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Mr.ウォーカー玉置泰紀が厳選! おすすめスポット/アイテムベスト5 第27回

【決定版・秀長の四国攻め】大河ドラマ『豊臣兄弟!』で描かれる隠れた天王山! 秀長が初めて本格的な大軍の総大将を務めた"おすすめ"スポットベスト5

2026年09月16日 17時00分更新

文● 玉置泰紀(元エリアLOVEウォーカー総編集長、一般社団法人メタ観光推進機構理事)

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秀長が動かした天下統一の軌跡! 「四国遠征」おすすめスポットベスト5

第5位:療養中の秀吉が陣を構えた「岸和田城」

岸和田城

 四国攻めが本格化する中、大規模遠征の総大将を務める秀長を前線へ送り出しつつ、兄・秀吉自身は病のために後方の拠点としてこの岸和田城に在陣し、全体を指揮した。大阪と紀州・四国を結ぶ要衝であり、出征の背後で兄弟がどのように情報をやり取りしていたかを感じられる重要拠点。

【胸熱トリビア】 秀吉が体調を崩しながらも前線に近いこの城で天下の采配を振るっていたという事実は、兄弟でリスクを分担しながら巨大な作戦を遂行した当時の緊迫感を今に伝えている。戦況が進む中で秀吉が自ら渡海しようとした動きに対し、秀長が外聞などを理由に諫めて思いとどまらせたという、実務の弟ならではの冷静なやり取りも伝わっている。

【アクセス】 南海本線「岸和田駅」から徒歩約10分。

【行きやすさ・歩きやすさ】 ★★★★★  美しく整備されたお城と周辺の庭園は散策しやすく、歴史散歩のスタート地点に最適。

第4位:論功行賞で城下を築いた新時代の拠点「徳島城」

徳島城と橋

 四国平定の戦後、秀吉ははじめ阿波一国を蜂須賀正勝に与えようとしたが、正勝は秀吉の側近として仕える道を選んで辞退し、代わって嫡男の蜂須賀家政が阿波を拝領した。家政は最初一宮城に入城したのち、吉野川の要衝を押さえるこの地に徳島城を新たに築いて本拠を移した。この城の誕生こそ、秀長が成し遂げた四国平定がもたらした最大の政治的成果の一つである。

【胸熱トリビア】 城跡に残るダイナミックな石垣群は、天下統一を進める豊臣政権が四国の押さえとしてどれほどこの地を重視していたかを物語っている。

【アクセス】 JR「徳島駅」から徒歩約10〜15分。

【行きやすさ・歩きやすさ】 ★★★★☆  駅からのアクセスが良く、本丸跡からの阿波平野の眺望も素晴らしい。

第3位:天下人の基盤を決定づけた大和の拠点「郡山城跡」

天守台(筆者が撮影)

 四国攻めの戦功などにより、大和・紀伊・和泉などを合わせる巨大な基盤を得た秀長が、本格的な本拠地として大規模に改修・拡張した城。四国遠征を成功させた秀長が、のちに「大和大納言」として政権の副首都的役割を担うことになった象徴的な場所だ。

【胸熱トリビア】 城の石垣には「逆さ地蔵」をはじめとする多くの転用石が見られ、四国攻め直後に一気に石高を跳ね上がらせた秀長の圧倒的な飛躍と、急ピッチで城下町を整備した権力の大きさを生々しく残している。

【アクセス】 近鉄「近鉄郡山駅」から徒歩約7分、JR「郡山駅」から徒歩約15分。

【行きやすさ・歩きやすさ】 ★★★★★  綺麗に整備された史跡公園となっており、城下町の歴史散策とあわせてじっくり楽しめる。

第2位:四国攻めの延長線上に生まれた海城「和歌山城」

 紀州平定(雑賀・根来攻め)を完遂した後、秀吉の命により秀長が藤堂高虎らを普請奉行として築かせた城。紀伊・和泉を任された秀長が、四国や紀伊海域を統御するための最重要拠点として、紀ノ川河口の要衝に築き上げた記念碑的スポットだ。

【胸熱トリビア】 のちに徳川御三家の城として知られるようになる和歌山城だが、その基礎を築いたのはほかならぬ秀長であり、築城後は桑山重晴を城代に置くなど、秀長のきめ細やかな紀伊支配の実務的布陣がしっかりと息づいている。

【アクセス】 南海電鉄「和歌山市駅」から徒歩約15分、またはバス「和歌山城前」下車すぐ。

【行きやすさ・歩きやすさ】 ★★★★★  天守からの眺めや豊かな緑、歴史ある石垣など見どころがコンパクトにまとまっている。

第1位:秀長軍が包囲した四国攻め最大の激戦地「一宮城跡」

 堂々の第1位は、阿波における長宗我部側の最大の拠点であり、秀長率いる本軍約4万から5万が押し寄せた歴史的激戦地・一宮城。城を守る谷忠澄・江村親俊らが数千の兵で圧倒的な大軍と対峙し、水の手を断たれる過酷な攻防の末に開城した。開城後、城を守った谷忠澄が自ら元親のもとへ赴いて降伏を強く進言したことが、長宗我部氏を降伏へと追い込む最大の引き金となった。

【胸熱トリビア】 険しい山容と幾重もの曲輪が残る山城跡に立てば、わずかな兵で大軍を迎え撃った将兵の緊迫感と、秀長が比較的穏便な開城を促すために起請文を掛け合うなどして進めた外交的・戦略的な重みを肌で実感できる。

【アクセス】 JR徳島駅から徳島バスで約30〜40分、「一の宮札所前」下車すぐ。登城口から本丸跡までは山道を徒歩30〜50分ほど。

【行きやすさ・歩きやすさ】 ★★★☆☆  本格的な山城となるため、歩きやすい服装と靴の準備がおすすめ。

編集後記:「地味だが勝つ」秀長の戦略眼が日本を一つにした大きな一歩

 秀長の四国遠征にまつわる5つのスポットを案内した。派手な合戦譚の陰に隠れがちだが、大河ドラマ第36話「姫若子と鬼若子」で描かれるこの四国攻めとそれに伴う紀州平定の成功こそが、大規模な大軍の総大将として初めて本格的な陣頭指揮を執った秀長の飛躍であり、豊臣政権の西日本における支配を決定づけた最大の分岐点である。

 現代のプロジェクトマネジメントにおいても、表舞台で目立つリーダーの背後で、綿密な段取りと物量管理をやり遂げる「実務の要」の存在なくして大事業は成し遂げられない。秀長が紀州から四国へと展開した緻密な一手一手の足跡をたどると、彼の堅実な仕事ぶりが日本の歴史を大きく動かした実感が湧いてくる。

 一宮城の険しい山道を登り、あるいは大和郡山の石垣に触れるとき、そこには華やかな武功だけでは語れない「組織を支えた男の凄み」が静かに息づいている。目立つことよりも、確実に大局を制する――そのための知恵を、ぜひこの関西・四国の地で体感してほしい。

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