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ついに上陸解禁! 日本一有名な廃墟、軍艦島に行ってきた!【後編】

2009年04月19日 21時00分更新

文● 伊藤 真広

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 廃墟マニアの聖地として有名な“軍艦島”だが、今年の4月末より一般観光客の上陸が許可されることになった。その情報をキャッチしたASCII.jp取材班は、一足先に長崎市の協力を得て軍艦島に上陸した。

世界文化遺産の暫定リストに登録され、4月末より一般観光客の上陸が許可される長崎県の端島。通称「軍艦島」

 軍艦島に上陸直後から目の前に飛び込んでくる廃墟の様子に完全に飲み込まれてしまった我々取材班(【前編】参照)は、今回長崎市が安全な通路として整備した全長220mの見学通路を見て回るべく取材を開始した。
 見学通路があるのはドルフィン桟橋から島の南端に向かう方向で、鉱員社宅や、端島小中学校付近は遠目でしか目にすることができない。とはいえ、炭鉱関連施設を間近で見られるので、これだけでも時間の流れと大自然の脅威を十分に感じ取ることができるだろう。

軍艦島は南北480m、東西160m、1周約1200m、面積約6万3000平米の小さな島だ。今回上陸可能となったのは島南部に整備された全長220mの見学通路のみ

トンネルを抜けると……

 ドルフィン桟橋を渡り軍艦島に上陸した取材班は、見学通路を進むべくトンネルへと進入した。長崎市によると、防波堤を貫通するこのトンネルは、島が炭鉱として栄えていた時代の渡舟券売所を整備して作られたものだという。
 トンネルを抜けた先で待ち受けていた廃墟は、当時選炭施設があった所だ。炭鉱から掘り出された石炭はここで質の悪いものや残土が取り除かれ、隣の貯炭場に集められた。そしてドルフィン桟橋横の積込桟橋(【前編】参照)から船で運び出していた。

トンネルを抜けた直後に目にする建物は、石炭を選別する装置が置かれていた水洗機ブロワー室

中を覗いてみるも、コンクリートで閉ざされた建物の中は、闇に包まれていた

早い時期に建設された建造物は鉄筋コンクリート造ではなく、レンガをコンクリートで固めていた

集められた石炭を船に運ぶためのベルトコンベアー跡。均等にならぶ柱の姿は、少し不気味なものを感じてしまう

ベルトコンベアーがあった頃の貯炭場の様子。写真左中央を水平に走っているのが当時のベルトコンベアー

第1見学広場に到着。もっと間近で見たいという気持ちはわからなくもないが、この貴重な廃墟群を後の世に残すため、さらに何よりも自身の身の安全のため、柵を絶対に越えてはならない

第1見学広場付近から北を望む。崖上の建物は幹部職員用社宅(3号棟)、中央手前に基礎だけが残っているのは粉炭を選別する浮選機室の跡、右奥の白い建物は端島小中学校(70号棟)

端島小中学校の手前で、ひしゃげた鉄筋の屋根をさらしているのは体育館(71号棟)

体育館の在りし日の姿を写した貴重な写真

第1見学広場の正面に視線を向けると貯水場跡(崖上)と、その左の崖下に下請け業者用宿舎(30号棟)が見える。この崖は、島の拡張前に海に面していた部分。軍艦島は何度も埋め立てて拡張した人工島であり、本来の島であった部分は割と小さいことが分かる

(次ページへ続く)

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