著名人が語る、サーモスとの出会いや転機。インタビュー企画「6 PERSONS with THERMOS」 第2回

"心地よさ"を題材に人気作家「蒼井ブルー」によるショートストーリー「琴音ちゃん」

文●写真● 蒼井ブルー

提供: サーモス

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 文筆家・写真家として活動されており、複数の著書やXでの投稿が若年層を中心に人気の蒼井ブルーさん。サーモス製品をご愛用されているご縁から、オリジナルのショートストーリーを書き下ろしていただきました。

作者・蒼井ブルー コメント:

 ブランド120周年おめでとうございます。自著のなかでサーモス製品にまつわるエッセイを書いたことがあるくらいのファンです。このような特別な機会に携われることを大変うれしく思います。

 今回の執筆は、人にとって、また自分にとっての「心地よい」がどういうものなのかを考えるところからスタートしました。そしてたどり着いたのが「家族」です。ぜひ読んでください。

サーモス

 琴音(ことね)ちゃんはわたしのお姉ちゃんで、社会人三年目の会社員だ。高校二年のわたしとは学年でいうと八個離れている。大学生までは千葉の実家で家族四人で暮らしていた。いまは会社のある新宿の近くでひとり暮らしをしている。

 琴音ちゃんが出ていってからもわたしたちは仲がいい。定期的にお茶かごはんに行っている。琴音ちゃんのおうちでお泊まり会をすることもあって、一緒に映画を観たりゲームをしたりする。

 琴音ちゃんは会うといつも「陽菜(ひな)は最近どう?」「困ってることはない?」と訊いてくれる。わたしは学校のことも恋愛のことも美容のことも将来のことも、なんでも話す。大して面白くない話でもちゃんと聞いてくれてやさしい。

 琴音ちゃんのことを友だちに話したら「そんなお姉ちゃんがいて幸せだね」と言っていた。わたしは自分が幸せかどうかをあまり考えたことがなかったけれど、琴音ちゃんに話すと胸がすっとして、悩みがあったとしても思っていたほど大したことではないように感じられた。

 琴音ちゃんの話を聞くのも好きだ。放っておくと自分のことはあまり話さないので、こちらからどんどんつっこんで聞き出すようにしている。琴音ちゃんのことはなんでも知っておきたい。いちばんの仲よしでいたい。

 琴音ちゃんには大学時代から五年つきあっている彼氏がいる。やさしそうな人で、わたしも何度か会ったことがある。周りからはお似合いだと言われているらしい。けれどわたしは、正直そこまでは思わない。

 琴音ちゃんはK-POPアイドルみたいにかわいいし(昔オーディションに勝手に応募しようとして怒られた)、性格もめちゃくちゃいいから、きっといつもどこでもモテてきたと思う。だからそうやってひとりの人と長くつきあっていて真面目というか、えらいなと思う。

 琴音ちゃんの現在の目標は「資格を取って転職してお金を貯めて彼氏と同棲する」だ。琴音ちゃんの勤める会社はホワイト企業で働きやすいらしいのだけれど、決して手取りがいいとは言えず、いつまで経ってもお金が貯まらないのだとか。

 その国家資格は毎年十月に試験が行われていて、合格率は十七%ほどしかないらしい。ただでさえ難関の資格を働きながら勉強して取るというのは、とても大変なことだと思う。実際、琴音ちゃんからも「六月から勉強の時間を増やすから会えなくなる」と告げられてしまった。

 何ヵ月も琴音ちゃんなしで生きていかなければならないだなんて。まるで失恋したような気持ちだった。「琴音ちゃんフォルダ」の写真をいちから全部見たりした。だんだん胸が苦しくなってきて、電車のなかで泣きそうになって危なかった。

 それから数日が経って、わたしは大いに反省した。勉強を頑張るという琴音ちゃんに、どうして「応援するね」くらいのことを言えなかったのかと。琴音ちゃんはいつも前向きな言葉でわたしを励ましてくれるのに、わたしは自分のことしか考えていないのだ。

 最低な気持ちになってお母さんに相談したら「なんだ、そんなこと? 深刻な顔してるから何事かと思っちゃった」と笑っていちごを食べていた。

「じゃあ、勉強の応援グッズでもあげたら? ほら、あるじゃない、目をあたためるのとか」

 お母さんにそう言われて応援になるような物を考えてみた。ふと、部屋で勉強をしていた琴音ちゃんがノートを濡らしてしまったのを思い出した。デスクのうえで冷たい飲み物を入れていたグラスが結露して、手に取ったときにぼたぼたと水滴が落ちたのだった。

 検索してみるとCMで観たことがあるブランドメーカーのタンブラーが出てきた。真空断熱構造というものになっていて飲み物の温度を長時間キープするうえに、結露もしにくく、外側が熱くなることもない結露しにくいのだとか。

サーモス

 これだと思った。バイト代が入ったらすぐに買いに行こう。グラスにしてはちょっといい値段がするけれど、そのぶん「本物」という感じがしてかっこいい。なにより勉強のお供にぴったりだ。

 お母さんにタンブラーのことを話したら「いいんじゃない。買うならお母さんも半分出してあげようか?」と言ってくれてラッキーだった。けれどお風呂に入りながらあらためて考えていたら、人に出してもらうのは違うような気がしてきた。

 そのあとなんとなく寝つけなくて、ベッドのなかからお母さんに「タンブラーのお金やっぱ出してくれなくていい。自分で買わないと意味ない気がする」と送信した。すぐに「お母さんもそう思う。おやすみ」と返信があった。さらに「お母さんにも買って。それでビール飲むわ」と届いておかしかった。

 五月最後の金曜日。アラームが鳴る前に自然と目が覚めた。今夜は琴音ちゃんのおうちでお泊まり会をする。琴音ちゃんの試験が終わるまでは会えなくなるから、最高に楽しい時間にしたい。琴音ちゃんを充電しておきたい。

 学校から帰るとお母さんが山のようにからあげを揚げていて「持って行ってふたりで食べな」と言ってくれた。昔から特別な日にはからあげを揚げてくれた。誕生日とかクリスマスとかお正月とか。琴音ちゃんが出ていく前夜もそうだったっけ。

 あのときはお父さんもお母さんも酔っぱらって、ふたりの結婚前の話を聞かせてくれて楽しかった。つきあいはじめたころのお父さんは忙しさにかまけてちゃんとしたものを食べていなかったらしい。心配になったお母さんはおうちに遊びに行くたびに手料理を目いっぱいタッパーに詰めて持参したのだとか。

「それがほんとにありがたくて、気がついたら結婚してた。でも、いま思えば完全にお母さんの作戦だったよね、胃袋をつかむ的な。やられたわ」

 お父さんがそう言うとお母さんは「ばかじゃないの」と返していたけれど、顔はうれしそうでかわいかった。

 お化粧をして、最近いちばんお気に入りのコーデでおうちを出る。着替えやお泊まりセットも忘れずに持った。リュックが少し重いけれど、気分は綿毛みたいに飛んでいきそうなくらい軽い。

 地元から電車で四十分ほど揺られて新宿に着く。琴音ちゃんがひとり暮らしをはじめてからは新宿で会うことが多かったから、千葉の芋高校生にしてはこの辺りの地理に詳しい。わたしも大学生か社会人になったらひとり暮らしがしたい。前にそれとなくお母さんに言ってみたら「包丁も持てないのに?」と笑ってみかんを食べていた。

 歩くのが速い人にはなかなか慣れない。ぶつかりそうになって怖いから。早くおうちに帰りたいのだろうか。それなら今夜のわたしも負けていない。競歩の選手みたいに駆けるようにして歩いて、歩き抜いて、最後は琴音ちゃんの胸に飛び込むのだ。

 お目当てのタンブラーは大型雑貨店ですんなり買えた。バイト代が入る前に一度予習に来ていてよかった。実物をはじめて手に取ったときは、ぐっとくるものがあった。何度も検索して見ていたから。「おお、これが」「やばい」と思わず声が漏れて、店員さんが見てきて恥ずかしかった。

 ギフト包装がかわいくて、早く渡したくてうずうずしてくる。もしも琴音ちゃんが気に入ってくれたら、来月の父の日にお父さんにもあげようかな。しゃあなしでお母さんにも。

 琴音ちゃんに「もうすぐ駅に着くよ」と送信すると「待ってるね」と返信があった。琴音ちゃんのおうちは新宿から電車で一駅行ったところにある。前に琴音ちゃんが言っていた。この街は住みやすくて、はじめてのひとり暮らしがここでよかった、と。

 わたしも遊びに来ているうちにすっかりなじんだ。そうだ、わたしもひとり暮らしをするときはこの街にすればいいのだ。琴音ちゃんにだってすぐに会えるし。いや、そうなるころにはもう琴音ちゃんはここで暮らしていないかもしれない。

 改札を出て十分ほど行くと白いマンションが見えてくる。人通りの多い駅前と違ってぐっと静かだ。オートロックの扉の前でインターホンを押すと「はーい」と高い声がした。カメラに向かってお母さんのからあげが入った袋を「おみやげー」と見せる。タンブラーが入った紙袋は体の後ろに隠した。

 エレベーターに乗って七階のボタンを押す。着くまでのあいだに顔や髪の確認をする。ここのエレベーターはいつも鏡がきれいで好きだ。念のため歯になにかついていないかも見てみる。ついでに口角を上げて笑顔をつくった。

 琴音ちゃんと会うときは、いつもあっという間に時間が流れる。帰り道になって「あの話するの忘れた」と悔やんだりする。今日は来るときの電車で絶対に話しておきたいことをメモしたから大丈夫だ。

 おうちの前までやって来た。資格を取るため毎日遅くまで勉強する琴音ちゃんの姿を想像してみる。

「頑張ってね、応援してる」

 わたしはリハーサルするみたいにそうつぶやいて、インターホンを押した。

蒼井ブルー 文筆家・写真家

NS上で綴られる言葉が評判となり、2015年には初のエッセイ『僕の隣で勝手に幸せになってください』を刊行。たちまちベストセラーに。以降、書籍、雑誌コラム、広告コピーなど活躍の幅を広げている。ほかの著書に、『NAKUNA』『君を読む』『ピースフル権化』『もう会えないとわかってから』『こんな日のきみには花が似合う』など。