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Mr.ウォーカー玉置泰紀が厳選! おすすめスポット/アイテムベスト5 第24回

【決定版・小牧・長久手の戦い】大河ドラマ『豊臣兄弟!』で描かれる天下分け目の代理戦争! 秀吉と家康が意地をぶつけ合った″おすすめ”スポットベスト5

2026年09月06日 18時00分更新

文● 玉置泰紀(元エリアLOVEウォーカー総編集長、一般社団法人メタ観光推進機構理事)

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長久手古戦場跡の勝入(しょうにゅう)塚(色金山歴史公園・国指定史跡)

 NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』でいよいよ描かれる、羽柴秀吉(池松壮亮。以下カッコ内は『豊臣兄弟!』の俳優)と徳川家康(松下洸平)が初めて正面からぶつかり合った天正12年(1584年)の「小牧・長久手の戦い」。

 本能寺の変から2年、織田家の後継者争いという体裁を取りながら、実質的には「信長(小栗旬)の後継者は誰か」を賭けた天下分け目の代理戦争だった。

 戦の規模は両軍合わせて10万人近く、期間は3月から11月まで約8ヵ月に及んだ。にもかかわらず、私たちが「小牧・長久手の戦い」と聞いてまず思い浮かべるのは、わずか半日ほどの激突だった長久手の局地戦だ。

 今回は、この長期戦の舞台となった愛知県内の史跡を巡るメタ散歩が、なぜ単なる古戦場巡りにとどまらない「時空を超える体験」になるのか。3つのポイントを解説した上で、「おすすめスポットベスト5」へと案内しよう。

小牧・長久手の史跡巡りが「時空を超える体験」になる3つのポイント

小牧・長久手の戦いの舞台のひとつとなった長久手古戦場跡の近くに位置する、愛知高速交通東部丘陵線(リニモ)の長久手古戦場駅

1. 「勝った家康、負けた秀吉」という歴史の逆説

 長久手の局地戦だけを見れば、家康・信雄連合軍の圧勝である。秀吉が繰り出した虎の子の別動隊は池田恒興(堀井新太)・森長可という有力武将を両名とも失う大敗を喫した。

 だが、8ヵ月に及ぶ戦役全体を俯瞰すると、最終的に天下人への道を突き進んだのは秀吉の方だった。秀吉は局地戦の敗北を意に介さず、外交で信雄を単独講和に追い込み、家康を孤立させることで戦略的な勝利をもぎ取っている。

 「戦術で勝って戦略で負けた家康」と「戦術で負けて戦略で勝った秀吉」という対比こそ、この戦いの最大の見どころだ。

2. 寝返り・奇襲・情報戦が交錯する頭脳戦

 この戦いの発端は、織田家譜代の重臣・池田恒興(堀井新太)が秀吉方に与して犬山城を奇襲占拠したことだった。さらに秀吉方が仕掛けた「三河中入り作戦」(秀吉方の本拠地・岡崎を急襲する奇襲プラン)は、農民や伊賀衆からの情報によって家康側に事前に察知され、逆に奇襲部隊が壊滅させられるという皮肉な結末を迎える。

 裏切り・密告・奇襲が幾重にも絡み合う情報戦の緊張感を、現地を歩きながら追体験できる。

3. 「負けられない兄弟」の重圧が滲む戦場

 信長の死からわずか2年、まだ盤石とは言えない立場で秀吉が率いた大軍は、単なる領土争いではなく「織田家の実権を誰が握るか」を証明するための総力戦だった。

 この戦いで確たる実績を示せなければ、秀吉政権の正統性そのものが揺らぎかねない。兄・秀吉が矢面に立つ一方、弟の秀長(仲野太賀)は大坂で後方を支え、政権基盤の維持に奔走したと伝わる。派手な武功よりも「負けられない戦」を支え抜いた実務力にこそ、豊臣兄弟の強さの本質が見えてくる。

次ページ:天下分け目の代理戦争を歩く! 「小牧・長久手の戦い」おすすめスポットベスト5はこれだ!
 

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