高層ビルや歴史的建造物など、丸の内の建物群を現場のレポートを交えながら紹介する連載「丸の内建築ツアー」。5回目となる今回は、歴史的建造物&高層ビルのうち、昭和の建造物として初めて重要文化財の指定を受けた「明治生命館」を有する「明治安田生命ビル」を紹介していきます!
外観がシンプルで合理的なモダニズム建築へ移り変わる中、繊細優美な古典主義様式を採用した「明治生命館」
「明治安田生命ビル(明治安田ヴィレッジ、2023年6月丸の内 MY PLAZAから改称、)」は、明治生命館と千代田ビルヂング、旧明治生命新館、旧明治生命別館の跡地の再開発により建設された地上30階、地下4階、高さ146.80m、2004年8月竣工の超高層ビルです。その再開発事業の際に皇居側に建っていた「明治生命館」は、昭和期竣工の建物として初めて重要文化財の指定を受けていたことで保存がなされました。
明治生命館は、ジョサイア・コンドルと曾禰達蔵が設計した三菱第2号館跡地に建設された地上8階、地下2階、高さ100尺(約31m)、延床面積31,762㎡の近代建築物で、設計を依頼された明治生命の建築顧問の曾禰達蔵は指名コンペ方式を提案、当時を代表する建築家8名を推薦して、その中から採用されたのが、東京美術学校教授の「岡田信一郎」による設計案で、構造設計を内藤多仲、施工を竹中工務店が行ったものでした。
当初は三菱2号館を残して隣接して社屋を建設する予定でしたが、“新旧両敷地を合わせた大建築こそ理想”との岡田の進言により、三菱2号館も解体して建設されることが決まりました。
着工は1930年9月で、着工後間もなく病弱であった岡田信一郎は病に伏して1932年4月に急逝、当初から設計に参画していた実弟の岡田捷五郎が後任に就き、1934年3月31日に竣工しました。竣工時は建物構成や設備面から、昭和初期におけるオフィスビルの最高峰を示すものといわれたほどでした。
外観デザインは、古代ギリシア・ローマを源流とする古典主義様式でまとめられており、特に皇居に面して配置された5層分を貫く10本の巨大なコリント式列柱の堂々たる迫力が特徴となっています。この列柱にはエンタシスと呼ばれる視覚矯正のための微妙なふくらみが付けられており、上部へ行くほど細くなっています。また、外壁は3層に分けられており、下層に重厚な粗石積みの基壇階<グランドフロア>、その上に列柱からなる主階<ピアノノービレ>、さらにその上層に屋階<アティックストーリー>を軽やかに乗せたものとなっており、古典主義建築の伝統的な三層構成の壁面分割が踏襲されています。
構造は鉄骨鉄筋コンクリート造が用いられていますが、外観は石造のような見た目をしており、外装の石材には岡山県北木島産の花崗岩が用いられています。繊細な装飾は、列柱の柱頭部分に優雅なアカンサスの葉飾りや軒蛇腹下の飾り持ち送りのモディリオン、丸い花型飾りのロゼットの組み合わせが特徴的です。さらに一定間隔で小さなライオン像が施された7階の大コーニス、1階コーニスに施された雷紋「フレット」、ブロンズ製のドアや窓枠など、細かな部分まで古典主義に基づく意匠が採用されています。
内観デザインは、大空間に柱が林立する店頭営業室・吹き抜け廻りが、館内で最も荘厳な雰囲気の漂う空間となっており、外観同様に古典主義により構成されていますが、イタリア産ボティチーノクラシコをはじめとする各種の大理石が用いられており、こちらは外観の重厚感とはまた違った明るく華やかな印象を受けるものとなっています。吹き抜け空間の中央部は天井が格子状に組まれ、ガラス屋根のトップライトからは自然光が入る設計とされ、周囲は八角形の窪み「コファリング」と丸い花型飾り「ロゼット」で華麗な意匠であることが特徴的です。
店頭営業室・吹き抜けに対して、2階の会議室、食堂、応接室、執務室などは、木材が多用されるなど、落ち着いた雰囲気に仕上げられており、応接室では凹凸のある白塗りのスタッコの壁、ステンドグラス、意匠梁を用いたビーム天井など、昭和初期に流行したスパニッシュ様式で構成されており、食堂には天井や梁にぶどうと鷹蔦がデザインされた石膏レリーフが配置されていたりします。
インテリアは、梶田恵によるデザインでとされており、各部屋のデザインに応じてスパニッシュ式、イギリス式、ルネサンス式など様々な西洋古典様式を用い、建物のデザインと調和したものが採用されていました。
戦争と戦後のGHQ接収
明治生命館は、竣工後10年しないうちに太平洋戦争に巻き込まれます。
1941年には金属回収が始まり、意匠的に優れたブロンズ製の金属製品のみならず、エレベーターや照明器具までもが供出され、痛手となりましたが、空襲などの被害はなんとか免れ、終戦を迎えます。戦後はGHQが明治生命館に対してもアメリカ極東空軍司令部として使用するために接収の指令を下し、最高司令官の諮問機関として米・英・中・ソの4カ国代表による対日理事会が設置され、第1回会議が2階会議室で開催されました。連合国軍最高司令官D.マッカーサーが演説を行い、その後、対日理事会は2週間に1回ずつ開かれ、GHQが廃止された1952年まで164回も行われました。
そして高度経済成長期に入る直前の1956年7月18日に明治生命館屋上でアメリカ軍からの返還式が挙行され、星条旗に代わり日章旗が掲げられました。
返還後は、戦時中の金属供出時に行われた仮補修、GHQ接収中にアメリカ軍により改変されてしまった箇所の全般的な補修・復旧工事が始まり、内外装全般の修復、エレベーター、設備更新、戦時中に供出した金属製品を原則として当初形式への復元がなされました。
再開発事業と改修工事
再開発事業では、区域内の歴史的建造物を保存する代わりに重要文化財と新設する超高層ビルを一体のものとして捉え、容積率割り増しをする優遇する東京都による制度「重要文化財特別型特定街区制度」が日本で初めて適用されており、基準容積率1,000%に対し、当時日本初となる容積率1,500%が実現しています。
新設された超高層ビル「明治安田生命ビル(丸の内 MY PLAZA)」の外観は、明治生命館の外装石に調和するイタリア産花崗岩を明治生命館側の列柱の配列に近似した間隔で配置し、北西側に少しだけ設けられた低層基壇部は100尺の軒高として、調和や統一感を持った開発としていることが特徴です。
また、丸の内仲通りから日比谷通りへと通ずる貫通通路のアトリウムには、明治生命館を間近に見渡せるような形になり、近未来と歴史の重みの両方を感じられる空間となりました。
ということで、今回は「明治生命館/明治安田生命ビル」をレポートしました。歴史的な建物であるにも関わらずまったく古さを感じさせず、皇居側から見る建物の中でも圧倒的な存在感を放つ建築物でした。重要文化財である明治生命館の建物内部は一部、一般の方にも公開されているので興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょうか?
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