前編 ~作家とリスナー、コンサートとレコードの関係~
なぜ音楽は無料が当たり前になってしまったのか
2015年12月29日 09時00分更新
「適当に聴き流す」から芸術に昇華されたコンサート
前述の“音楽の生産/消費のされ方は時代によって劇的に変化している”ということで言えば、“アルバム”が持っていたと思われる全体性=楽曲制作者が思い描いたトータルな世界観は、レコーディング技術の飛躍的な発達以前にはむしろ「コンサート」のほうに認知されていた。現在のクラシックの演奏会で常識となっている、厳粛に音楽と対峙し、作曲家や演奏家の精神性を読み取ろうとするあの態度である。
ところが、こうしたコンサートにおける音楽との接し方も19世紀の新興ブルジョアジーの台頭とともに誕生したものに過ぎず、さらに以前の18世紀の演奏会というのは貴族階級の社交会におけるBGM程度の代物だった。J・S・バッハもモーツァルトも、聴衆はおしゃべりをしながら、飲み食いをしながら喧騒の中で適当に聴いていたのである。
これが19世紀に入ると娯楽に金を回すことができる中産階級の出現によってコンサートがビジネスの体裁を整え、同時に“音楽がれっきとした芸術である”といういわば音楽の地位向上のために、楽曲に注入された作曲家の精神性、演奏家が表現する楽曲の世界観がスポットライトを浴びるにいたった。このあたりの歴史については音楽美学者・渡辺 裕氏の「聴衆の誕生 ポスト・モダン時代の音楽文化」に詳しい記述がある。
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音楽美学者・渡辺裕氏による「聴衆の誕生 ポスト・モダン時代の音楽文化」(中公文庫)。1989年の第11回「サントリー学芸賞・芸術・文学部門」を受賞した良書 |
ことほどさように、「音楽と人々との関係」はその時代の社会状況などを反映してたやすく形を変え、常に移ろっていくものなのである。だから、レコーディング技術の進化の渦中、コンサートにおける音楽の一回性や全体性に対する崇拝に異議を唱えるアーティストも登場した。カナダの作曲家であり天才ピアニストであったグレン・グールドである。
(次ページでは、「コンサートへの嫌悪がレコードという世界観を生み出した 」)
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