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『マリッサ・メイヤーとヤフーの闘争』特別企画

グーグルを勝利に導いた美人 マリッサ・メイヤーとは

2015年11月05日 09時00分更新

文● ニコラス・カールソン 編集● 盛田 諒(Ryo Morita)

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グーグルが業界を支配していく

 APM実験を拡大する許可をメイヤーは得た。

 ラコフスキのような新卒生を雇い、彼らを各エンジニアチームに配置する。毎週彼らとミーティングをして、彼らが携わっている製品開発の進捗状況を確認した。もちろん、彼らがチームとうまくやっているかもチェックする。

 最終的に、正式にAPMプログラムをスタートさせることになった。期間は二年、四〇人前後のAPMを雇った。プログラムの一年目が終わったころ、メイヤーはAPMたちを世界旅行に招待した。世間の人々がグーグルをどのように利用しているのか、彼らに見せるためだ。

 このプログラムからグーグルは大きな利益を得た。組織が若返った。しかし、最も大きな恩恵を受けたのはメイヤー自身だ。たくさんの若者を雇い、彼らを直属の部下として全プロダクトチームに配置することで、彼女のグーグルでの権力が一気に強まった。彼女こそがグーグルのコンシューマー・プロダクト部門の実質上のトップとなった。

 ときには、エンジニアたちがAPMの受け入れを拒むこともあった。二〇〇三年、新しく発足したチームにブレット・テイラーという名の男がAPMとして初めて顔を出した。するとチームのエンジニアリングマネジャーが彼にこう言った。「君は役立たずだ。プロダクトマネジャーといっしょに仕事をするつもりはない」

 しかし、APMプログラムはグーグル首脳のお墨付きをもらっている。テイラーも引き下がるわけにはいかない。

 メイヤー自身、自分のやっていることがある種の縄張り争いであることは理解していたが、けっして権力闘争だとは思わなかった。自分ができることはすべてやる。それが会社にとってベストなことだと、みんなが認めている。そう考えていた。最高のチームに属し、その役に立ちたい。ずっとそう願っていた。

 メイヤーはAPMプログラムに誇りをもっていた。ほかの人々の前では内気な彼女も、自分が選んだAPMたちの前ではそうではなかった。世界旅行の最中、彼女は彼らの指導者であり、スポークスマンだった。オフィスでは、彼らの個人的なあるいは仕事上の問題に対するアドバイザーだ。

 もちろん、APMの全員がメイヤーを好きだったわけではない。気が合わない者もいた。しかし、そんな彼らも、メイヤーに気に入られ、彼女の独特な性格に慣れることさえできれば、彼女を受け入れるようになっていった。するとメイヤーのほうも、より親密につきあってくれる。ラリー・ペイジとの生活などプライベートな話もしてくれるし、ジョークを言い合うこともできた。

 逆に、気に入らないAPMに対しては、メイヤーは非常に冷たかった。彼らの仕事を批判した。そうした批判になれていないAPMにとっては、メイヤーはわずらわしい存在だった。APMプログラムが始まってから三年ほどの期間で、一〇人を超えるAPMが涙を流しながら、メイヤーのオフィスを去って行った。

 二〇〇三年、CEOエリック・シュミットはすでに周知の事実であったことを公式に発表した。検索を含むグーグルのコンシューマー・プロダクトすべてのユーザーインターフェイスの責任者として、マリッサ・メイヤーを指名した。そして二〇〇五年には彼女を副社長に任命した。彼女の顔写真と経歴がグーグルサイトに掲載された。

 二〇〇〇年にUIミーティングに参加してから、わずか五年で副社長だ。信じられないスピードで出世した。

 グーグル検索は業界を支配していた。人々はGメールやグーグル・ニュース、グーグル・マップに群がった。

 この成功はメイヤーの情熱によるところが大きい。彼女は〝ユーザーの通り道〟を可能な限り簡素にすることに執着した。一般のユーザーがウェブを利用するときに、どこをクリックするのか、どんなプロセスを利用するのかを考え、その道筋を単純にすることを目指した。

 いわば、〝共感〟がもたらした勝利だ。

 子供のころから人になじむのが苦手だったマリッサ・メイヤー。ロボットと呼ばれたことも、高慢ちきと言われたこともあった。人の目を見て話すことすらできなかった。部下のプロダクトマネジャーを冷たい態度であしらった。

 その彼女が、グーグルの何千万、何億という数のユーザーと心を通じ合わせたのである。

 どうして、そんなことが可能だったのだろう?

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