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私がFacebookをやめられない理由

2014年05月20日 07時00分更新

文● Selena Larson via ReadWrite

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私はまだ、Facebookの「いいね」に捕らわれている。

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数ヶ月前、私はオンライン中の貴重な時間を消費してしまうソーシャルネットワークを放棄できないかという実験を開始した。その後、私は自分が必要としている以上の交友関係をFacebookに頼って維持している事に気付いた。Facebookを放棄することは、これらの友達を放棄することであり、それは私が思っていたよりも遥かに大変なことだと判明した。

2月3日、私の投稿:

Facebook10周年を記念し、私はアカウントを停止しようと思います。管理が大変だし、また(正直なところ)雑音が多過ぎます。私に連絡する際は、TwitterかSkype @selenalarson、或いはEメールでお願いします。

私の決心は続かなかった。

Facebookを退会すると宣言した後、「やめないで」という内容の数件のメールとFacebookからのメッセージを受け取った。だが私はこの実験を続けたかったので、友達には「連絡を取る際はメールかツイートしてね」と伝えておいた。

ReadWriteのソーシャルレポーターとして、実際のアカウント無しではFacebookをカバーできない為、私はアカウントを完全には停止しなかった。そのため未だに「写真にタグ付けされました」或いは「イベントに招待されました」といった不定期の通知が届く。だが、誰も私の過去の写真にコメントしたり、会話を始めたり、或いは挨拶がてらに連絡をとって来たりはしなかった。

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交友関係を諦めるか、或いはプライバシーを諦めるか

友達がFacebookに投稿するくだらないリンクの数が多すぎることが私のストレスの直接的な原因だった訳ではないが、くだらないリンクが多すぎることは事実だし、私は友達リストから彼らを削除しようと思う。問題なのはこうした友達以上に、Facebookが私についてあまりにも多くを知っている事だった。

友達と連絡を取る手段としてFacebookを利用する為に、私はFacebookにインターネット上の個人生活へとアクセスすることを許している。Facebookは、私の好きな映画、住んでいる場所、親友達、使っているアプリを知っている。なぜならこの7年間、私はFacebookに情報を与えながら過ごしてきたからだ。手を引くには遅すぎるが、私は今、記事よりも自分のプライバシーを大事にしようと決めた。

以前よりも個人のプライバシーを重視するようになった最近のFacebookの努力は、正しい方向に向けた第一歩だ。だが、先日Facebookが導入した「匿名ログイン」機能は、厳密に言うと匿名ではない。サードパーティのアプリはあなたが誰だか分からないだろうが、Facebookは分かっているからだ。

関連記事:Facebook がようやくプライバシー問題に本気になった

Facebookはもはやただの友達と過ごすための場所ではない。広く普及した侵略的アイデンティティマネージャーだ。このソーシャルネットワークは、私達のオンライン上の行動を把握し、取得した情報を与える相手もコントロールしたがっている。Facebookは友達が集う場所かもしれないが、Facebook自体は私に対してそれほど友好的ではないのだ。

侵略的監視とデータプライバシーの侵害の現実的な脅威が人々を不快にさせ続けている為、ハイテク企業は徐々にユーザーの信頼維持を意識し始めている。だが、政府の国民監視に対するFacebookの抗議をまともに受け取るのは難しい。Facebookの方がはるかに効率的に我々の生活をスパイしているからだ。

Facebook:ヴァーチャルペンパル用の郵便局

私はアリゾナで2年過ごした後、1年前にサンフランシスコへ引っ越して来た。引っ越した際、私は友人や家族の近況を知る為にソーシャルネットワークに頼っていた。お互いをつなげておく手段がソーシャルネットワークだという事は少し悲しかったが、特に変えようとは思わなかった。

アリゾナを離れて以来、私の交友関係は劣化した。毎週末日光浴をしながら会っていた友達がデジタルのアカウントに代わり、その大半はFacebook上でしか会えない。つきあっている相手や子供の成長、最近の仕事に関する情報も、直接会って聞く代わりにFacebookの投稿で知った。

ソーシャルネットワークから離れて過ごした2ヶ月の間、去年よりもそうした友人達に会いたくなっている自分に気がつき、彼らとの会話や接触を切望した。私は何人かに「元気?会いたいよ」とメールをし、一人には電話まで掛け、 1時間もしゃべった。Facebookで友達に「いいね!」をする事は覚えているのに、メールをするのを忘れていた自分が恥ずかしい。

「取り残される不安」は深刻だ

dolores-parkFacebookを削除して以来、私は何となく孤独を感じていた。その原因は、私が自己中心的な性格のせいで遠距離の関係を維持できない酷い人間だからかもしれない。或いは認める認めないに関わらず、Facebookはやはり私たちの交友関係を強化しているのかもしれない。おそらくはその両方だろう。両方の要因が、私の孤独感を作り出しているのだ。

イギリスの人類学者であるロビン・ダンバーは、「Facebookの優れた点は、遠距離の友人とも連絡を取り合うことで、関係が崩れるペースを低下させることだと思う」と言っている

私が過去に大切にしていた交友関係の多くは、長年「いいね!」やコメントを続けるうちに、ただのFacebook上の「友達」に変わってしまった。私は彼らを本当に恋しく思う。私は、彼らと現実世界でコミュニケーションを取ってこうした交友関係を強化することに決めた。電話を掛けたり、インスタグラムに写真を投稿する代わりにもっと個人的な写真をメールで送ったりする。そして、「いいね!」ボタンのやり取りに成り下がっていた関係をちゃんと築き直すのだ。

ある意味、Facebookを離れることは、本当の友達が誰であるかを私に分からせてくれた。だから私はFacebookを辞める代わりに、418ある友達リストを100程まで削ろうと思う。

さあ、Facebookの整理を始めよう。友達リストのほとんどは、既に本当の友達ではない。ソーシャルネットワークからの情報や関連ニュースも受け取らない。雑音を取り除いたり、「いいね!」や「マイロケーション」のような個人情報を削除する事で、友達と過ごす為の場所として使い始めたFacebookをまた使うことができそうだ。

いつかFacebookの代わりとなるようなサービスができて、私が大切に思っている人たち皆がそれを使い始めるまでは、私はFacebookの大きな青い親指に捕まったままだろう。そんな状況を「いいね!」と言う気には到底なれないけれど。

トップ画像提供:Donna Larson、文中画像提供:Selena Larson

Selena Larson
[原文]


※本記事はReadWrite Japanからの転載です。転載元はこちら


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