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【関西帰省企画第2弾】システム安全、バグ退散! 関係者の尊崇を集める神社はその名も“電電宮”!!

2001年06月16日 14時06分更新

文● 編集部 中西祥智

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そもそも、“電電宮”という名の神社はいつ、誰が建てたのか。祀られている“電電明神”にはどんな由来があるのか。そこには、以前某パソコン誌が展開していた“パソコン神社”とはまるで違う、1000年を超える歴史があった。

電電宮の由来

法輪寺は西暦713年(和銅6年)、元明天皇の勅願により行基(※3)が“木上山葛井寺(もくじょうざんかづのいでら)”を創建したのが起源だという。そして、弘法大師の弟子の道昌(渡月橋を架けたといわれる)が百日間の参篭の末“虚空蔵菩薩(※4)”を招き、874年(貞観16年)に虚空蔵菩薩の根本道場として伽藍を整備し、寺号を“法輪寺”と改めた。その後、応仁の乱や幕末の禁門の変などで法輪寺の建物は何度も灰燼に帰した。現在の本堂は1884年(明治17年)に再建された。

※3 奈良時代の僧(668~749年)。民衆のために各地に道路や橋、堤防などを作ったという。東大寺大仏の建立にも尽力した。

※4 虚空、つまり大空・宇宙を意味する菩薩。人間を含む動植物の誕生・成長から、すべての物資の生産をも守護するとされる。

道昌が百日間の参篭を終えた時、井戸で水を汲んでいると明星(金星)が天空より降りてきて、虚空蔵菩薩が来迎したという。そして、その明星を表わす“明星天子”を祀る“明星社”が法輪寺の鎮護社のひとつとして建てられた。しかし、明星社は1864年(元治元年)の禁門の変で焼け落ちてしまった。

その後明星社は仮宮のままだったが、1956年(昭和31年)に、当時の近畿電波管理局長平林金之助氏の提唱により、郵政大臣や郵政省電波管理局長、関西電力(株)社長、日本放送協会大阪放送局長や在阪民放各局などの協力で、明星社の修理と、新たに“電電塔”の建設が行なわれた。

電電塔は、法輪寺の山門をぬけてすぐ右側にある。世界の電気電波関係の研究者並びに事業者の霊を祀ってあり、向かって右にはエジソン、左にヘルツのレリーフが掲げられている。なぜエジソンとヘルツなのか、関係者によると「エジソンは電気の先覚者であり、またエジソンが最初に作った電球のフィラメントは、京都の竹を炭化したものだったから、ヘルツは電波の先覚者だから」だという。

電電塔
電電塔。山門をぬけてすぐ右側にある。右にエジソン、左にヘルツのレリーフがある
エジソン
トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison)。アメリカの発明家。電球や蓄音機などを発明した。1847~1931年
ヘルツ
ハインリッヒ・ルドルフ・ヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz)。ドイツの物理学者。電波の存在を証明した。1857~94年

その明星社の修理と電電塔の建設に際して、“電気電波業界の守り神を”という声が高まり、新たに“電電明神”をお迎えすることになった。電電明神は電電陰陽融合光源の徳を祖とする神様、電気・電波の祖神とされ、明星社は電電明神を祀る社、“電電宮”となった。ただし、その時点では仮社だった。

そして1969年(昭和44年)、大阪で万国博覧会開催を記念して、当時の近畿電気通信局長遠藤正介氏の提唱により、仮社だった“電電宮”は再建され、現在の姿となった。

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