このページの本文へ

50代が競争社会から「降りる」ことで、自分らしく働く方法とは

2021年04月21日 06時00分更新

文● 清水克彦(ダイヤモンド・オンライン

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • 本文印刷
競争社会から降りても自分が得する働き方とは(写真はイメージです) Photo:PIXTA

今年4月より施行された改正「高齢者雇用安定法」。それにより、定年が65歳以上70歳未満に引き上げられるなど、シニア世代の働き方が大きく変わろうとしています。さらに、コロナ禍で新たな生活様式が加速化している中、従来の価値観や常識に縛られていては体も心も長持ちしないでしょう。社会構造が変化している今こそ、自分をすり減らしてしまうそんな日々から自由になるチャンスなのです。そこで今回は、政治・教育ジャーナリストの清水克彦さんの新刊『人生、降りた方がいいことがいっぱいある』(青春出版社)から、会社員の「競争社会」から降りて豊かに生きる考え方を紹介します。

役職に縛られない働き方をしよう

 テレビ朝日系「羽鳥慎一モーニングショー」で炎上も恐れないコメントを次々と発している玉川徹さん。最近では私が勤務するラジオ局のワイド番組にも出演し、政治や社会の問題にゲスト出演しています。

 放送でもスポーツ紙の取材(2019年8月4日付『日刊スポーツ』)でも語っていて驚いたのが、50代後半で報道局の「平社員」だという点です。ただ、考えてみれば、報道局長や政治部長といった肩書がない分、自由にモノが言え、部長会議などに出なくて済む分、好きな取材活動ができるという見方もできます。

 同じメディア人であれば、ジャーナリストの田原総一朗さんも、42歳で現在のテレビ東京を辞め、フリーランスでジャーナリスト活動を始めています。

「その時、僕の同期で、一番出世した男は部長になっていた。まあほとんどは課長か係長。僕だけ平社員だった。これは、当時のテレビ東京の暗黙の了解でね、『田原は勝手なことをやってもいい。でも、偉くしない』っていうことになっていた」(2018年9月7日、JBpressインタビュー記事)

 私も田原さんから直接、「出世より自由な取材活動を選んだ」と聞いたことがありますが、肩書に縛られる生き方から降りたからこそ今があると言えます。

 こうした生き方は、マスメディア以外の業種でも必要になってくるかもしれません。キャリア官僚で言えば、入省して20年から22年で課長級まで昇進しますが、そこからは椅子取りゲーム。50代前半で昇進が止まります。

 メガバンクでも、「定年は実質50歳」といわれ、50歳から55歳の間に部長になっていなければ管理職を解かれるなど、役職定年や職位退職に直面することになります。

 であるなら、それぞれの職場の役職定年を見越して、ある時点までは競争の中で頑張り、どこかの時点で降りるという生き方を選択した方が、競争の虚しさ、自分を取り戻すことの大切さを実感できるのではないでしょうか。

 また、定年後に「元○○株式会社・△△部長」などと退職した会社での肩書を名刺に刷る人がいます。たとえその肩書が、30年前後にわたる努力と出世競争の末に勝ち取った到達点だったとしても、その人の今の能力を示す材料にはなりません。

 今、職場で立派な肩書がある人もない人も、「素の自分にどれだけの価値があるのか」「肩書を取ったら何で勝負できるのか」を考えておくことが大事です。

昇進、役職定年の壁

 あなたはどんなときに「幸せ」を実感するでしょうか。家族と一緒にいるとき、多くの収入を得たとき、昇進の辞令を受けたとき、誰かの役に立ったと感じたとき、などさまざまな場面で感じることと思います。

 大きく言えば、私は、「これまで頑張ってきた自分」と「あるべき自分の姿」、この二つの調和がうまく図られているかどうかが、幸せな生き方のカギになるように思います。

「出世レースで後輩に後れをとった」「役職定年で、肩書が『課長』から『課長待遇』になり、事実上、ラインから外れた」

 このような災難に出くわしたときは、さきほど述べた二つの調和が図れなくなり、落胆してしまうことになるかもしれません。

 出世する人もしない人も、ある年齢までは同じペースです。ところが、出世する人は、40代半ばまでは課長だったのが、部長→局長→役員と、50代半ばまでの間に駆け足で昇進していくのが特徴です。

 一方、実績はそれほど変わらないのに、その波に乗れなかった人は、まだ体力もあり気力も衰えていない年代で昇進が止まり、出向させられたりします。そうでなくとも役職定年という壁が待ち構えています。

 さらに、その先にもハードルがあります。改正高年齢者雇用安定法(70歳就業確保法)では、65歳から70歳までの働き方として5つのパターンを示しています。

(1)70歳までの定年引き上げ
(2)定年制の廃止
(3)70歳までの再雇用
(4)会社と業務委託契約を結ぶ
(5)会社が行う社会貢献活動への参加
(厚生労働省HPより)

 これらいずれかによる就業機会の確保を、会社と労働組合で決めることになりましたが、(1)から(3)なら、多少、給料は減額されても、会社に残ることはできます。

 しかし、(4)と(5)の場合はそうはいきません。どんなに実績や人望があっても、めぐり合わせによって出世が叶わず、人事制度のルールによって「降ろされる」リスクは、役職定年だけでなく、その先にもあるのです。

 会社にしがみつくだけでは先細りです。元気であれば、70歳まで自分らしく活動していくためにも、今から準備をしておいて損はありません。

 自分から降りて第2ステージの準備をする、役職定年や再雇用制度を受け入れる、起業する、フリーランスになる、仕事はほどほどに趣味や地域活動に生きる……いろいろな選択肢がありますから、自分には何が合うか考えてみてください。

競争社会から降りても自分が得する働き方とは

 東京大学名誉教授で社会学者の見田宗介氏は、「まなざしの地獄―都市社会学への試論」(『展望』173号、1973年、筑摩書房刊)の中で、現代社会の人間模様について、お互いに銃弾のような眼差しを交わしながら相手の地位や財力を値踏みし、「勝った」「負けた」といった消耗戦を毎日繰り返している状態と評しました。

 この論文が世に出てから半世紀近くになりますが、後に単行本化されたように今の時代にも当てはまる、的を射た指摘だと感じます。

 私もそうですが、本書を手にされているあなたも、この先のどこかで、この消耗戦から降りなければなりません。

「出世はいいから、自宅があるエリア限定、転勤を伴わない仕事をさせてほしい」

「役員になるよりも現場で仕事をしたいので、そうさせてほしい」

 こんなふうに自ら降りるパターンもあれば、上司に見る目がなく勝負すらさせてもらえないケース、そして、先に述べたように、役職定年や再雇用といった人事制度によって降りることを余儀なくされるケースもあるでしょう。

 いずれの場合でも重要なことは、うまく負けることではないかと思います。見田氏が言う「勝った」「負けた」の消耗戦への参戦が、動物的なスピリッツからくるものだとすれば、第一線から降りても新しい自分だけの生き方を作り出そうとするのは、まさしく人間的なスピリッツです。

 人間である以上、どういう境遇を選んでも、また、どんな立場に追いやられても、自分を見失わないよう上手に負ける、このことに尽きると思うのです。

 職場によっては、すべてとはいかないかもしれませんが、私の場合は、チーフプロデューサーから降り、出世のラインから外されても、政治や教育問題、アメリカや韓国の大統領選挙をはじめとした国際情勢のニュース解説は続けられています。

 これは、自分がやりたい仕事を、上司や同僚に「見える化」したからです。職場の中で、というレベルではあっても、これらの分野は私が一番詳しいという優位性があること、そしてそのことを海外出張の決裁をしたり、特番を放送するかどうかの判断を下したりする責任者にアピールしてきたからでもあります。

 上司や同僚は、よほどの鬼でもない限り、最低限の要望は聞いてくれるものです。「夜は、勉強会や大学院の研究とか、いろいろと用事がある」などと宣言をしたことで、いなくても済む会議や不毛な飲み会から逃れることができるようにもなりました。

 平日の夜に自由な時間が増え、その時間を、言葉どおり、大学院の院生としての研究や執筆に充てたり、健康を維持するためスポーツジムに通ったりする時間にしています。

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

カテゴリートップへ

最新記事
最新記事

アスキー・ビジネスセレクション

ASCII.jp ビジネスヘッドライン

ピックアップ