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【年始特別企画インテル編 Vol.1】'99年前半はインテルのCeleron攻勢により、互換プロセッサーメーカーが淘汰された

2000年01月05日 00時00分更新

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'99年は今までになく多くのプロセッサーが登場し、また急激な処理速度の向上が見られた年だった。年始特別企画として、x86互換プロセッサーの動向に詳しいフリーライターの後藤弘茂氏に、'99年のx86互換プロセッサー業界の総括と、2000年に登場が予想される製品についてのお話を伺った。第1回目は'99年前半までの業界動向について。

インテルの大攻勢

編集部「まずは'99年のx86互換プロセッサー業界の動向を前半と後半に分けて振り返ってみたいと思います。そうすると'99年前半は、低価格を売りにシェアを拡大してきたx86互換プロセッサーメーカーに対して、インテルがCeleronで大攻勢をかけた時期だと思えるのですが」

後藤弘茂「そうなんですよ。'98年の後半の時点では、互換メーカーはこの調子なら(互換ビジネスは)楽勝じゃないかという雰囲気でした。もっとクロックアップした製品も出せるし、まだいけるという感じでした。

彼らは、インテルはローエンド製品に関して、そう急激に動作周波数を上げて、もしくは価格を安くしてPentium IIの市場を侵食するような形でCeleronを押してくるとは思っていなかったわけです。

互換プロセッサーメーカーの根拠は、インテルはASP*を守るためには、プロセッサーファミリーにおけるPentium IIの比率を維持しようとして、Celeronは急激にクロックアップできないだろうし、低価格攻勢もできないだろう。だから互換プロセッサーメーカーは自分たちの食い込む市場があると踏んでいた。ところがインテルはそうはしなかったんです」

*ASP(Average Sell Price、平均販売価格):ここでは、さまざまなグレードのx86互換プロセッサーをあわせた平均の販売価格を指す。例えば、インテルであればCeleronからXeonまでのプロセッサーの販売価格の合計を販売個数で割って得られた値。

編集部「インテルは、Celeronの高クロック化と、低価格化について、いつそうしようと判断したのでしょうか?」

後藤「おそらくMendocino*を出した時点でやろうと決めていたと思うんですよね。

Mendocino自体も市場投入を前倒ししましたし。Covington*のときは全然だめだったけど、Mendocinoで市場シェアが上がってきて、これだったらいけるか、と思って本気になってきたんですね。

*Mendocino(メンドシーノ):第2世代のCeleron。0.25μmプロセスで製造され、プロセッサーコアと同じダイ(チップ本体のシリコン半導体部分)の上に128KBの2次キャッシュメモリーが搭載されている。

*Covington(コヴィントン):2次キャッシュメモリーを持たない第1世代のCeleronを指す。

インテルはCovingtonを出したときは、(低価格CPUの市場を)甘く見てましたよね」

後藤弘茂――国内外のコンピューター業界の動向、特にプロセッサーやメモリー関連の情報に詳しいフリーランスのライター。月刊ASCII DOS/V ISSUEほか、パソコン雑誌などに多数の連載を持つ
後藤弘茂――国内外のコンピューター業界の動向、特にプロセッサーやメモリー関連の情報に詳しいフリーランスのライター。月刊ASCII DOS/V ISSUEほか、パソコン雑誌などに多数の連載を持つ



編集部「ところがCovingtonを出してみたら、メーカーの反応が冷ややかだったということですぐにだめだとわかったと」

Microprocessor Forumの衝撃

後藤「Covingtonを'98年の4月に投入したものの、こりゃだめだということになってMendocinoを前倒しして、'98年の8月に発表しました。まあ、実際の投入は少し後ですが。

ところが、'98年10月の*“Microprocessor Forum”*ではCyrix(ナショナルセミコンダクター)の“Jalapeno”、IDTの“WinChip4”、Riseの“mP6”、AMDのK7(Athlon)などが一気に発表された。これはもう互換プロセッサーの時代なんだという形で」

*Microprocessor Forum:米国で毎年秋に開催される、プロセッサー業界のカンファレンス。プロセッサーメーカー各社が、自社で予定している新製品の技術発表などを行なうことで知られている。

*Jalapeno(ハラペーニョ):CyrixがMicroprocessor Forumで発表したプロセッサーコア。256KBのオンダイ2次キャッシュメモリーを備える“M3”として、動作クロック600~800MHzで、'99年第4四半期に登場とされていた。

*mP6:0.25μmプロセスで製造される、Socket 7互換のプロセッサーで、MMX命令を処理するパイプラインを3本持つことが特徴。'98年末から生産が開始され、'99年には2次キャッシュメモリーをダイ上に持つ“mP6II”を投入するとしていた。

*WinChip4:128KBと大きな1次キャッシュメモリーを搭載し、'99年に0.25μmプロセスで動作クロック400~500MHz、2000年には0.18μmプロセスで動作クロック500~700MHzを目指すとしていた。

編集部「そして、'99年の前半にそれらのプロセッサーがわっと出てくるはずだったということですね。インテルは'99年になってすぐ、矢継ぎばやにCeleronの高速化攻勢をかけますよね」

後藤「インテルがCeleronを使ってどんどん低価格攻勢をすると決めたのは割と近い時点、'98年の末くらいに決めたと思うんです」

編集部「'98年10月のMicroprocessor Forumの発表だと、'99年の3月くらいから次々に新しい互換プロセッサーが登場するはずだったのが、出てこなくなってしまった。インテルのCeleron攻勢を見てやめてしまったのでしょうか?」

後藤「そうですね。'99年第1四半期の終わりから第2四半期のはじめくらいには、互換プロセッサーメーカーは、(Celeronをこんなに安くされるんだったら)こりゃだめだなという判断をしていたでしょう」

編集部「'98年10月の時点では、AMD、Cyrixといった古くからの互換プロセッサーメーカーに加えて、IDT、Riseなどの第3第4のメーカーが登場してきたな、という感じだったのが、半年ほどでAMD以外全部だめになってしまったわけですね」

後藤「WinChipはまだ芽が出てなかったし、Cyrixは復帰を賭けていた状況でした。(Cyrixを所有していた)ナショナルセミコンダクターは、Geodeみたいなx86プロセッサーを使った統合チップをメインにするのか、パソコンで使うような単体プロセッサーをメインにするのかなかなか見えない状況だったですね。Cyrixが単体プロセッサーをガンガンやるよ、と言っていたのは'98年10月のMicroprocessor Forumでの話ですが、それまでは外からは見えない状況でした。

単体プロセッサーでいく理由というのは、ビジネスとしては統合プロセッサーをやるべきなんだけど、フラッグシップとしての単体プロセッサーも必要だよという感じのものでした。そこも疑問があるところでしたね。

それで、こういった互換プロセッサーメーカーの動きと平行して、'99年の頭に“フリーPC”が登場して、一気に新しい局面が出てきた。フリーPCというのは結局、インターネットサービスプロバイダー(ISP)とメーカーが手を組んだ、一種のキャッシュバックシステムですね。そこで、プロセッサーメーカーの立場でなにが見えてきたかというと、フリーPCというような形でPCを提供するのなら、もうスペックなんかどうでもいいんじゃないかという話になってきた。スペックよりもバンドルされるサービスの方が重要であって、サービスがある上にPCを載せるという形だから、PCのスペック自体は重要ではないということになってきた。つまりはCPUは安いものでいいということです。

そこでインテルは'99年に入って、まだ表には出ていなかったけれども、ものすごい低価格攻勢に出た。インテルは元々は100ドル(約1万300円)以下の(x86)プロセッサーは売らないというのが原則だった。ところがこの'99年頭の時点ではCeleronの価格は70ドル(約7200円)(1000個ロット時価格)くらいまで下げてきていました。そしてさらには60ドルとか、場合によってはその下もあるというような噂すら出ていました。まあ、これは噂なので真偽のほどはわかりませんが。要は60ドル(約6100円)以下でもCPUを出す気があるという、そういう状況になったわけです。

編集部注:このときのCeleronのクロックは300AMHz、333MHz、366MHz、400MHzなど。

この頃はもちろんMendocinoに移行しているわけですが、Mendocinoの400MHzの発表時('99年1月)の価格が158ドル(当時約1万7000円)でした。インテルの元々の計画では、Celeronは200ドル(約2万2000円)以下からということだったのが、すでにバーゲン価格になりつつあったことになります」

焦る互換メーカー

編集部「インテルがそういう安い価格をつけてきたので、互換プロセッサーメーカーは焦ることになるわけですね」

後藤「ええ。だから結局、全部のプロセッサーの価格が下の方へスライドするわけです。それ以前は、AMDはインテルよりも同クロックだったら安い、インテルの1段下のグレードのプロセッサーと同じという価格戦略をしていた。ところが、このインテルの安値攻勢でこれがたちいかなくなってやめざるを得なくなった」

編集部「この時期、AMDは『K6-III』を発表していますが、あまり大きな成功したとはいえない結果となっています。これは価格性能比においてCeleronに勝てなかったということでしょうか?」

後藤「まず第一は位置づけの失敗ですね。そもそもAMDはK6-IIIの高クロック品がなかなか生産できなかったことも大きいですね。結果的に『K6-2』のほうが高クロック品がとれるということになってしまう。まあ、これらから見るとAMDの弱点が、2次キャッシュメモリーに使われるSRAMにあることが明らかなんですよね。

ただ、AMDに限らず、大容量のオンダイSRAM*では各メーカーがみんなつまずいているのは確かです。インテルのCoppermine*が遅れたのも2次キャッシュメモリーのSRAMが原因ですから。

*大容量SRAM:PentiumクラスのCPUには、1次キャッシュとして16KBないし64KB程度のSRAMが搭載されている。ここでいう大容量のSRAMとは、2次キャッシュとしてプロセッサーのコアと同じダイに搭載(オンダイ)される2次キャッシュを指す。Mendocinoは128KB、K6-IIIやCoppermineは256KBのSRAMを搭載している。

*Coppermine:第2世代のPentium IIIプロセッサー。0.18μmプロセスで製造され、コアと同じダイ上に256KBの2次キャッシュメモリーを備える。

話を戻すと、インテルのおかげですごい価格競争になってしまったということです。で、その競争のあおりを受けたのは誰かというと、Cyrixなんですね。インテルとAMDが価格競争に入って、インテルがガンガン値段を下げるからAMDも下げざるを得ない。すると、たとえばフリーPCではないけど低価格PCとして登場した“e-machines”のPCでは、価格を抑えるためにCyrixを採用していたのが、値段が下がってきたのでAMDとかインテルのプロセッサーに変わってしまうわけです」

編集部「インテルは低価格路線に劇的に変えて、なんとかうまくCoppermineにつながるロードマップを描いたわけですが、AMDはどうだったのでしょう?

K6-IIIの発表時の売り文句では“同クロックであればインテルのPentium IIIよりも性能が上”ということでした。しかし、AMDも後のAthlonの発表時に認めたように、その売り文句は消費者の多くにはあまり理解されませんでした。ほとんどの人たちはベンチマーク性能がどうかということよりも、“何MHzか”というところしか見ていなかったわけですよね」


後藤「それも大きいですね。いくつかの複合的な要因があったことは確かで、高クロック品がとれなかったことや、(K6-IIIの売り文句のような)多少無理のあるマーケティングです。そもそもそんなマーケティング戦略を採らなくてはならなかった理由は、ASP(平均販売価格)が下がってくる中で、それを何とか引き上げなくてはということになったからです。

AMDにとってみれば、ASPをあげるには、Celeronに対抗するのではなく、Pentium IIIに対抗するプロセッサーを出して、Pentium IIIの価格帯で販売したかったということです。'98年後半のAMDのASPがだいたい100ドル(約1万1000円)くらいまでいっていたのが、とても維持できなくなってきた。AMDは'99年に入って、ASPも下がるし販売個数も下がってきてしまった」

編集部「薄利多売も効かなくなってしまったと?」

後藤「そうです。逆にインテルはなぜここまでの低価格攻勢が可能だったかというと、インテルにはXeonがあって、ASPを引き上げているからです。Xeonの利益率が高いから、Celeronでは低価格攻勢がかけられるということです。それが望ましいかどうかはさておくとして」

編集部「'99年に入ってしばらくして、CyrixはVIA Technologiesに買収されるような話が出てきたし、IDTのWinChip4も順調ではありませんでした。RiseのmP6IIも発表されたけれども製品は出ないという状況で、Celeronの低価格攻勢は相変わらず続き、互換プロセッサーの“低価格”というアドバンテージもなくなって、商売ができなくなってきたわけですね。

これは昨年夏のインテル対談で、元麻布春男氏や小林章彦氏からも話が出たのですが、VIAは低価格の統合チップで何らかの勝算をを見いだしているのではないかということなのですが」


後藤「そうですね。VIAのチップについて言うと、VIAの計画している統合チップ“Samuel”はIDTの開発していたコアになるというのが、業界内で流れている情報です。VIAは公式には何も言っていないですが。なぜ(先に買収した)Cyrixではないかというと、IDTが持っていたコアのほうがよりゲート数*が少なく統合がしやすいからとされています。

*ゲート:プロセッサーを構成するロジック(論理)回路の単位。基本的にゲートが少なければ、必要なトランジスターも少ない。

ただ、VIAがIDTのプロセッサーに関する知的所有権を得てから、新しいプロセッサーの論理設計や物理設計を経て製品にするまで、どんなに早くてもおよそ9ヵ月はかかりますね」

編集部「9ヵ月という理由はなんですか?」

後藤「要は半導体の設計はタイムラグが大きいということなんです。例を挙げると、Mendocinoのプロジェクトが始まったと考えられるのが、'97年の終わりか、'98年の頭くらい。それで製品が出てきたのが8月くらいでした。

つまりプロセッサーの設計から製品化までは9ヵ月ないし12ヵ月が掛かります。まずはプロセッサーの論理設計が終わった後、物理的なチップにする設計をします。その物理設計をもとにサンプルを作ってみて、不具合を直していくというような順序です。これはコアの論理設計が終わってからの時間です。コアの設計からということであれば、2年3年はかかります。

また、もう製品としてのコアができていたとしても、それに2次キャッシュを統合するとかチップセットを統合するとかといったことを行なうと、やはり9ヵ月からそれ以上かかるんです。

VIAがIDTのWinChip関連技術などを買収したのが'99年10月。そこから考えれば、製品が出てくるのはどうやっても2000年の8月くらいにはなるでしょうね」

編集部「では、統合チップではなくSocket 370で出されるという単体プロセッサー“Joshua”はいつ頃と考えられますか?」

後藤「JoshuaはCyrixが作っていたものをそのまま使うので、2000年第1四半期くらいではないでしょうか? いずれにせよVIAはこのチップをメインにするとは思えませんね。

'99年前半の話に戻すと、互換メーカー各社は次々脱落していったということですね。Cyrixがギブアップ宣言して、IDTがそのころから開発パートナーを探しているというようなことを言い始めた」

編集部「IDTはCyrixを見て、これはいよいよダメだと思ったのでしょうか?」

後藤「IDTのプロセッサーは、大手のPCメーカーには使ってもらえていない状況でした。IDTとしてはCyrixのいたポジションにあがろうとしていたわけです。Cyrixが次の製品がなかなか出ずにもたもたしていたので、そこに勝ち目があると見ていたわけです。

ところが、Cyrixがいたポジションに、インテルとAMDが降りてきてしまった。IDTも価格競争すれば、勝てた可能性もあったけれども、IDTの戦略としては、WinChip4などのさらに高性能のプロセッサーを出していって、最終的に利益を得ようというものだったはずです。WinChipやWinChip2の価格が安かったとはいえ、チップ単体では赤字にはなっていないでしょうけれど、それ以降の製品の開発費までがでるかというと、おそらくそこまではいっていなかったでしょう。

WinChip3までは自前のFab(工場)で、0.25μmプロセスで製造していたわけですが、WinChip4にいたっては、0.18μmプロセスで製造したバージョンが本命ですから、0.18μmプロセス工場への投資が必要になるわけです。どこかに生産を委託するにしても、それはそれでお金がかかって、結局儲からないということになってしまいます。

ちなみに、VIAは台湾にあるいずれかのFabに生産を委託するというのは間違いないですね。台湾のファウンダリーはかなり力を付けてきていますから。0.18μmプロセス製品の生産も可能になっていますし。ただ、一口に0.18μmプロセスといっても、細かい点でいろいろあって、インテルの0.18μmプロセス製品と同じパフォーマンスが出せる製品が製造できるかというと、そうではないのですが。細かい技術的説明を抜きにしていうと、インテルの0.18μmプロセスは、高速化のためのいろいろなチューニングを行なっているのです」

編集部「駆け足で見てきましたが'98年後半から'99年前半の状況というのはこんなところでしょうか」

後藤「'99年前半というのは、互換プロセッサーメーカーがインテルにひたすら追いつめられて、AMD以外は立ち行かなくなったという時期でしたね。PCの平均価格というものも、フリーPCなどの出現により、さらに新しい段階に達して、どんどん下がっていった時期でした」

編集部「他の互換プロセッサーメーカーが撤退する中で、なぜAMDは生き残れたのでしょう? 現に'99年の第1四半期は赤字となっていますが」

後藤「まずは動作クロックの点でなんとかCeleronと張り合うことができたということでしょうね。ただ、Celeronは高クロックの製品が結構とれていたのに対して、K6-2/K6-IIIは高クロック品がわずかしかとれず、結果的にASPが下がってしまったわけです。これが赤字の理由の1つです」

(Vol.2に続く)

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【年始特別企画インテル編 Vol.2】インテルがつまずき、AMDがAthlonを登場させた'99年後半
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