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瀬戸大地選手は「処分という名の救済措置」で本当に改心できるのか

2020年10月16日 06時00分更新

文● 小林信也(ダイヤモンド・オンライン

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Photo:Keith Tsuji/gettyimages

2番目に重い、「登録期間の停止」という処分

 日本水泳連盟(日本水連)が13日、臨時常務理事会を開き、瀬戸大也選手の処分を決めた。主な処分内容は次の3つだ。

1. 年内の活動停止
2. スポーツ振興基金助成金の2020年下半期の推薦停止
3. 日本水連や日本オリンピック委員会(JOC)の教育プログラムなどの受講

 日本水連は、「競技者資格規則」第8条第1項「スポーツマンシップに違反したとき」と同第6条「その他本連盟及び本連盟の加盟団体の名誉を著しく傷つけたとき」に抵触するとして処分を決めたという。

「年内の活動停止」は、日本水連の処分規定で最も重い「登録資格の剥奪」に次ぐ「登録期間の停止」にあたるから、十分に重い処罰といえるだろう。

 2年前に発覚した代表選手の暴力事件では所属チームの処分を追認する形だった日本水連が、今回は前所属チームのANAが下した「契約解除」すなわち「その時点での大会出場権の剥奪」という最大級の処罰に加えて独自の処分を科した。それは、今回の出来事の重さを十分に受け止め、追認だけで終われば、日本水連の姿勢や見識も疑われかねないという危機感を持ったからではないだろうか。

 日本水連の予算を見ると、今年度予算は22億7050万円。このうち約2億8000万円が「団体・選手広告協賛金収入」だ。補助金が約4億9000万円、寄付金が4100万円。これだけで約8億1100万円。収入全体の35%を占める。日本水泳連盟もまた、スポンサーからの協賛金や公的な補助と寄付を大切な事業資金とする組織なのだ。瀬戸の問題がこれだけ大きな騒ぎになった以上、曖昧な対応では済まされない。毅然とした姿勢を示すことが重要だったのではないだろうか。

「処分に名を借りた救済措置」のようにも読み取れる

 しかしよく吟味すれば、苦慮した末にとてもよく練り上げられた処分で、実質的な害は少ない。むしろ瀬戸と日本水泳連盟を守るための自己防衛に満ちた内容とも読み取れる。言い換えれば、「処分に名を借りた救済措置」とも感じられる。

 確かに、年内は公式大会への出場や強化合宿、海外遠征への参加ができなくなった。コロナ禍で12月に延期された日本選手権出場の道も断たれる。それをもって「厳しい」と評価する声も多々ある。

 だがこの状況で、しかもオリンピック出場が内定している瀬戸にとって12月の日本選手権出場は、むしろ負担だったのではないだろうか。万が一負けたら何を言われるかわからない。出場すれば好奇な目で追いかけるメディアにもさらされる。出場停止という処分によって、瀬戸をそのようなリスクとストレスから救う役割が果たせる、とも言えないだろうか。

「人の噂も七十五日」というが、処分決定から年末までは、くしくもこの長さに符合する。ほとぼりが冷め、新たに年明けからスタートする上でも絶妙なタイミングだ。

「東京五輪内定取り消し」には踏み込まなかった

 水泳連盟は、最大の関心事であった「東京五輪の内定取り消し」や、東京五輪出場が不可能になるほどの「長期の出場停止処分」までは踏み込まなかった。もちろん私も今回の出来事がそこまですべき事案とは思わない。

 しかし、このように分析すると、結局のところ日本水泳連盟はなんとか世間の逆風を時間の流れの中で鎮め、瀬戸には本番で金メダルを取ってもらいたいという、喉から手が出るような気持ちが見え透いて不安を覚える。そのような甘さが果たして、今回の出来事を不幸中の幸いとし、スポーツ選手の本質的なインテグリティー(高潔性)の改善につながるだろうか。

 私は、処分直後にエージェントを通じて出された瀬戸のコメントにも首をかしげている。

「どうしたらご迷惑をおかけした皆様におわびできるかを自分自身に問い続けてきましたが、私にとってのおわびはこれからも水泳で努力していくことだと考えています。私の無責任な行動で深く傷つけてしまった家族からの信頼を回復し、家族からも皆様からもスイマーとして再び認めていただけるよう、一からやり直す覚悟で真摯(しんし)に水泳と向き合っていきたいと思います。本当に申し訳ありませんでした」

 スイマーとして再び認めていただけるよう、とあるが、今回の件で、瀬戸のスイマーとしての資質や力量を疑問視した人などいるだろうか? 一からやり直す覚悟で真摯に水泳と向き合っていきたい、ともあるが、瀬戸が水泳選手として重ねてきた努力に「世間」は疑問符をつけてはいないだろう。

 競技を離れた私生活での行動に落胆し、呆れ、瀬戸を熱く応援する気持ちに水を差されたという気持ちに向けて謝罪するなら、「日常生活を見つめ直し」とか、「家庭人として社会人としての行動に」といった表現がこの場合には適切だと思われるが、そうした言葉は曖昧に隠されている。瀬戸の心に、そうした真っすぐな表現を受け入れたくない意地があるのか、あるいは実のところ反省などしていないかのようにも読み取れる。

不倫はスポーツマンシップに反するからダメなのか?

 日本水泳連盟が処分の根拠に持ち出した「スポーツマンシップ」という言葉の使い方にも、違和感を覚えた。

 瀬戸の不倫はプールの外の出来事であり、スポーツマンシップ以前の、人としてのわきまえや振る舞いの問題だ。そこを「スポーツマンシップ」を持って断罪するのは、スポーツマンシップの誤用、乱用ではないか。今後の誤解につながりかねないと危惧する。

 瀬戸は、スポーツマンシップに反して不倫をしたから処分を受けた。裏を返せばそういう表現になるのだが、この一文は正しく意味が通っているだろうか?「不倫で選手を処罰した」という前例も、スポーツ界にとっては「大きな重し」になりはしないか、余計なお世話だが心配だ。

 私はスポーツライターとして40年以上暮らしているので、選手、指導者、役員たちの“武勇伝”は、覚え切れないほど聞かされてきた。

「不倫はアウト」「報道されたら処分」なら、首筋の寒い現役のスタッフも少なからずいるのではないだろうか。思わぬ選手や関係者が、突然の告発報道で舞台から降ろされないよう、祈るばかりだ。

(敬称略)
(作家・スポーツライター 小林信也)

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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