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まつもとあつしの「メディア維新を行く」 第89回

〈前編〉アニメの門DUO 氷川竜介さんと語る『水星の魔女』

『水星の魔女』はなぜエポックな作品なのか?

2023年06月17日 15時00分更新

文● まつもとあつし 編集●村山剛史/ASCII

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間違った使われ方をしている「世界観」という言葉

まつもと 氷川さんに今日お越しいただいた理由は『水星の魔女』のほかにもう1つありまして。じつは氷川さんの最新刊が発売されていて、しかも大変勉強になる内容だという話なのです。

氷川 新書は初めてですね。

まつもと まずタイトルが『日本アニメの革新 歴史と転換点となった変化の構造分析』ということで、先ほどから氷川さんにお話いただいている、「変化」を掘り下げていく本になっています。特にポイントとしては下記の3つですね。

・従来バラバラに論じられてきた歴史的指標を「転換点」と再定義する
・「転換点」の「以前以後」で何が起きたのか、その「革新」を具体化する
・「転換点」を単独のものではなく「結節点」としてとらえ、「連鎖」を発見する

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まつもと まどマギや『水星の魔女』に連なるいくつかの連鎖があるというのが、まさにそういうお話かなと思って聞いていました。この本も書かれた上で『水星の魔女』をどんな風に捉えられているのかなというのが、興味深いです。

氷川 今言われたことは前書きにも記しましたが、『水星の魔女』にもたぶん適用できることです。基本的には、転換点とは「ルール変更」だと思っています。それにはある種の下剋上的な関係が必ず伴うわけです。

 本のなかでは特に1980年代の話をしていますが、おもちゃメーカー自身がOVAというかたちでビデオビジネスを始める。それから出版社の徳間書店が『風の谷のナウシカ』(1984年)という映画を作ってビジネスを始めるのもほぼ同時期です。

 つまり、それまで版権を下ろしてもらっている立場だった人たちが一次発信者になるという発想の転換が共通しています。

 こういった変化がじつは連綿とつながっているのでは? ということが1つです。あともう1つが、アニメってキャラクターと物語ばかり言及されますが、日本のアニメで一番大事なことは、“人が世界をどのように見ているか?”ということを、きちんといろんな手法で描いていること――世界観主義とこの本では呼んでいますが――にポイントがあるのではないかということ。

 現在、「世界観」という言葉がすごく杜撰、と言ってしまうと申し訳ないのですが、便利な言葉として使われてしまっています。たとえば「この世界ではナントカ魔法が使えてナントカ魔導士がナントカ……」というものが世界観だと思っている人が多い。でも、それは違いますよ、と。

 あくまでも、フィルムメイキングの技術を使って「世界は個人からどのように見えているのか?」を結晶化したものです。その伝わり方にエポックがいくつかあり、あらためて再定義していくと1本の線で結ばれるのでは……というのが新著全体の主張ですね。とは言え、『水星の魔女』とはあまり結びつかないのですが(笑)

 でも、そういう風に『水星の魔女』は作られていますよね。ガンダムを良いモノと思っている人と、悪いモノと思っている人がいる……これも世界観のぶつかりみたいなものですから。

氷川竜介さんの新著『日本アニメの革新 歴史の転換点となった変化の構造分析』(角川新書)は絶賛発売中

まつもと これまでのシリーズでは「ガンダムこそ善である」という描かれ方をしていたところを、『水星の魔女』ではプロローグから「ガンダムこそが悪である」と強調していく。

氷川 ガンダムって、なんだかんだ言ってもテレビまんがの末裔ですからね。『マジンガーZ』(1972年)や『仮面ライダー』(1971年)なども含む勧善懲悪ものが栄えていた1970年代の作品ですから。ファーストガンダムもまだ半分そっち側なんです。

まつもと その部分が肥大化したようなガンダムシリーズもありつつ、今回はそれをひっくり返しますよ、と宣言している。

氷川 呪いだと言っていますからね。

まつもと 呪いという言葉にもいろんな意味がたぶん込められていると思うんですけれど。見返してみると、いったんひっくり返して新しいものをやるよという宣言なのかな。

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