夏のミリタリー記事小特集第二弾は岡野氏による「YOKOSUKA軍港めぐり」レポートだ。この軍港めぐりだが、横須賀の海自艦船はおろか、普段秘密のベールに包まれがちな米海軍艦船にも接近できるとという驚きのツアーだ。ということで軍事マニアの岡野氏によるレポートでクルーズを疑似体験して欲しい。
それは一通のメールから始まった
とある夏の日の昼下がり。私のもとに、ASCII.jp編集部Y氏(戦車部長)より一通のメールが届いた。
「横須賀に取材に行くので付き合うように」
いつもながら簡潔な文面に、私は首を捻った。横須賀といえば確かにミリタリーネタには事欠かないが、何故今になって横須賀なのだろう。何かイベントがあるとも聞いていないし、空母「ジョージ・ワシントン」の配備もまだだし、ヘリコプター護衛艦「ひゅうが」を建造しているのは横須賀というより横浜だ。そもそもこの夏の暑い日中に遠出はしたくない。
しかし、Y氏といえば何度も世話になった大恩ある先輩である。そのご下命とあれば、否やは無いのだ。一体何のつもりかは分からないまま、私は横須賀に向かうこととなった。
軍港都市横須賀の今
横須賀といえば、今も昔も軍港の街だ。
江戸時代末期、黒船の脅威に対処すべく幕府が建設した横須賀製鉄所が軍港都市横須賀の起源だと言える。製鉄所はすぐに造船所として拡張されることとなり、途中で幕府は崩壊してしまったが、明治政府に引き継がれ、後の横須賀海軍工廠となった。天然の良港である横須賀に目を付け、この地に日本海軍の礎を置いた幕臣小栗上野介忠順と製鉄所建設に尽力したフランス人フランソワ・レオンス・ヴェルニーは、今も横須賀の恩人として記憶されている。日本海海戦で大勝利した連合艦隊司令長官東郷平八郎元帥が、「勝利できたのは製鉄所、造船所を建設した小栗氏のお陰であることが大きい」として忠順の遺族にお礼を言ったという逸話も残されている。
横須賀海軍工廠では日清戦争で活躍した海防艦「橋立」、当時世界最大の戦艦「薩摩」、太平洋戦争でも活躍した戦艦「陸奥」「山城」、巡洋戦艦「比叡」や空母「飛龍」「翔鶴」、大和型戦艦から空母となった「信濃」など、日本海軍のそれぞれの時代を代表する名艦が生み出された。帝国海軍横須賀鎮守府が置かれた横須賀は、呉と並んで文字通り日本海軍の母港であり、その盛衰を共に歩んだ海軍の歴史そのものと言っても過言ではない。
戦後の横須賀は、海上自衛隊の中枢として、そしてアメリカ第7艦隊の母港として知られている。アメリカ海軍の誇るメガキャリア(空母)を整備できる施設も、これほど多数のイージス艦が集う軍港も、アメリカ本土を除けば世界中探してもこの横須賀にしかない。今も昔も、横須賀は世界に誇る軍港の街なのだ。
横須賀に集う艦艇の姿は、街のあちこちで見ることができる。しかし、さすがにアメリカ海軍の管理する区域は警備が厳重で、公道から衛門にカメラを向けただけでも注意されるほどだ。さらに第7艦隊の艦艇が憩う横須賀本港地区は日米安全保障条約に基づく制限水域となっており、一般の船は立ち入ることすらできない。
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