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コロナ騒動はまるで「恐露病」の再来、なぜ日本人は歴史から学ばないのか

2020年08月05日 06時00分更新

文● 河合 敦(ダイヤモンド・オンライン

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日本という国は危機を迎えたとき、歴史的にどのような対応をしてきたのか(写真はイメージです) Photo:PIXTA

いまだ終息の見通しもたたない新型コロナ禍は、世界規模で多くの人を不安や苦境に陥れ、経済を破綻させつつある。しかし、人類はこれまで、感染症のパンデミックを何度も経験している。そのたびに先人たちは大きな犠牲を払いながら乗り越えてきた。歴史は常に繰り返している。過去をひもとけば対応策も見つかるのではないだろうか。今回は、わかりやすい解説で定評のある歴史研究家・河合敦氏の新刊『繰り返す日本史』(青春出版社)から、現在の「コロナ禍」と似た状況だった明治時代の「恐露病」について紐解いてみよう。

日本人は“危機的状況”とどう向き合ってきたのか

 新型コロナウイルスによる感染症のため、わずか数カ月前とは、世界が変わってしまった。そして、この感染症は今も各地で猛威をふるっている。

 この新型コロナのたちの悪さは、人の命を奪うだけでなく、経済をめちゃくちゃにし、人間の心をすさませることである。この未曾有ともいえる危機に直面し、歴代最長の安倍晋三内閣の初動は、あまりにひどすぎた。

 国民一人に布マスク二枚配布、しかも2カ月経っても届かないという対応の遅さ。「低所得者層に30万円支給」から一転、「国民1人に10万円支給」への変更。異常なほどのPCR検査数の少なさ。強引な検察庁法改正案の提出とその破綻…なぜ後手後手の対応や批判を浴びる政策を打ち出すのか、不思議でならない。

 国民の間では、他人に極端な感染防止を迫る自粛警察が増殖。相手にまで自分の信じる正義を押しつける不気味な状況が広がった。マスクをしていない小学生に怒鳴りつける老人がいたというから常軌を逸している。

 さらに興味深いのは、そんな緊迫した状況から、感染者が激減した瞬間、手のひらを返したように国民の意識と行動が変わってしまったことだろう。感染者の減少で国民の多くは緊張の糸が切れてしまった。緊急事態宣言時は自粛や「3密を避けよう」を合い言葉に、徹底して他人との接触や外出を控えていたのが、宣言が解除されたとたん、たちまち都会は人であふれ、満員電車が復活し、夜の街へ繰り出す人々が続出した。

 結果、当然のことだが、緊急事態宣言の解除から1カ月しか経っていないのに、再び感染者が激増してしまった。喉元過ぎれば熱さ忘れるとは言うが、あまりに危機感がなさすぎる。

 いずれにせよ、日本という国は危機を迎えたとき、歴史的にどのような対応をしてきたのか。私は今回の「コロナ対応」は、日本史の中で決して例外的な反応ではないと思っている。

明治時代「恐露病」の反応はコロナ禍と似ている

 明治時代、日本人の間に「恐露病」という病が流行った。本当の病気ではない。ロシアに対する恐怖にとらわれ、いつかロシアは日本に攻めてくるのではないかという過剰な対外危機意識である。

 よく知られているように、ロシアは領土を南下させる政策をとっており、アイヌと密かに交易を行ない、十八世紀後半からはたびたび江戸幕府にも開国を求めるようになった。

 幕末には、ロシアの軍艦がにわかに対馬に上陸、不法に土地の一部を占拠する事件も起こっている。

 この頃から日本人は、ロシアの魔の手は朝鮮半島、さらには北海道にも伸びてくると恐れるようになった。とくに恐露病が悪化したのは明治24年(1891年)のこと。同年五月、来日したロシア皇太子ニコライが、琵琶湖遊覧から京都へ戻る途中の大津で警備の巡査に襲われ負傷したのだ(大津事件)。

 明治天皇や松方正義首相なども、すぐにニコライが入院している京都へと向かった。また、多くの国民がニコライに陳謝の電報や手紙を送り、病室は見舞いの品々が山のようになった。

 まさに常軌を逸した過剰反応だが、当時の日本人は、ロシアがこの大津事件を口実に宣戦布告してくるのではないかと恐れたのである。どう転んでも、当時の日本の軍事力では、ロシアに対抗できない。となれば、日本は植民地に転落し、みじめな生活を強いられることになると信じ込んだのだ。幸い、日本の誠意ある対応により、ロシア政府とニコライは満足の意を表したが、この外交的責任をとって青木周蔵外相は辞任した。

情報操作による煽りで暴走する国民の主戦論

 そこから3年後に起きた日清戦争の戦後では、ロシアを含む三国干渉によって日本の思うような戦果にならなかった。このため、三国干渉以後の日本政府は「いつかロシアを負かしてやる。今は臥薪嘗胆である」と唱え、国民を煽ってすさまじい軍備増強に協力させた。その結果、国民は「これだけの軍拡をやったのだから、日本の軍事力はロシアに匹敵しているはずだ」と安易に考え、主戦論がいよいよ熱を帯びてくる。

 決定打になったのが、同年六月に東京帝大の戸水寛人を中心とする七博士が政府に提出した開戦を求めた意見書だった。博士というのは当時は非常に権威があり、オピニオン・リーダーだった。今でいえば、インフルエンサーや人気芸能人に近い。

 コロナ禍で検察庁法改正案を延期に持ち込んだのは、SNSで発信した芸能人の力だったが、同じくらいの影響力を持つ七博士の意見が新聞に掲載されると、開戦を求める声はにわかに大きくなった。

 主戦論の暴走は、新聞などのメディアにも大きな責任があった。購買部数を伸ばすため、ほとんどすべての新聞や雑誌が主戦論に転じ、世界各国がロシアの勝利を予測していることは報じず、国民が喜ぶことだけを伝え、主戦論を煽ったからである。

 いずれにせよ、政府や軍と国民の間には、対外危機に対する大きな認識のずれが存在したが、刺激された国民感情をとどめることはもはや不可能となり、軍部も戦争やむなしと考えるようになったのである。

なぜ「恐露病」はここまで国民に広がったのか

 どんな国でも近隣の大国は怖いが、そうだとしても恐露病は異常だ。やはり、正確な情報を持てなかったことが一因だと思う。当時のマスメディアは、新聞や雑誌しかない。そのマスコミも支局員を多数海外に配置していたわけではなく、情報は政府や軍発信に頼る部分が大きかった。

 当然、権力から出る情報は、バイアスがかかっている。しかも新聞は売り上げ至上主義だったので、国民が喜ぶ記事を書き、結果として国民を情報操作するかたちになり、間違った方向へ誘導してしまったのだ。

 ただ、もし日本という国が島ではなく大陸にあったら、つまりロシアや中国など多くの国と接していれば、百年以上前とはいえ、ここまで情報を操作するのは難しかったはずだ。そういった意味では、島国であることが、正常な判断を国民から奪ったといえるのかもしれない。

 とはいえ、国民にも責任の一端はある。当初はロシアを必要以上に怖がり、その後、勝てそうだと思った瞬間に態度を豹変させ、主戦論一辺倒になって団結して政府に圧力をかけたからだ。

 ちなみにこの国民の反応は、かなりコロナ騒動に似ていないだろうか。ウイルスが恐ろしいとパニックになり、マスクや消毒液を買いだめに走り、それをマスコミが大きく報道して煽りたてる。まるで恐露病の再来だ。

 さらに、海外に比べて政府の対応が悪いと騒ぎたて、仕方なく政府はマスク2枚の配布や定額給付金など、国民の圧力に押されて後手後手の対応をしていく。これも日露戦争の開戦過程に似ている。異常なほどの自粛警察の増殖も、「臥薪嘗胆」を思わせる。やはり歴史は繰り返すのである。

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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