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遠藤諭のプログラミング+日記 第210回

“ジャカール”に会いに繊維の街・尾張一宮に行く

ナポレオン一世とコンピューター

2026年06月23日 13時00分更新

文● 遠藤諭(ZEN大学・角川アスキー総合研究所)

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約90年前の機械が動いている

 「織機を見に行きませんか?」とテクノ手芸部のよしだともふみくんに誘われたのは、4月半ばのことだった。以前、どこかで話していたときにジャカール織機(日本では「ジャカード織機」と呼ぶが、ここではあえてフランス語に近い呼び方で表記する)について盛り上がったことがあった気がする。

 そのとき、1804年にフランスのJoseph Marie Jacquardが発明した織機が、コンピューターの祖先のようなものだという話をしたのだと思う。よしだくんは、尾張一宮で自身のアート作品を展示したことがあり、そこは繊維の街で、昭和初期に導入された織機がいまも稼働している会社があるという。そんな話の流れで、

 「エンドーさんは絶対に見るべきです」と言ってくれたのだった。

 よしだくんによれば、6月に尾張一宮で開かれるイベントに行く予定があり、そのタイミングであらためて、動いている織機の工場を見学したいと思っているという。それで、一緒に見に行きませんか? と誘ってくれたのだ。

 ちなみに、私は今、ZEN大学でIT産業史の授業を担当している。授業は「コンピューターが誕生する前、人はどう計算していたのか?」というところからスタートしている。その中でも特に重要なのが、産業革命期に初めてプログラムで動く計算機を発想したチャールズ・バベッジの解析機関だ。

 この解析機関が、当時国家的にライバル関係にあったフランスのジャカール織機の紋紙による制御をヒント作られた——というのは、コンピューター史では有名な話である。紋紙に開けた穴のパターンを使って糸の上下をコントロールする仕組みが、そのまま連続して読み込まれる「プログラム」となった。

 私は、ロンドンのサイエンスミュージアムで、完成までの作業が続けられたバベッジの解析機関を実際に見たことがあるし、ジャカール織機も同じくサイエンスミュージアムや日本工業大学の工業技術博物館で目にしたことがある。また、以前「パソコン百景」という月刊アスキーの連載では、稼働中のジャカール織機の見学取材をした回もあった。

 よしだくんに対しても、こうした話をしてマウントを取ったような調子だったが、正直をいうと自分の目で動いているジャカール織機を見たことは一度もなかった。パソコン百景の取材にも本当は同行したかったのだけど、そのときは都合が合わなかったのだ。そんな経緯もあって、素直な私は、よしだくんの誘いに、

 「行きます、行きます。よろしくお願いします」

 と、即答したのだった。

葛利毛織(くずりけおり)工業へおじゃまする

 6月のとある日、尾張一宮駅で今回の見学メンバーがそろった。よしだくん、同行するアーティストの大山千尋さん、そして地元に住むよしだくんと大山さんのお友だち、ペシュカ(内田潤子)さん。ペシュカさんは、手織りやアクセサリーづくりなどのクラフトの人で、以前、私がカレーを卸している本郷の「珈琲FARO」でお会いしたことがある。そんな彼女の愛車エクストレイル(大きい!)に乗り込み、いざ織機が動く工場へと出発である。

 目的地は愛知県一宮市木曽川町玉ノ井宮前一。建物には葛利毛織工業株式会社の看板と「Dominx」というブランドロゴが掲げられている。到着すると、現役で活躍されている大井理衣さんが出迎えてくださり、2時間以上かけてじっくりと工場を案内してくれた。

葛利毛織工業の工場正面。建物には同社のブランド「Dominx」のロゴも見える。尾州の毛織物をいまも作り続ける現場である。

工場の前に掲げられた登録有形文化財の案内板。機械だけでなく、建物そのものも産業遺産としての価値を持っている。

こちらがションヘル織機の稼働する1932年に作られたという工場棟。外から見ると静かな木造建築だが、内部では古い織機が大きな音を立てて動いている。

 葛利毛織工業は、尾州を代表する毛織物メーカーとして知られている。工場では、現在も14台のションヘル織機が現役で動いている。ションヘル織機というのは、もともとドイツのションヘル社の機械が日本に伝わり、それが国産化されたものだそうだ。明治・大正から昭和初期にかけて主流だった織機で、今どきの高速織機だと1日で数百メートルも布を織れるのに対して、ションヘル織機だと50メートル織るのに3〜4日かかるらしい。

 コンピューターの世界では、速さこそ正義、という考え方が一般的で、その成長ぶりを「ムーアの法則」という言葉で表現したりもする。

 繊維産業でも、本来は高速のほうが効率的なのは間違いないのだけれど、葛利毛織工業では「必ずしも速さ=価値」ではないという。ゆっくり動く機械だからこそ、糸に無理な力がかからず、柔らかな仕上がりになる。じっくりと打ち込まれるからこそ、布の中に空気が含まれ、独特の風合いが生まれる。速度を落とし、手で細かく調整できるから、機械任せでは出せない“職人の目”が最後のひと手間として加わっている。

ションヘル織機が立ち並ぶ工場内。稼働する14台のションヘルのうち8台が1932年にこの工場の建設と同時に導入されたものとのこと。なかなかの機械音だ。

工場内に並ぶションヘル織機と木造の梁。建物フェチ、工場マニア必見だ。尾張一宮はノコギリ屋根の工場建築も名物とのこと。葛利毛織工業も、ノコギリ屋根の工場も持っているようだ。

 さきほど触れたように、ここでいま稼働しているのはションヘル織機と呼ばれるものである。ドイツのSchönherr社に由来する名前で、尾州のみで呼ばれている愛称だ。この工場で使われているションヘル織機は、国産化・改良された機械だが、多数の綜絖(そうこう)枠が組み合わされ、経糸が張られている。番手の細い糸を高密度で織ったり、複雑な織組織を表現できる。

 ここで、「あれ? エンドウの見たいのはジャカール織機じゃなかったの?」と疑問に思われる人もおられるかもしれない。

 しかし、そこはご心配なかれ、なんとションヘル織機の上に小さなジャカール織機のようなものが、ちょこんと乗っかっているのである!

織機の上部に目をやると、布地本体を織る装置とは別に、小型のジャカール織機(ジャカール装置)が取り付けられている!

ジャカール装置から下がるコードは、途中で左右に分かれて布の端へ向かう。布地の中央ではなく、布の両端の部分と関係しているようだ。

ジャカール装置に使われる紋紙。厚紙に開けられた穴の並びが、糸をどう動かすかを記録している。バベッジの解析機関では命令カード、データカード、変数カードの3種類があったが、変数カードを思わせる穴の数だと思った。

説明するために大井さんがションヘル織機の上に飛び乗ったとき一同「お~っ」となった。

 そして、例の紋紙が1枚ずつガクンガクンと機械に読み込まれていく。この装置が何をしているのかというと、布の「耳(ネーム)」と呼ばれる部分を織るためのものだったのだ。「耳」とは、布の端にブランド名や素材名が織り込まれている、あの細長い部分のこと。布がほつれない目的でも使われている。

 実は、私は子どものころからあの部分がまさに好きだった。布の本体ではなく、むしろ端っこだ。そこには文字や記号、メーカーの名前が織り込まれていて、まるで布自身が「これは自分です」と名乗っているみたいだ。ラベルが貼られたりタグがついたりするのではなく、その証明がしっかりと布に織り込まれている。

目の前でジャカール装置が文字の柄を織り込んでそれが出てくるのを見るのは感動。織機本体にエイリアンがとりついたような感じで、小型のジャカール装置が搭載されている。このキメラ感がメカ心をいよいよそそるではないか! 出力は、1980年代パソコン用のドットマトリクスプリンタに近い独特な文字表現の世界だ。

エイダは言った――解析機関は、ジャカールが花や葉を織るように代数的模様を織る

 私のIT産業史の授業では、ジャカール織機とバベッジの解析機関についてほんの少しだけ踏み込んだ紹介をしている。コンピューターの教科書には、ジャカール織機という言葉と、後に「世界初のプログラマ」とも称されるエイダ・ラブレースのエピソードは必ず出てくる。コンピューターの関係者ならみんな知っていると思うが、私は、その解析機関の“前後”こそ興味深いと思っている。

 ジャカール織機は、前述のとおりリヨンの織工・発明家ジャカールが1804年に特許を得た装置だが、ここにはナポレオン一世が深く関与している。そう、あの白馬に乗った皇帝ナポレオン、ナポレオン・ボナパルトである。当時、フランスの繊維産業はイギリスと激しい競争関係にあった背景がある。ナポレオンは完成したジャカード機構を高く評価し、その権利をリヨン市に与えて、誰もがこの織機を作れるようにした。

 これは現在のコンピューターの世界で言えば、オープンソースに通じるような効果を生み出す。また、ナポレオンといえば、コンピューターと関連の深い情報通信の分野でも、腕木通信の活用で知られている。腕木通信とは、塔の上に可動式の腕木を立て、その角度の組み合わせで符号を表現し、隣の塔の係員が望遠鏡でそれを読み取り、同じ形を次の塔へ送ることで遠距離通信を可能にする方式である。

 ナポレオンの時代というと、馬に乗った伝令、地図、砲兵などのイメージが強いが、彼は腕木通信を非常に高速な中央集権国家の神経系として利用した。特に1801年には、イギリス侵攻準備の一環として英仏海峡をまたいで通信できるように大型の腕木通信機を設計・試験させたというのはいかにもである。

 一方で、バベッジの計算機の“後”の話も重要である。

 コンピューターの歴史書の金字塔的な存在である『計算機の歴史 パスカルからノイマンまで』(The computer: from Pascal to von Neumann=共立出版が10年ほど前に日本語訳を復刊してくれた)で、著者のハーマン・H・ゴールドスタインは、「チャールズ・バベッジの階差機関を成功するまで見届けるのを怠ったために、100年以上も前の英国政府がつけられた大きな歴史上の汚点」という表現をしている。最初に開発した階差機関から、より汎用的にプログラムで動作するように構想されたのが解析機関である。その支援を打ち切ったのは英国の“汚点”とまで表現しているのである。

 バベッジの時代に、プログラムによってさまざまな計算ができることはすでに分かっていた。にもかかわらず、1940年代のENIACに代表されるコンピューターの登場までの約100年間、プログラムで動く本格的な計算機が活用されなかったのはなぜなのか。アラン・チューリングの論文を待つまでもなく、ごく初歩的な計算すら典型的な手順なのにだ。この疑問は、世界がアルゴリズムで動く現代において人間と機械の関係をさぐる深いテーマだと思う。

 『計算機の歴史 パスカルからノイマンまで』には、「バベッジが、本能的に、蒸気機関という、その時代の先端をいく技術を念頭において物事を考えていたことは注目に値するきわめて興味深い事実であろう」というくだりがある。

 まさに、スチームパンクという歴史改変SFのジャンルを生み出すことになるほどのイマジネーションは凄い。バベッジは、ほかにもいろいろ凄いのだが。

 ことほど左様に私の興味テーマとジャカール織機とその時代の機械の手触りというのは、深い関係にあるというわけなのだ。

鋼鉄のプログラムの正体

 さて、見学しているションヘル織機の話に戻る。この織機には、今回の見学ツアーでどうしても見ておきたい理由がもうひとつあった。よしだくんからのお誘いメッセージに添えられていた写真には、紋紙とは全く似ていない金属の塊が写っており、「これがプログラムだそうです」と書かれていた。ところが、それはおよそプログラムには見えないものだった。今回、その謎を解くことができた。

 織機にはメインとなる数千本から、多いときには1万本にもなる経糸がずらりと並んでいるわけだが、本体の側面に回ってみるとごつい金属製のメカが動いている。

 自動車エンジンのシリンダヘッドについている弁を開け閉めするロッカーアームのようなメカ、自転車のチェーンを極端に無骨にしたようなリンクの固まり、カムには見えないのだが、金属製のロッドに輪っかがはめ込まれている。とにかく、全体が人間がプロレスなどで扱う凶器には十分に重過ぎる黒くて油もコッテリ与えられた物体である。

織機の横に取り付けられたゴツい装置。

金属のリンクやレバーが連動して動くようだ。

 すると、そこに組み込まれているカムシャフト状のものを、大井さんは「カードです」と説明してくれた。えっ? 全然カードの形をしていないんですけど。

 実は、これまでは耳に文字を織り込むジャカール装置だけがプログラム的に動作するものだと思っていた。しかし、ここで織られている布地は、高級紳士服などに使われる毛織物である。手ぬぐいのように単純に経糸と緯糸が平織になるだけでなく、綾織や杉綾、変化組織といった、風合いや着心地を演出するために、目には見えないほど細かなパターンが織り込まれている。

 そのためには、経糸が通された綜絖枠を決められた順序で上下させ、その開口部に緯糸を通す。ジャカール装置では経糸を一本ずつ紋紙で制御するのに対し、ここで稼働しているションヘル織機では綜絖の枠ごとにまとめて上下させ、繰り返しのある組織を織る。そのための仕組みを大井さんは「ドビー」と説明してくれた。例のゴツい金属の固まりである。

 調べてみると、機械式ドビーではドビーチェーンやバー、ラグ、ペグといったものが使われているとのこと。もともとは木製の板(カード)が使われていたが、耐久性のために金属化したものもあるらしい。

 ドビーの機構で動くものを「ドビー織機」と呼ぶらしいのだが、これは“織機の方式名”である。我々が見せてもらっている「ションヘル織機」はブランド名だが、このドビー織機のしくみをメインで採用、耳の部分を織るためにジャカール織機を合体した作りになっているというわけだ。

ドビー装置のチェーンにつかうロッドとペグ。紙のカードではなく、金属の棒とコマの配置で織りのパターンを指定している。

 これによって、緯糸が走るたびにガチャンガチャンという音とともに一定の糸のパターンで織られていく。工場の中はなかなかの騒音で、いかにも機械そのものという印象だ。しかし、そこで扱われている糸や毛織物は驚くほど繊細で美しくやさしい手触りだ。機械的な力強さと素材の繊細さが同居する、不思議な世界である。

 織機は時代とともに進化し、今ではこのような古い織機にもデジタル技術が組み合わされたりしている。葛利毛織工業のションヘル織機では、電気機械式のセンサーが使われている。一つはシャトルの中の緯糸が残り少なくなったことを光で検知し、交換のタイミングを知らせる仕組みである。もう一つは、経糸が切れた場合などに電気接触式のセンサーでそれを検知する仕組みが使われている。

写真では捉えきれなかったのだが、ブルーの部分をシャトルが目に見えないようなスピードで走り抜ける。横にある丸い窓とこちらに背中を向けている配線の見える装置で、糸がなくなる前に検知するとのこと。

シャトルに入れる緯糸の「管(くだ)」。緯糸はこの小さな巻き糸としてシャトルに収まり、経糸の間を左右に飛ぶ。ちなみに、酔っ払って同じようなことをだらだらと喋っているようすを「管を巻く」というが、この管に糸を巻き付ける単調な作業の動作や音の繰り返しから来ているらしい。

整然と並んだ緯糸用の巻き糸。いつでもシャトルに入れ替えられるよう、織機のすぐ脇で待機している。

高級毛織物づくりの工程をおさらいしよう

 ここまではコンピューター屋である私の興味本位で紹介してきたが、織機は柄を織る工程だけで成り立っているわけではない。

 経糸が準備され、綜絖に通され、筬(おさ)に通される。綜絖は経糸を上下させて緯糸を通す開口を作り、筬は櫛のような器具で経糸の間隔をそろえ、緯糸を打ち込んで布の密度を決める。緯糸が整えられ、シャトルが走って緯糸が通り、ガチャンと打ち込まれる。

 基本的な仕組みは、百科事典や解説記事でわかることだが、むしろ、こうした織機の機構が動きだす前の作業に人の手が入っている。

 葛利毛織工業を紹介するパンフレットをいただいたのだが、「経糸の準備」「整経」「綜絖通し」「筬通し」「緯糸の準備」「製織」「検反」という7つの工程からなっていた。製織までの下準備だけで約一週間かかるそうだ。

 まずやらなければならないのは、糸の準備である。染色や撚糸が施された糸を巻き直し、反物の設計図に合わせて経糸を整える。「メーター繰り」といって長さと本数をそろえる。、その後、この後でてくる「たる」に巻き取り、それをもとに織機に経糸を織り出す本数で渡す「ビーム」に巻きとられる。

経糸の準備。一本一本の糸を、必要な長さと巻き方にそろえていく。

 糸がそろえば、いよいよ整経だ。

多数の糸巻きから引き出された糸が、決められた順番と幅で集められていく。

集められた糸は「たる」と呼ばれるものに巻き付けられる(写真提供:葛利毛織工業)。

「たる」に巻かれた糸を「ビーム」に巻きとる。整然と通常は4000〜8000本、高密度の織物では1万本を超える糸(写真提供:葛利毛織工業)。

 ビームができても、すぐには織れない。綜絖通しといって、経糸を一本ずつ、綜絖の小さな穴に通していく。通常は6~12枚、最大24枚もの綜絖の枠を使うそうだ。それを例のドビー装置のプログラムで上下するわけだから、組み合わせ的にはとてつもない数になる。

 もちろん、有効な柄は限られるのかもしれないが、そんな目で毛織物を見たことがあるだろうか。

綜絖通しの作業。経糸を1本ずつ綜絖の穴に通していく。

このような柄のパターンをもとに綜絖通しを行い、ドビー装置の設定も行うことで自在に柄を作ることができる。綜絖がデータ、ドビーがプログラムといったところか。

 綜絖を通し終えても、まだ終わりではない。筬通しが残っている。細かいものでは0.8mmしかない隙間に、糸を2〜4本、柄(組織)によってはそれ以上の本数ずつ通す。ルーペが必要な世界だ。綜絖通しと筬通しを合わせると、約4日間かかるという。

筬の間を均等に糸が通っているのが分かるだろう。手前のブルーの部分をシャトルが走る。

 約一週間の下準備を経て、ようやく製織だ。工場の奥から、先ほど聞いたあの音が戻ってくる。ガチャン、ガチャン。糸を傷めないためのゆっくりしたリズムで、一反が少しずつ伸びていく。

製織中のションヘル織機。シャトルが左右に走り、緯糸が打ち込まれるたびに布が少しずつ織り上がっていく。1日に10数メートル、高密度の織物では1日8メートルほど。一反(50m)織り上げるのに約4日間かかる。

ションヘル織機の側面。ドビー装置のある反対側。

ションヘル織機の正面側。“HIRAIWA TEKKOSHO”とある。

 騒がしかった製織が止まると、工場の空気がまた変わる。検反の時間だ。織り上がった反物を下ろし、糸切れなど不具合がないか入念に検査する。ここまで来て初めて、一枚の布として世に出ていける。パンフレットによれば、このあと補修・整理工場で加工し仕上げに回されるという。

織機のあいだを通る工場内の通路。機械、糸、道具、木の床が一体になり、単なる見学施設ではなく現役の仕事場であることが分かる。

工場に保管されている大量の紋紙。

シャトルに入る緯糸用の管を巻く機械。

羊毛やアルパカの毛を織っていると聞いていたが、この日は合成繊維のケブラーも織っていた。スポーツ関係で使われるらしい。

織機の歴史とコンピューターの歴史を比べるとどうなる

 葛利毛織工業の見学会では、お土産として小さな端切れや布地サンプルをもらった。布地をギザギザに切る専用のハサミでカットされたサンプル、本当に手に取ってサラリとした感触がある夏物スーツ地の端切れを選んだ。もちろん、ションヘル織機の上に取り付けられて稼働し続けていたジャカール装置が織り出した「耳」も付いているものだ。

本当に風合いが素晴らしいスーツ地と“毛100%”のやさしさのあるサンプル。

 ジャカール織機は、西陣が明治6年(1873年)にフランスやオーストリアからジャカード機などを導入し、近代的な紋織技術として発展させていった。前述のとおり、紋紙に相当する部分は電子化されていたりする。一方で、現在も紋紙を使ったジャカール織機を現役で使い続けている現場が国内に残っているらしい。

 葛利毛織工業で見学させていただいたションヘル織機は、ドビー機構を持った織機で、耳の部分だけをジャカール機構で織るようになっていた。

 そもそも、生地の“耳”というのはいつから誕生したものなのか? 1920年代、フランスのドーメル社や英国のフィンテックス社といった高級服地メーカーだったらしい。彼らは、コピー品対策としてロゴを直接織り込むことを考えた。やはり、権利に対するセキュリティ対策だったのだ。

 ところが、服地の柄を織る機械では、会社名などは表現てきない。そこで、耳の部分だけを個別に織る小型ジャカール装置を設計。それを、ションヘル織機などの上部に組み込んでしまったのだ。コンピューターでいえば、コプロセッサを搭載したような感じである。

 なお、葛利毛織工業のションヘルに搭載されたジャカール装置は、1台のみ1932年当時のもので、それ以外は入れ替えられているそうだ。

 ションヘル織機は、高度経済成長期の1950〜1960年代まで活躍することになるが、ここでまたコンピューターの歴史と重なる部分が出てくる。1970年前後の沖縄返還をめぐる日米交渉の時期、米国は長くこじれていた繊維問題を交渉材料としてちらつかせて迫り、さらにコンピューターに関しては自由化問題を指摘してきたのである。

 日米繊維協定によって、繊維の対米輸出は規制され、国内の繊維産業は大きく揺れた。より高い生産性が求められるようになるなかで、ションヘル織機は姿を消していくことになる。この時代のとくにコンピューターに関する日米間の交渉については、拙著『計算機屋かく戦えり』の「5章 通産省とIBMの駆け引き」をご覧いただきたい。

 コンピューターと繊維は、こうした産業史的な巡りあわせやジャカールに始まる自動化技術が似ているのもあるが、それだけではない共通点があると思う。

 たとえば、織機の発達によって衣服の経済的価値が変化し、それに伴って一般の人々も「見た目」を気にするようになった。1900年頃にはファッションショーも開催されるようになったという。ファッションは人の見た目の魅力や価値を高めるものだ。一方、コンピューターは人の仕事の能力を増幅するものである。

 どちらもなかなかの変化である。自動化によって「職が失われる」ということも重大なできごとではある(ジャカール織機はそれまで上から糸を引いていた空引工の仕事を置き換えたものだった)。しかし、見た目や能力というのは、そういうレベルの話ではない。人の生き方や感じ方や中身自体を変えるものだからだ。

 そして今は、AIによって人の思考までも自動化されようとしている時代である。

 そんなことを感じさせてくれる織機の見学は、とても楽しく刺激的な時間だった。葛利毛織工業の大井さん、誘ってくれたよしだくん、尾張一宮の内田さん、大山さんにも感謝したい。

 最後に、工場内で撮影させていただいた動画を何本か紹介する。

 織機で使える状態に糸を巻きなおして準備する。

 ションヘル織機の説明をしていただく。

 緯糸のためのシャトル。

 布地のパターンのプログラムにあたるドビーのペグ。

 ションヘル織機の上に取り付けられたジャカール装置。

 ジャカール装置から伸びたコードを経由して“耳”の文字が織り込まれていく。

 ジャカール装置が、目の前で見える360度写真。

 https://photos.google.com/photo/AF1QipMYuGfeZt5qVEXZFHEUpuXkc7Y2SyD2dkJOL-Lm

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遠藤 諭(えんどうさとし)

 角川アスキー総合研究所リサーチパートナー、MITテクノロジーレビュー日本版アドバイザー、ZEN大学客員教授、ZEN大学 コンテンツ産業史アーカイブ研究センター研究員。プログラマを経て1985年に株式会社アスキー入社。月刊アスキー編集長、株式会社アスキー取締役、株式会社角川アスキー総合研究所取締役などを経て、2025年より現職。雑誌編集長時代は、ミリオンセラーとなった『マーフィーの法則』など書籍も手がけた。著書に、『計算機屋かく戦えり』、『近代プログラマの夕』(ともにアスキー)など。


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