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大学野球は野球人生の墓場?大麻騒動で見直すべき「希望なき現実」

2020年10月22日 06時00分更新

文● 小林信也(ダイヤモンド・オンライン

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写真はイメージです Photo:PIXTA

大学野球部にいて未来を感じない、悲劇的な現実

 東海大学野球部の寮で大麻吸引の事実が発覚し、大学は「野球部の無期限活動停止と首都大学秋季リーグ戦辞退」を発表した。

 東海大学野球部は、首都大学野球リーグ創設の中心的役割を果たし、結成以来73回もの優勝を重ねる強豪チームだ。しかも、言うまでもなく巨人・原辰徳監督、エース菅野智之投手の母校。これまでにプロ野球選手を50人以上輩出しているチームだけに、その衝撃は小さくなかった。

 このところ、大学スポーツで“大麻事件”が続発している。なぜ大学生アスリートが大麻に走るのか? それぞれ事情は違うだろうが、私が東海大野球部の騒動で真っ先に感じたのは、「大学の野球部にいて未来を感じない」という悲劇的な現実だ。

 今回の騒動に関連して東海大学野球部は「部員が128人、寮生が110人」と報じられている。この数字を聞いて、一般にはごく普通の反応しか見られない。強豪チームならそれくらい当たり前という常識が浸透しているからだろう。だが、ちょっと想像してほしい。野球は9人で戦うスポーツだ。毎試合100人以上が試合をただ見ている計算になる。ベンチにも入れない部員が100人もいる。そんな野球部で、落ちこぼれた選手はやる気になれるのか?

 下級生のうちはまだ希望を捨てずに頑張れるかもしれない。3年の秋にもなればチーム内での評価や居場所も定着する。4年になればなおさらだ。試合に出られない、出られる見込みもない。控えのままでは未来の道も開けない。上級生で控えなら、卒業後に「野球で生きる道」は「教員になって指導者になる」以外にはほぼ閉ざされる。

 それは彼らのアイデンティティーの崩壊にもつながる。何しろ、小学生のころから野球に没頭し、野球だけに生きる価値を見いだしてきたのだ。野球を失えば彼らは好きな道、自分が輝く手段を失う。

野球エリートの自尊心が崩壊し、次の「行き場」を失う

 東海大野球部の部員名簿を見ると、東海大系列の付属校の出身者とともに、全国の名のある強豪高校の出身者がひしめいている。ネットには中学時代の出身チームを明記した情報もある。これを参照すると、熱心な野球ファンなら誰もが聞いたことのある名門シニア、強豪ボーイズの出身者が大半だ。

 つまり、128人の多くがいずれも中学時代から高校時代までは野球界の勝利者、いわば野球エリートだった。「野球がうまい」「○○君はすごい」と言われて育ってきた。それが彼らの自信であり、アイデンティティーのようなものだったろう。その自信も自尊心も大学に入ってたたきつぶされる。そして、次の行き場がない。そこがいちばんの問題だ。

 20年以上前を思い起こすと、大学からプロ野球に入れなかった場合でも、社会人野球に進む道があった。2年後のプロ入りを目指して社会人で野球を続ける。あるいは社員として給与をもらいながら野球を続け、プロ入りがかなわない場合はそのまま会社で仕事を続け、安定した人生の糧を得る。引退後も指導者としてチームに貢献した人、社業で才能を発揮し要職に就いた人など多くの前例もある。

 ところが、バブル崩壊のころから社会人野球を有する企業の撤退が目立つようになり、現在はバブル前の半減どころか4分の1程度にまでチーム数が減ったといわれる。それは、大学野球の卒業生の行き先の激減を意味する。

野球の現実が変わったのに、変わらない大学野球部の体質

 昭和の時代、東京六大学、東都六大学リーグで強豪と呼ばれるチームのレギュラー選手は、卒業後も現役続行を望めば、どこかの企業で野球を続けることは難しくなかった。

 ところが今や、プロ野球のドラフト線上に挙がる選手でなければ、レギュラーでも就職先を得られなくなった。卒業後、突然、野球の道が断たれるのだ。それでも野球を続けたい選手はクラブチームや独立リーグを選択できるが、企業チームに比べたら環境も報酬も厳しい。

 出口がない、野球の道は「もう終わり」なのに、大学野球部は彼らに「何か次の道」に出合い、新たな希望を見つけるチャンスを提供しているだろうか?

 野球にさえ打ち込めば「人格は磨かれる」「人間的に成長する」という精神論で、彼らを野球に縛り付けているように私にはみえる。高校野球でも最近は「控えなら控えなりに自分の役割を果たす生き方」が美談にされる。データの収集・分析、アシスタント・トレーナーとしてレギュラーの身体のケアをするなど、自分の生きがいを見つける選手も中にはいる。だがしょせんそれらは、野球という価値観を前提にした、狭い範囲の視野でしかない。もっと野球以外の、勝負とはまったく別次元の感動との出合いの機会を、野球部が彼らに与える意識は恐ろしく低い。指導している監督やコーチ自身に、野球以外の感動体験が乏しいことも要因だろう。

希望をなくした部員が寮生活を続ける理不尽こそ騒動の温床

 連帯責任が是か非かという議論も起こっている。理不尽な連帯責任はナンセンスだが、今回のようにほぼ全員が寮で暮らし、その寮で不祥事が起こった。全容が把握できるまで、まずは野球を中止する判断は責められない。というより必然ではないだろうか。リーグ戦の最中だからリーグへも出場自粛を連絡する…それも避けられない対応だろう。

 だが、今後も同じことを繰り返すのは違う。これを機に根本的な改善を本当は望みたい。

 例えば、2棟ある寮を「引き続き野球に打ち込む選手たち」と「野球を卒業し、新たな生きがいを探す元選手たち」の住む場所に分けるのも一計だ。後者を「落ちこぼれの棟」と陰口をたたかせない。元選手寮では、選手寮とは違う規律が採用され、より自由で先進的なチャレンジができるよう配慮する。当然、野球以外の経験豊富な教員たちに寮監やブレーンとして委嘱し、大学の授業とは別にさまざまな文化や魅力的分野に出合う機会を提供する。失敗も挫折も経験するだろう。もしかしたら、その寮から異分野の傑物が輩出される期待だって広がる。

“元選手寮”から隠れた才能に目覚める触発を促せたらすてきではないか。「あの大学で野球をやったら、野球がダメでも面白いチャレンジができる」、それこそが教育的な環境といえるのではないか。

大学在学中にこそ、新たな道に出合う試行錯誤をする環境を

 少し現実離れした提案に聞こえるかもしれないが、それくらい柔軟な発想で新たな取り組みをすることが、野球オンリーで10代を過ごした少年たちのリハビリと再出発には必要だと社会が認識すべきだろう。野球一色に染まってきた野球エリートに、新しい分野に目を開かせる道のりはそれほど険しいのだ。

 野球の道を失った選手たちの精神的ダメージは、ただ放りだして「あとは自分で頑張れ」と無責任に突き放すだけでは癒やされないし、次の道を見つけるのは容易ではない。それを就職してやらせるのでなく、大学在学中にやることは彼らにとって有意義だろう。

 それは、野球を志して大学に進学しながら、早々に挫折してしまった私自身の切実な実感でもある。私は幸運にも在学中に原稿を書く仕事に出合うことができた。もし就職しか選択肢がなかったら、就職後に会社をやめ、文筆家を目指すことができただろうか。大学時代にチャレンジができ、自分なりに手ごたえをつかめたから、この道を歩む決断ができた。

 大学野球を「野球人生の墓場」にするだけでは教育の場として不十分きわまりない。野球に敗れ、野球で生きる人生を奪われた大学生に新たな虎の穴を創設するくらいの斬新さを、後発ながらマンモス大学に発展し、球界の中核的存在にまでのし上がった東海大には期待したい。

(作家・スポーツライター 小林信也)

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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