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油そばブームのパイオニア「ぶぶか」の創業者が、地元に新店舗を作った理由

2021年08月10日 16時00分更新

文● 大熊美智代 編集● ラーメンWalker

提供: 味の民芸フードサービス

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創業者が地元で新店舗をオープン
油そばブームのパイオニアを直撃

 カップ麺でもおなじみ、油そばを全国に広めた「らーめん専門店 ぶぶか」の新店が8月2日にオープンした。1995年に吉祥寺で創業してから26年を経て、創業者・国定裕儀さんが、地元の板橋区高島平(新店の最寄り駅は都営三田線・西台駅)で再び店に立つという。高島平は、筆者も長く暮らしたことのある街。思い入れがある地に出店とは、とてもうれしいニュースだ。

「らーめん専門店 ぶぶか」創業者・国定裕儀さん

 油そばを全国区の知名度に押し上げたパイオニアといってもよい国定さんが、なぜ今、地元に新店を開いたのだろうか。ぶぶかと油そばのヒットを生み出した国定さんのラーメン人生の始まり、1984年まで遡ってうかがった。

ぶぶかの始まりは社内ベンチャー

国定 学生の頃からラーメンが好きだったので食品系の会社に就職しようと思っていて、1984年にインスタントラーメンの会社、明星食品に入社しました。最初は営業で、スーツを着てネクタイを締めてアタッシェケースを持って、一生懸命「チャルメラ」を売り歩いていたんです。私、優秀な営業マンだったんで(笑)、ノルマをクリアしながらも、30歳手前で将来どうなるんだろうと漠然と考え始めたんです。

 このままでいいのか、好きな外食産業に転職しようかな、と思って。明星食品にも「味の民芸」を運営する明星外食事業という子会社があったので、その子会社に出向させてもらおうかと先輩に相談してたんです。

 ちょうどその時、1988年5月に外食の新規子会社を立ち上げると社内公募があって、これは渡りに船だなと。出向でその他大勢の一人で働くんじゃなく、新しい社内ベンチャーですね。まったくスキルがなくてもOKで、第1期生ですから面倒くさい先輩もいないし(笑)。当時28歳という若さも功を奏して選んでもらえたんです。そこからですね、僕が外食の道に進んだのは。

—その時からラーメンの道に?

国定 最初はラーメン屋ではなく、うどん屋のFC店でした。始めた頃はりんごの皮も剥けなかったんですけどね。何度も指を切りながら必死で練習したものです(笑)。

 そうこうしているうちに社長から「ラーメン屋でもやったらどうだ」って降って湧いたような話があって、小型店のラーメン屋を始めることになったんです。社内会議でとりあえず1軒出そうと。ただ何のノウハウもないし、普通にお店を出すなら2000万円くらいはかかりますから、だったら屋台でやったらどうだって話になって。

—屋台だとどのくらいの費用でできるんですか?

国定 費用とか、正直まったくわからなかったですね(笑)。会議で屋台にしたら安く済むんじゃないかって話を半分冗談、半分本気で言ったらそれが通っちゃって、「じゃあ僕がやります!」ってことで始まった。

 でも、そもそもどこに屋台が売ってるのかもわからないから、合羽橋の道具街を1日歩き回って、最後の1軒でやっと新品の屋台が2台だけあったんです。値段を聞いたら50万円。その50万円が高いのか安いのかもわからない。

 ただ屋台って宮大工さんが作るらしくて、まるで祭壇のように真っ白できれいなんですよ(笑)。受注制作だから売れると次にできるまで半年くらいかかるってことで、じゃあ買いますと。あとは鍋や丼を買ったり。結局、かかったお金は60〜70万円ぐらい。2000万円から考えると1/30ぐらいですから、かなり安い。

合羽橋で見つけた屋台で23時〜深夜3時まで、自社店舗の駐車場片隅で営業

最初は醤油とんこつラーメンだった

—そこからラーメン屋台がスタートしたんですね。

国定 ただ、困ったことに、ラーメンを売るのは得意でしたが、作るのは素人でしたから、本格的なおいしいラーメンの作り方などまったくわからなかったんですよね。豚骨スープを作るのにゲンコツを割るとか言いますけど、ゲンコツを見たこともありませんでしたから(笑)。

 当時はラーメンの情報がインターネットなどで簡単に得られなかった時代ですから、本屋で「ラーメン」っていう文字が書いてある本を全て買って、それを読み漁ったんです。

 たまたまラーメンが好きで営業時代にあちこち食べ歩いてたことも役に立ちましたね。屋台を始める前、ちょうど環七の「なんでんかんでん」が絶好調で、すぐ近くに住んでいたので食べに行ってたんですよ。その人気を目の当たりにして、とりあえず豚の骨を長時間煮込んで濃いスープを作ってみようと。それがスタートですね。

独学で作り上げた人気の東京醤油とんこつラーメン

—最初は、とんこつラーメンだったんですね。

国定 本当は九州ラーメンをやりたかったんですけど、やっぱり東京でやるなら醤油ダレを使った醤油とんこつだなと。吉祥寺にも「ホープ軒」があって、そういう店がベンチマークだったんですね。

 屋台は1994年2月からスタートして、東村山にある自社ファミレスの駐車場の端っこで、本業のほうに迷惑かけないように23時から深夜3時までの営業でした。1ロットで約50杯分のスープを作ったんですが、お客さんも最初は1日3人とかで、スープがほとんど残りましたね。

 半年ほど経った頃からだんだん人気が出てきて、50杯が2時間ぐらいで売り切れるようになってきて、ちょうど1年間営業しました。昨日とは全然違うスープを作ったり、今思えば屋台でいろいろやったことがテストキッチンみたいな位置付けでした。

—それを売り切って、路面店の立ち上げですね。

国定 ありがたいことに、お前が1年間やったんだから、名前を好きにつけていいよってことで。名前をつけるのにいくつか自分の中でルールがあって、まず誰が読んでも間違えない、ひらがなにしようと。名前っていうのは正しく読めないと親しみが持てませんから。

 でも、いい名前が思いつかなくて考えていた時、まだ屋台の営業中だったんですが、車の中でいつも文化放送のラジオ番組「小倉智昭の夕焼けアタックル」を聞いてたんです。

 その番組に、棒高跳びの世界記録保持者セルゲイ・ブブカ選手が1cmずつ世界記録を更新していることにちなんで、日常のどうでもいいような1cmぐらいの違いについて議論する「ブブカの法則」っていうコーナーがあったんですね。

 僕らもまったくゼロベースの屋台から始めたんで、できれば今日より明日、明日より明後日と少しずつ成長できるラーメン屋になりたいという思いがあった。そこから名前を「らーめん専門店 ぶぶか」に決めたんです。

「あぶらそば」を「ゆそば」と読んで注文された

—そして吉祥寺でぶぶかを立ち上げて、名物の油そばが生まれるわけですよね。

国定 お店は1995年3月にラーメンだけでスタートして、油そばを始めたのは5月くらいですね。メニューを手書きの短冊で壁に貼っていったんですが、ラーメンから始まって、客先から一番遠い場所に「油そば」って1枚だけ貼ったんです。まあ頼んで欲しいような、頼んで欲しくないような、まだちゃんとできてなかったんでね。

 その隅っこの短冊を見つけて「“ゆ”そばちょうだい」とか、読み方もわかってない状況で(笑)。「“あぶら”そばですね」って訂正するということがよくありました。まだ油そばが認知されてなくて、お客さんに「なんだこれは」って怒られるんですよ。ラーメンにスープが入ってないっていうのはどういうことだと。「食えるかこんなもの」ぐらいの勢いで(笑)。

創業の店、吉祥寺で誕生した名物の油そば

—それでもメニューに置いたのはどうしてですか?

国定 自分が食べたいからっていうのが一番ですね。1988年に社内ベンチャーで一緒に始めた先輩に、武蔵境の亜細亜大学近くにある「珍々亭」という元祖・油そばの店に連れて行ってもらって、一発で好きになったんです。その後も一人で食べに行っては、屋台でラーメンやるなら、いつかこの油そばもやりたいなって思ってました。

—名店をリスペクトした油そばですが、お客さんの反応はイマイチだった。

国定 最初は怒られるほうが多かったですね。でも、珍々亭の油そばを食べるために30分とか1時間とか並ぶ人がいるんですよ。今ならSNSですぐに情報がアップされますけど、当時はおいしいものも口コミで広まっていく時代で、知る人ぞ知る名物だったんです。

 それが、1998年頃、日経新聞に油そばで1ページ使って珍々亭とぶぶかを2軒取り上げてくれたことがきっかけで、雑誌やテレビ局から取材の申し込みが来るようになって。一番最初が「ズームイン!!朝!」で、店から中継で全国に放送されたその日から、大勢の方が食べに来てくれるようになりました。

 そこから第一次油そばブームで、雨後のタケノコのように「油そば始めました」っていう店が出てきて。他店ではラーメンの麺で油そばを作っていた店が多かったんですが、うちはラーメンは細麺、油そばは極太麺を使ってたんです。始めた頃から1日何食しか出ない油そばのために専用の麺をとってたんで、売れないと捨てる時もあったんですけどね。流行ってるからちょっとやってみようみたいな店は淘汰されていったけど、うちは真面目にやっていたことが評価されたのか、なんとか生き残ることができました。

—インスタントの油そばが出たのも影響が大きかったんじゃないんですか。

国定 2002年、日韓ワールドカップの年ですね。もう20年近く明星食品で粘り強く販売していただいて、ここ10年ぐらいから安定した人気商品となり、カップ油そば部門の販売数No.1にまで成長したと聞いています。ぶぶかの油そばを世の中に広めていただいたことは本当に感謝しかないですね。

定年を機に地元で“独立”

—そんな歴史を作った国定さんが、今回地元で店を出すのは大ニュースですね!

国定 これから何をやって楽しく生きていこうかなと思ってたんですけど、社内独立制度を始めようと考えていると相談をいただきまして、ちょうど定年なのでやってみてくれないかと。

—またしても、新しいことに挑戦する先駆者に抜擢(笑)。

国定 常に誰もやったことのない、未開のことに挑戦する人生です(笑)。定年といってもまだ60歳ですし、体も動くし年金をあてにして細々と生きていくっていうのもつまらないじゃないですか。やるなら自分の目が届く範囲でやれる稼業のような形でオープンするのがいいんじゃないかと考えました。

 そうなった時に電車に乗らずに家から歩いて行けるところがいいだろうと、この辺りで物件を探したんです。周りを見た時に感じたのは、ここに引っ越して26年ぐらい経つんですけど、その時から続いている店が結構あること。だから、ぶぶかも継続していけるかなと。

—私も高島平に住んでいた頃、唐揚げ山盛りで定食が出てくるようなガッツリ系の店が多かったから、この街に「ぶぶか」はぴったりだと思いました。

国定 そうですね。でも、街も年をとっていくので、今は小学生の子が、高校生、大学生になって、40歳の人は50歳。同じ街でも客層が微妙に変わるんですよね。吉祥寺でオープンした時、メインのお客様は10代〜20代の男性でしたけど、その時20歳だった子がすでに45歳(笑)。それでも今でも来てくれる人はいますし、学生だった人が子供を連れて来てくれたり、お店の歴史を感じましたね。

—お客様の層に合わせて、油そば自体も変わりました?

国定 そうですね、油そばも変わりますし、僕の考え方も変わってます。西台は現状の形でスタートしたけど、1〜2年後には少し変わってるんじゃないかな。新宿や吉祥寺と違って集客施設がないこの街に、一見さんがふらっと買い物に来るとか遊びに来ることはないでしょう。そう考えると地元密着で地域の人と一緒に生きていくことですよね。

創業の味「黒丸」とあっさり系の「白丸」
今後は季節の油そばも登場するかも

 西台店ができた経緯を教えていただいたところで、いよいよ、ぶぶかの油そばを食べてみよう。今回は、創業から一番人気という、いわば“創業の味”のメニューである「黒丸油そば」をいただいた。

「黒丸油そば」。こってり濃厚で、やみつきになる味

 よく混ぜ合わせると、タレと油が麺をコーティングしてあんかけ麺っぽくなるのがいい。一口啜ると、醤油ダレよりも油の風味のほうが強く感じてまろやか。動物系の油のほかにもいろいろブレンドされているとのことだが、意外とあっさり。

 油そばは卓上の味変調味料やトッピングのマヨネーズなどを投入することもあって、よく「ジャンク系」に括られがち。しかし、この油そばのちょっと縮れた太麺は、よく噛むごとにもちもち食感が増して、基本、そのままでおいしい!

 豚バラチャーシューは箸でほぐれるほど柔らかく、麺ともバランスよく食べやすいのもうれしい。タレと油のねっとりした絡み具合がツボなんだけど、個人的には納豆が好きなので、トッピングに納豆が増えてくれるとうれしいかも。


 

—地元の人におすすめしたい油そばは、やはり創業の味である黒丸油そば?

国定 そうですね、黒丸は創業から一番人気ですし、僕も一番好きです。動物性の油を7種類ブレンドして醤油ダレも重めで、クセになる濃厚な味です。

 一方で、2012年に始めたあっさり系の白丸は、黒丸だと重いっていう方におすすめです。植物性の油と醤油ダレもあっさり系を使って、ラーメンのスープを少し足して若干汁っぽく。自分の中でこれが油そばなのかっていう、ちょっと葛藤がありましたけど(笑)。白丸を食べる方って、もう白丸しか食べないんで、コアなファンが多いんです。

 白丸に関しては、生まれてから9年足らずで、まだまだ改良の余地はあると思っています。あとは、季節の油そばもできれば楽しいかな。

「白丸油そば」。植物油であっさり仕上げ、女性にも食べやすい

—ぶぶかファンはもちろん、初代店主の国定さんが店に立つことで足を運ぶ人もいますよね。

国定 店を作っちゃうと、僕たちのほうからお客様に近づくわけにはいかないんですね。何があっても必ずお客様が歩いて、ここを目指していただくしかない。そういう「わざわざ感」を大事にしたい。そういう魅力のあるお店を作っていくために、どうしてもここで食べたいというものをお客さんに出し続けたい。そこをより一層考えるだけですね。

 そもそも創業時のコンセプトは「ナンバーワンよりオンリーワン」「ベストセラーよりロングセラー」。他と同じものを出したら量が多いとか値段が安いとか競争になるじゃない。そういう争いが好きじゃないんです。だから油そばも10人来て8人怒って帰っていったとしても、2人がおいしいと言ってくれたらいい。ずっと続けることで積み重ねていくんで。

 昔、お客さんが油そばに怒って帰ったんだけど、隣のお兄さんが「大変ですね、でも僕はこれ好きですよ」って言ってくれたことがあるんです。それは20年以上も前のことでしたけど、今でも覚えてますね。そういう一言で続けられる、この人のためにがんばろうみたいな(笑)。

—1、2年後は変わっているかもしれないという、ぶぶかの今後は?

国定 世間的にはチェーン店として受け取られると思うんですけれど、今の現状に満足せずに、常に味を探求して新しいものを作って世に送り出したいと思っています。

 もちろん、今やってることを手の平返したようにしようとは思わないけど、油そばのたれも、麺に関しても、もっと研究していきたいですね。今ある味がベストではない、さらに上があるはずだってね。

 ラーメンに関わって27年目になるんですけど、未だに自分の中でブレるというか、よくできたなあと満足しても、しばらくするともっといいのがあるんじゃないか、もっと上手にできないかなと思い始めるので、結局終わりがないですね。ただ、まったくの新店ではありませんし、ぶぶかはやっぱり知名度があるから。まず、ぶぶかを知ってる人の期待を裏切らないようにしながら、ポジティブな意味でちょっと裏切っていきたいかな。

—それは喜ばれる裏切りですね。

国定  そう、チャーシューが前よりおいしくなったとか、色々勉強しながら。スタッフ任せじゃなくて、しっかり朝から晩まで自分がお店に立つ、それが基本。自分の一番居心地のいいように空間を作って、ここで寝泊まりしちゃおうかなぐらい(笑)。仕事とか、使命感ではなく、いい意味で緩くやっていきたいなと思ってます。

 やっぱりね、お店の親父が楽しくないと、お客さんも楽しめないですから。親父がいつも楽しそうにしてる、そういう店にしたいですね。最後の集大成に、ここが棺桶だと思って頑張ります!

 最後に、60歳で初めてツイッターを始めました。これもある意味、新たな挑戦ですかね。不慣れですが、頑張ってつぶやこうと思いますのでよかったらフォローお願いします(ぶぶか西台店 @bubuka_nisidai)。

らーめん専門店 ぶぶか西台店
東京都板橋区高島平1-56-12 キャニオンマンション1F
11:30~15:00(14:30オーダーストップ)
17:00~22:00(21:30オーダーストップ)
緊急事態宣言中は20:00(19:30オーダーストップ)まで 
年中無休

※新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止策により、営業日・営業時間・営業形態などが変更になる場合があります。

大熊美智代 Michiyo Okuma

ラーメン大好きなフリーランス編集者・ライター。ピラティスやヨガのインストラクター、ヤムナ認定プラクティショナー、パーソナルトレーナーとして指導も行なっており、美容と健康を心がけながらラーメンを食べ歩く日々。ラーメンの他には、かき氷、太巻き祭りずし、猫が好き。

本人Twitter @kuma_48_kuma
Instagram @kuma_48anna

提供:味の民芸フードサービス

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