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おかずのワンダーランド「かんだ食堂」

2000年12月23日 02時09分更新

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T-ZONEミナミはかんだ食堂の跡地に建てられた!!

――めしの量、すごく多いっスね

2代目店主の浅沼さん。かんだ食堂の安くて美味しいおかずは、彼の尽力によって作られている。店内で目が合ったら軽く会釈。約束だ!

「ごはんのボリュームじゃ、どこにも負けないよ。ウチはもともとさ、青果市場で働く人のためにできた飲食店なんだ。だから量が多いってわけ。君は小料理屋のセガレだそうだから知ってると思うけど、ウチの前の公共駐車場がある場所って、むかしは市場(神田青果市場)があったんだよね。昭和33年(1958年)に親父が開店したときは、市場の入り口の目の前の立地。つまり、ミナミ電機(現T-ZONEミナミ)の裏側の、いま、ちょうど自動販売機が並んでいるところにあったんだ。その後、いろいろあって25年くらい前に今の場所に移ったんだけど、店舗はほとんど変わってないよ。客席も25席と同じくらいだし」

――1日にどれくらいお米を炊いてるんですか?

「今は30Kgぐらいだね。朝から昼まで炊飯器を炊きっぱなしさ。でも、市場があったころは1日に50Kg必要だった。ほら、みんな力仕事するわけだから、いっぱいめしを食わないとエネルギー出ないわけよ。見ていて気持ちがいいくらいの食べっぷりだったな。今のお客さん? 普通の人はそんなに身体を動かさないから、あまり食べないねえ。あ、でも、宅配便の運転手さんとか倉庫係の人なんかは、ごはん大盛りにおかず2、3品くらいはペロッと食べるな。若いうちはメシをたくさん食べなきゃダメだよ」

――いちばん人気があるおかずはなんですか?

「うーん……、一概にはいえないね。揚げ物なら唐揚げが人気だし、炒め物なら豚のショウガ焼きやレバニラ炒めがよく出るけどさ、しょっちゅう来る人は毎日注文するものが違う。昨日はカレーで今日は焼き魚っていうように、バランスよく食べてるからね。まあ、強いていうなら、その日だけのオススメが売れるといえば売れるかな」

――「その日だけのオススメ」ってどんなものなんですか?



ズラリと勢ぞろいしたおかずたち。べつにひとりひとつと決まってるわけじゃない。ライターの矢部的にはナスの味噌炒めと煮物がオススメ

「うん。カウンターの上を見てもらうとワカるんだけど、たとえば『サバの味噌煮』とかメニューに書いていない品もあるんだ。安くて新鮮な材料が入った時、「今日のオススメ」としてお出しするようにしてる。あと、同じじゃないって意味ではメニューにある『煮物』もそう。月曜日は野菜の煮炊き合わせ、水曜日は切干大根とさつま揚げの煮物ってふうに、何日かで内容を変えるようにしてる。いつも同じじゃ飽きちゃうからね」
「でも、本当のことをいうとね、ウチはもともとメニューなんてなかったんだ。お客さんが自分の好きなおかずを見て選んでたから、そんなモノ必要なかったわけよ。だから、日替わりでいろんなおかずを出すことができた。でも、いまはフリーのお客さんが増えたし、若い人はアカウオやサバといった焼き魚の種類を見分けられないでしょ。で、お品書きを書くことにしたわけよ。そのほうが確かに親切だし、そういう時代の流れでもあるけどさ、『今日はどんなおかずにしようかな?』っていう調理側・食べる側両方のワクワク感は消えちゃったよね。正直、ちょっとさみしく思う」

――その「好きなおかずを選ぶ」やり方って関西スタイルですよね。初代は関西ご出身なんですか?

「いや、違う。ウチは代々神田っ子だよ。このやり方はね、親がたまたま関西へ旅行したときにヒントを得て、ためしに導入したのがはじまりなんだ。それが市場で働く人たちの感覚にピッタリだったみたいで、ウチのやり方を真似した店ができたほど、ものすごく評判になったよ。でも、関西の食べ物自体は取り入れなかったな。たとえば煮込みにしても、あっちでは牛モツで作る「どて煮」だけど、ウチは東京風に豚モツで作ってるし」

――それだけ受け入れられたのでしたら、市場が移転したときは大変だったんじゃないですか?

「そりゃあもう、ガターンとお客さん減って本当にピンチだったよ。ええと、1988年だから、12年前のことになるね。でもまあ、移転した当初はまだ、市場の機能が一部残ってたから、市場の人もけっこう来てくれてたんだよ。それでも昔に比べたら半分以下。ウチのほかにも何軒か飲食店があったんだけど、どこも市場あっての商売だったからね。軒並みやめてしまって、いまじゃ当時からある店は1、2軒しか残ってない」

――市場が移転したとき、なぜいっしょに移転しなかったのですか?

「ウチは『場外』、つまり、市場の外にある食堂なんだよ。『場内』、すなわち、市場内の食堂なら、営業の権利を最初から持ってるから、移転先でもすぐに開店することができる。でも、我々は市場内での営業許可証を手に入れるところからはじめないといけない。しかも、移転先は陸の孤島の大田区でしょ。通勤のこともあるし、地元の常連さんもいるし、生まれ育った場所から移るってのはねえ……。当時は8対2か7対3の割合で、市場で働く人がお客さんだったからホント大打撃だったけど、地元のお客さんの応援もあって、まあ、なんとかやってけるんじゃないかって踏みとどまったんだ」

――そうとう苦労されたのでは?

「確かに大変だったよ。ウチはもともと朝5時から昼3時まで営業してたんだけど、市場がなくなってからは夜もはじめた。朝の営業も実は今年の9月までやってたんだが、マクドナルドや立ち食いそば店の朝食セットがライバルでねえ……。ウチは12年前から料理の値段を据え置きにして値上げしてないんだけど、ああいう店のように500円という値段ではさすがに料理を出せないんだ。で、やむなく、今のように昼と夜だけ店を開けるようにしたってわけよ」

――いまはどんなお客さんがいらっしゃるのですか?

「やっぱり地元で働く人が中心だね。みんな仕事が忙しいわけだけど、ウチの場合、おかずができて並んでるから、待ち時間なしでサッと食べれるでしょ。忙しい時はかんだ食堂で、って利用してくれる人が多いみたいだ。こないだも近所の電気屋の旦那さんが食事してるところに、奥さんが「早く店に戻ってちょうだい」なんて呼びに来てたしね。とにかく12時から1時まではごはん盛りっぱなし、炒め物用の中華鍋を振りっぱなしの忙しさだよ」

――パソコンショップの店員さんもよく来ます?

「そうだねえ、ジャンバーとか制服を見るかぎり、いろんな店の方がいらっしゃってるよ。でも、みんな若い人ばかりだな。例えばツクモさん。昔なんかはさ、それぞれの店の何十年もやってるベテラン店員さんがよく来てくれたもんだ。年配のお客さんは今でも多いけど、パソコンショップ関係の人はほとんどいないね」

――かんだ食堂さんのすぐ近くに大型パソコン店が2軒ありますけど、これらの店員さんって、絶対に隣の席に座らないとか仲悪いんですかね?

「いや、そういうことはないよ。ま、親しげに話すこともないけど。たださ、見てて思うんだけど、いまのパソコンショップって昔に比べたら、ものすごく大きくなってるでしょ。同じ会社でも知らない顔っているみたいで、同じ制服を着た人が隣り合っても知らん顔してメシ食ってることもあるんだ。もうちょっとコミュニケーションがあってもバチは当たらないと思うなァ。その点に関しては、年配の方のほうがスマートだね。「君が食ってるのウマそうだな。それ何?」って感じで気さくに会話してるから」



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