国からの運営費交付金の削減で、教育研究事業や人材育成の資金難に直面している日本の国立大学(法人)。そんな苦境に立たされながらも、社会問題の解決に取り組む「未来社会デザイン統括本部」を創設して、2030年へのロードマップを作成。そして産学官民のオープンイノベーション、スタートアップを支援するプラットフォーム創設、九州・沖縄地区の11大学との連携や、沖縄科学技術大学院大学(OIST)との連携など、社会変革に向けて、次々と新たな挑戦を続けているのが九州大学だ。その大学を率いる総長・石橋達朗氏に、エリアLOVEウォーカー総編集長の玉置泰紀が聞いた。
国立大学法人の現状と課題とは?
日本の大学が世界ランク上位にならない理由
――国立大学法人が、現在置かれている状況をお聞かせ下さい。運営費など、さまざまな問題が指摘されているところではありますが
石橋「非常に厳しい。このひと言に尽きます。やはり国からの運営費交付金の削減が大きいです。法人化翌年の2005年と比べると約1500億円減額され、その分がいわゆる競争的な研究資金の方に回されている形です。基盤的な運営費交付金を確保した上でなら分かりますが、国内大学だけで競っても、国全体の研究レベルの底上げにつなげるのは難しいと思います」
――“選択と集中”だけでは、できない学問もあります
石橋「ノーベル賞を受賞されている日本人の先生方は、何十年も前から取り組んでいた基礎的な研究が受賞へとつながっています。すぐに結果が出るような研究ばかりに注目しても、先行きは厳しいと思います。
例えば、九大ではカイコの研究が100年以上続いていますが、この研究が新薬開発につながったことで、最近やっとマスコミにも取り上げられるようになってきました。地道なことをずっと続けてきて、初めて花開いたわけです。営利企業ではやらないような、すぐには役に立たない研究でも、大学は取り組んでいかないといけません。これは特に国立大学がなすべき役割だと思っています」
――今流行っているものに飛び付いても、すでに時代遅れ。今は無駄に思えるものが、後に新しいフェーズを生み出すことになるかも
石橋「大学での研究では、そういう考えが非常に大事です。だからこそ、しっかりした資金の確保がないと、研究は継続できません。基礎的な研究資金をしっかり確保しつつ、競争的資金も取りに行くことが大事だと思っています」
――石橋総長は、産学官民の連携に関してもすごく熱心に取り組まれていますね
石橋「基礎的な研究もさることながら、社会貢献も非常に大事です。研究するだけではなく、その成果を社会に還元することは大学の務めだと思います。
私は医者なので、やはり患者さんにどう貢献できるかということが、常に頭にあります。つまり基礎だけではなく、基礎から臨床へということがとても大事で、医学部にいた時も何とかそういうことができないか、と試行錯誤していました」
――アメリカのハーバード大やイェール大などでは、民間の企業から多額の寄付を受けて病院などの施設を建設しています。九州大学ほか旧帝大が設立された際も、民間の寄付がありましたが、そういうことがもっとあっていいし、産学官民の連携は民間出資、寄付への呼び水にもなりそう
石橋「そうですね。日本は寄付の文化が根付いておらず、そこは広げていきたいと思っています。
九大の伊都キャンパスには、椎木講堂という大きな素晴らしい講堂がありますが、この建物は、実業家の椎木正和さんが九大の活動と将来構想に賛同され、創立100年を機にご寄付いただいたものです。
キャンパス内には、実業家の稲盛和夫さんが理事長を務める財団からご寄付いただいた稲盛財団記念館もあり、優秀な若手研究者が切磋琢磨する場となっています。九大には、教育研究や診療等に対する支援などを目的とした『九大基金」があり、この基金によって優秀な学生の支援も行っています」
――世界の大学ランキングで日本の大学が上位に入らないのは、世界の基準と日本の何が違うんでしょうか
石橋「日本の大学も頑張っていますが、海外大学の勢いがそれを上回っている状況です。先ほどの研究費の問題もありますが、研究者が研究する時間そのものが少なくなっています。研究者が研究に没頭し、その成果を質の高い論文として出せるような環境を整えなければならないと考えています。
海外大学と比べると、待遇も良いとは言えません。そこで九大では、秀逸な若手研究者を破格の好待遇で雇用するプログラム(稲盛フロンティアプログラム)を最近創設しました。このプログラムを上手く機能させ、研究力を上げていきたいと考えています」
――海外の研究者の方は秘書が実務や雑務をやってくれて、研究に集中できるとか
石橋「研究費の削減で、研究以外の雑多な仕事をやってくれる人をなかなか雇えない、というのが日本の現状です。あれもこれも研究者が自分でやらなければならないとなると、研究時間が削られます。研究時間が削られると研究がなかなか進まず、いい論文も出せないし、研究者としてのステップアップにもつながりにくくなる。こういう悪循環が起こっています。
研究者と言えば、昔は若い人が憧れるような職業でしたが、残念ながら日本では今、博士課程に行く人も少なくなっています」
――日本という国は、天然資源に恵まれているわけでもないから、一番の資源は「人」ですよね。研究者や学問をもっと大切にしていかなければ、というところで、国際卓越研究大学制度についてはいかがですか
石橋「九大は、国際卓越研究大学制度(選定された数校の大学に、年最大3000億円規模の助成を行う制度)に申請しています。2021年に指定国立大学法人(世界最高水準の教育研究活動の展開が相当程度見込まれる国立大学法人)の指定を受けましたが、中国・四国、九州・沖縄地区では本学だけです。
九州・沖縄の国立11大学の連携(九州・沖縄オープンユニバーシティ=KOOU)や沖縄科学技術大学院大学(OIST)の連携を契機に、九州・沖縄の大学と一緒にステップアップできたら、という思いがあります。
結果はまだ先ですが、こういうチャレンジは若い人のやる気にもつながると思っています」
九大が目指す未来の姿とは?
2030年へのロードマップ
――「Kyushu University VISION 2030」のYouTubeを拝見しましたが、面白いですね
石橋「よくできているという評価をいただいています。九大は、約20年前に九州芸術工科大学と統合して、総合大学でデザイン系の学部を持つのは九大だけで、ここが特長だと思っています。これを活かして、自然科学系、人文社会科学系、そしてデザイン系という多彩な研究分野の知の複合、融合により社会的課題の解決に必要な総合知を生み出し、社会変革を牽引するという戦略を打ち出しています。
特にデザイン思考は非常に重要で、10年後、20年後のいろんな未来社会をデザインして、そこに到達するまでのプロセスもデザインしていく。そういったストラテジーが重要だと考えています」
――同時に新たな社会経済システムを創出するという、具体的な提案がすごく面白いなと思います。概念だけではなく、実際の商業構造とか経済構造も含めて、そのエンジンになるんだ、というのがいいですね
石橋「ビジョンを打ち出すだけではダメなので、実現に必要な基盤となる3つの組織を昨年4月に立ち上げました。
ひとつは、未来社会デザイン統括本部。これは社会的課題解決に向けた取り組みを推進する司令塔です。特に社会的課題解決に向けて、九大の強みの分野である脱炭素、医療・健康、環境・食料という、3つのエントリーポイントを設定しています。この3つのエントリーポイントでは、10年後、20年後に向けたロードマップも立てています。
もうひとつの核となる組織のデータ駆動イノベーション推進本部(DX本部)では、DX=デジタル・トランスフォーメーションを推進します。DX本部と未来社会デザイン統括本部が両輪となって、社会的課題の解決に取り組んでいくというストラテジーです。
さらには、それらの活動から生み出された成果をできるだけ早く社会実装につなげ、社会に還元していく、産学官民連携のオープンイノベーションプラットフォーム(OIP)です。本学の研究成果を社会に還元させる道筋を立てて、そこに研究者たちが集まって、総合知で社会実装に持っていこうという取り組みを今進めているところです」
――ロードマップを完走した時、どんな新しい九州大学が見えてくるのでしょう
石橋「九大というよりも、やはり社会全体がこれからの変化に、どう対応していくかということだと思います。脱炭素ではこう、医療・健康ではこう、とそれぞれの変化に応じた姿になると思います。
例えば脱炭素では、これぐらい二酸化炭素の排出を削減するためには、こういったことをしなければとか、あるいは環境の面からプラスチックをどうするとか、全体を見渡してひとつひとつやっていく。こういうことは大学がプラットフォームとなって率先してやらないと、なかなか難しいと思います」
――九州大学のこうした取り組みは、社会を動かす大きなトリガーになりますね
九州・沖縄の11大学、沖縄のOISTとの連携で広がる可能性
――九州・沖縄地区の11大学と連携協力の覚書を締結されましたが、大学が一丸となることで、どういうメリットが生まれますか
石橋「資金や研究機器・設備面でもそうですが、各大学の個々の取り組みには限界があると考えています。九大には九大の強みがあるし、他の大学にも強みがたくさんありますので、大学がまとまることで、それらの強みを活かしていきたい。
そういう思いで、2021年9月に国立大学協会九州支部の下に、『九州地区再生可能エネルギー連携委員会』を設立したのが、きっかけのひとつでした。九大には脱炭素や水素といった得意分野があるし、他の大学では風力などそれぞれ得意分野がある。だから11大学が協力して、九州の経済界や産業界と共に脱炭素をやろうじゃないか、ということから始まりました。
もうひとつは、2022年8月に立ち上げた『PARKS』。科学技術振興機構(JST)の事業採択を受け、九大と九州工業大学が主幹機関を務める大学発スタートアップ創出プラットフォームです。このプラットフォームには、九州・沖縄の国立大学だけでなく、私立公立も含めて現在計19大学が参画しています。アントレプレナーシップ教育から起業活動支援までを共同で実施する、スタートアップ育成システムの創出を目指す取り組みです。
こうした取り組みの積み重ねにより『KOOU』を作る素地があったので、各学長や先生たちに賛同いただいて立ち上げました」
――具体的には、もう何か進行していますか
石橋「この5月に各大学の学長に集まっていただき、今後の運営体制を検討しました。まずは研究支援人材(URA)の育成など、各大学が協力してできることから始めていこうと考えています」
――沖縄科学技術大学院大学(OIST)との連携についてはいかがですか
石橋「世界基準の研究や雇用制度、研究支援の体制など、OISTには九大が学ぶところが多くあります。OIST側も、例えば本学の産学連携活動の仕組みや、九大病院との連携などのメリットがあって、ウィンウィンの関係になれると感じています」
好きなことを見つけて突き詰める!
九州大学で学んでほしいこと
――コロナ禍もようやく5類扱いとなり、学生たちも本来のキャンパスライフを送れそうですが、総長就任時からのコロナ禍で苦心された点は?
石橋「学生たちの精神的なケアで、人との会話がないというのは、非常に辛いです。特に入学したばかりの新入生は、ほぼ全部リモートでの授業になりましたので、精神的なケアが非常に重要だと思いました。
私が2020年10月に総長になった時、学生のための安心安全プランを策定しました。ひとつは感染防止の3つの対策で、もうひとつは教育環境の充実。九大では、学生のPC必携をコロナ禍前から実施していたので、オンライン化がすぐにできる環境にあって、大変役に立ちました。あとは生活面の支援です。アルバイトもできなかった学生も多くおり、約1万5000人に各3万円の支援を行いました」
――これから九大を目指す学生たちにメッセージを
石橋「九大は、環境にとても恵まれています。福岡市や糸島市に住むとよく分かるのですけど、非常にコンパクトで東京や大阪とは違います。国際性が豊かでアジア方面の方もたくさん来ますし、食べ物もお酒も美味しい。
伊都キャンパスは広大で、面積は272ヘクタール、東京ドーム約60個分あります。これだけの広い敷地でありながら、塀が無いのが特徴です。周りと共存してやっていこうというスタンスなので、いろんな意味での交流ができると思います。自治体もよく協力してくれますし、産学連携も行いやすい。
初代総長の山川健次郎先生が、初訓示でこうおっしゃっています。『修養が広くなければ、完全な士と云う可からず』。つまり、いろんなことを大学で勉強しなさい、そこから自分の専門性を磨いていきなさいということです。大学の教育とは、自分でやりたいことを見つけて、その分野を深めるものだと考えています。自分に向いていることが分かれば、その方面なら2倍、3倍の力が出てくるのではないかなと。
今は、高校で成績が良い生徒に医学部を勧めることもあるらしいですが、成績だけで判断するのは違うと思います。やっぱり自分がここだ、と思う大学を受験するのが大事です。そこから自分がやりたいこと、好きなことを突き詰めていってほしいです」
資金難にあえぐ国立大学法人の研究力低下は、日本の国際競争力の低下へとつながっている。そんな中で、大学の本来の役割とは何か。その基本を大切に、社会課題の発見・解決・社会実装に向けたプラットフォームを作り、産学官民の連携やスタートアップ支援を進める、さらには、九州・沖縄の11大学やOISTと連携することで地域全体の総合力の底上げを図るなど、より良き未来のために果敢な策を打つ石橋総長。その飽くなきチャレンジスピリッツが、九州の地から日本の社会変革も牽引していくに違いない。
いしばし・たつろう●1949年生まれ。長崎県平戸市出身。九州大学医学部卒業、九州大学大学院医学研究科(病理学教室)修了。1986年2月、九州大学医学部眼科講師となり、 2001年9月九州大学大学院医学研究院眼科学分野教授、2013年3月九州大学副学長、 2014年4月九州大学病院長を歴任し、2020年10月に総長就任。専門分野は眼科。趣味はスポーツ観戦。好きな言葉は「和」。「経験したすべてのことが和となって、今に生きている」。
聞き手=玉置泰紀(たまき・やすのり)●1961年生まれ、大阪府出身。エリアLOVEWalker総編集長、KADOKAWA拠点ブランディング・エグゼクティブプロデューサー。ほかに日本型IRビジネスリポート編集委員など。座右の銘は「さよならだけが人生だ」。「九州大学は、福岡在住の頃は六本松の印象が強く、今では六本松421があったりするのだが、移転した伊都キャンパスは通ってみたくなる立地と楽しい造り。九大の話を伺っていると、また、福岡に住みたくなる今日この頃だ」。
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