落合陽一、神職に就く
落合陽一氏が「計算機自然神社」を創建しました。
筑波大学准教授、ピクシーダストテクノロジーズ株式会社代表取締役、内閣府ムーンショット型研究開発制度ビジョナリー会議構成員/ムーンショットアンバサダーなど、複数の顔を持つ落合陽一氏。なぜ今回は神職に就くことになったのでしょうか?
サードウェーブが主催した「AIフェスティバル 2024 Powered by GALLERIA」で実施された落合陽一氏の講演で、計算機自然神社についての説明がありました。
まずは概要から。計算機自然神社は「デジタルネイチャー神社」と読みます。デジタルネイチャーとは、計算機(ここではDigital)と自然(Nature)が高度に融合した後の世界を指しています。デジタル的な世界とアナログ的な世界、人工的なものと自然に由来するものが相互に作用し合い、デジタルは自然を、自然はデジタルを反映し続けている状態ですね。
落合陽一氏の研究テーマの一つであり、彼の口調を借りると「自然ってのは、計算機の中にもあるし、外にもあるんですよー。計算機の中にも自然があるし。皆さんこれ、気づいてますかね?」ということになります。
そして今回創建された計算機自然神社。これは、デジタルと日本の神仏習合思想を掛け合わせ、現代の信仰や文化・芸術に新しい風を吹き込むために作られた、“創造性を引き出す新たな精神的な空間”とのことです。
創建式は、落合陽一氏自らが、計算機自然神社の「禰宜」として、宮澤伸幸 宮司と共に執り行いました。
祀られているのは「ヌルの神様」です。アスキー読者なら説明不要かもしれませんが、ヌルはデジタルにおける「ヌル(Null)」ですね。何にでもなる存在であり、何でもない存在でもある。ヌルを神格化したのが、ヌルの神様です。「存在しない」という存在を、神格化しているということになりますね。
どんなご利益があるのか? 信濃國(長野)天空の社・車山神社の宮澤伸幸 宮司が専務理事を務める日本文化伝承協会の発表によれば、「無から有を生み出す可能性の拡大」と「創造性と思考の深化」であるそうです。無は全ての出発点であり、回帰する先でもある。無であるということは、何者にでもなれる。たしかに、創造性や思考を高めたい人が参拝するのに適しているように思えます。
デジタルネイチャー時代の信仰とは
ちなみに落合陽一氏、この分野には以前から挑戦しており、2023年には「オブジェクト指向菩薩」という菩薩を手がけています。
オブジェクト指向菩薩は、自然と生命の全体を理解する新たな視点を与える菩薩であり、“デジタルネイチャーの世界が帰納する、物質と非物質、生命と非生命、機械と非機械の境界を問い直し、新しい視点から自然と人間との関係性を理解し、新たな自然観を形成するための道を示す”菩薩であるそうです。
プログラミングにおける「オブジェクト指向」は「プログラムの要素を、独立した存在ではなく、他の要素との関係性の中で意味を持たせる理論体系」と表現できます。この感じ、デジタルネイチャーにも通ずるところがありますよね。落合陽一氏の口調でいうと「分かりますかね、この感じ? 伝わりますか?」です。
落合陽一氏が講演中、この神社について話した流れで、こんな風に語っていました。「皆さん、交通安全の神社とか行きますよね。車が事故に遭わないように、とか祈願します。それをみんな信じている。デジタルに関するご利益があって、そこでデジタルに関する願いを込めてお祈りするっていうのも、きっと普通になりますよ。『サイバー攻撃に遭いませんように』とか」
補足すると、自動車って、昔は存在していなかったわけです。なので、今日のような「交通安全祈願」という概念もなかったし、「交通事故に遭いませんように」というお願いをする人もいなかった。しかし現代では、一般的です。
そのイメージでいくと、計算機自然神社の意味合いが少し親しみやすいものになりそうです。デジタルネイチャー時代には、デジタルネイチャー時代に“望まれるべき”“望まれやすい”お願いというものがあって、ご利益を求めて、デジタルをテーマにした神社に参拝しにいく……新鮮ではあっても、特に変わったところのない、自然な行為に思えてきます。
あなたは、ヌルの神様に何をお願いしたいですか?