、オフィスもない完全なリモートワーク企業というのは、さすがに珍しいのではないだろうか。そんな極端なスタイルでスタートしたneccoも、いまでは立派なオフィスを構えている。一体どのような変化があったのか。

「全員がリモートワークだと、コミュニケーションは文字が中心になります。文字コミュニケーションには慣れているつもりだったのですが、仕事に追われているときなどはやりとりがギスギスしてしまって。次第に私の自宅やカフェなどで顔を合わせて打ち合わせをする回数が増えていきました。何事も極端はよくないんだと学びましたね(笑)」(阿部さん)

 何事も極端はよくないと学んだはずのneccoの人たち。今度は快適なオフィスづくりに多大な力を注ぎ、社員にとっても来訪者にとっても気持ちよく過ごせるスペースを作り上げてしまった。

「居心地の良さにこだわるあまり、最初に購入したのはダイソンの掃除機と、本格的なマッサージチェアでした(笑)。デスクは1人当たり150センチ、大型モニタを置いても圧迫感のないスペースは絶対に譲れません。」(阿部さん)

 うーん、それはそれで極端だと思うんだけど。

創業当時からオフィスに備えられたマッサージチェア

「オフィスを整備したからといって、必ず出社しなければならないという訳ではありません。お客さんとの約束さえ守れれば、ひとりの方が集中できる作業はリモートで、遅い時間まで作業した翌日はお昼頃にのんびり出社したり。とにかく辛い仕事をさせたくないので、自由度は確保したいと思っています。会社に行きたくないって思ってほしくないんです」(阿部さん)

ITビジネスはどこでもやれるってことを、秋田で証明したかった

 元々秋田出身ではない阿部さんなら、同じ東北でも仙台などビジネスの中心的な街で起業した方が有利だったのではないか。そう問うと阿部さんは、秋田で起業したいくつかの理由を教えてくれた。もっとも大きな理由は一緒についてきてくれるメンバーがいたことだというが、それ以外にも秋田で起業した訳があった。

「確かに秋田よりも仙台の方がITという面では進んでいて理解のあるお客さんも多いと思います。でもITって、どこでもやれる仕事だって言いますよね。だから秋田で起業して、秋田でもやれるよって証明したかったんです」(阿部さん)

創業当時を振り返りつつ語ってくれた阿部さんと森下さん

 阿部さんは起業に踏み切った年齢が遅かったことも気にしていた。ITベンチャーでは、ファウンダーが20代で興したという企業が珍しくない。阿部さんは東京、アメリカで経験を積んで来た分、スタートが遅かったと感じているようだ。

「東京に戻って起業するとライバルが多くて、目立つまでに時間がかかるでしょう? 秋田はビジネスのパイは小さいかもしれませんが、その中でとがったことをやればすぐに認知してもらえると思いました」(阿部さん)

 ビジネスにおいて目立つことは、いい面と悪い面がある。特に狭い地方社会ではデメリットを多く感じやすいと思うのだが、その点、阿部さんは秋田出身ではないよそ者。しがらみがないので、同調圧力も気にしない。そのうえ、多様性を受け入れてビジネスを加速させるアメリカの文化も経験し、外の視点を持っている。結果的に、秋田で目立つことはメリットの方が大きかった。

 阿部さんの周りには、同じような思いを持つ人が集まり始めた。先進的な取り組みに理解を示してともに歩み始めた取引先や協業先、思いを同じくしてneccoにジョインしてくる人、さらには地域社会との接点も生まれた。今では秋田市内の専門学校の教育課程選考委員の一翼も担っており、一般企業で求められる技術を教育課程に取り入れる手伝いをしている。

前テナント(猫カフェ)の名残であるカウンター席とキッチンはそのまま使われている

 もうひとつ、秋田には日本でも数少ない公立美術大学である、秋田公立美術大学があるのも秋田で起業した理由に挙げられた。美術大学はあるけれど、そこで身につけたデザインの技術を活かす就職先がない。せっかく秋田で学んだ若者が秋田に残れないのはもったいない。秋田に残りたいという人に少しでも多く働く場を作っていきたいと阿部さんは言う。そのためにはneccoだけががんばるのではなく、秋田の企業に「デザインを活かす」ことの必要性を理解してもらわなければならない。必要性を理解してもらうために一番手っ取り早い手段は、デザインを活かすことで儲かる体験をしてもらうこと。だからこそ、阿部さんは「お客さんがデザインを通じて儲かること」にこだわり、揺るがない目標として据えているのだ。

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