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【追悼】李登輝・台湾元総統ラストインタビュー(下)「日本に言い遺しておきたいことがある」

2020年07月31日 06時00分更新

文● ダイヤモンド編集部(ダイヤモンド・オンライン

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安価な労働力より
経済成長に不可欠なもの

 経済は成長率だけでは理解できない。国民経済の活動を決定づけるものとして実体資本、人的資本、技術・知識などの生産投入要素のほか、制度資本(編集部注:教育や医療、金融、司法、行政などを指す。経済学者の故宇沢弘文が、社会的共通資本の一つとして提唱した)がある。

 安価な労働力は、短期的には制度資本の不足を補う上で大きな効果を発揮する。だが制度資本の本質的な代替品には、永遠になり得ない。これこそが中国経済が将来あるいはすでに、必然的に直面するボトルネックであるのだ。

 中国は必然的に内需型のサービス業に転換していく。だがサービス業の発展は、制度資本に依存する率がより高い。例えば言論の自由は、制度資本によって生み出される重要な要素の一つだ。メディアの言論が制限を受ける度合いが大きくなれば、都合の良い情報ばかりが報道され、都合の悪い情報が報道されることはなくなる。そうなった場合、私たちが受け取ることのできる情報の深さや広さの度合いは大幅に後退し、市場参加者が得る情報の真実性に大きな偏りを生じさせる結果となる。客観性が乏しくなれば、市場は混乱するばかりだ。

 このように、無形の商品を取引対象とするサービス業が、言論の不自由な国家で発展することは困難なのである。かつて複数の国家にまたがった大規模研究において、新聞メディアの自由が最も進んだ国のサービス業が、最も発展しているとの結果もあった。

 中国がもし金融サービス業のような、より高度な次元のサービス分野で発展しようと考えるのなら、対応する法律と情報提供の枠組みが必要不可欠だ。人々が司法に頼ることができず、正確な情報を入手する手段にも欠けているような社会では、高度なサービス業における取引意欲は低下することになる。金融サービス業発展の核心は、資産の流動性を高めるとともに、資金の使用効率を向上させ、創造的価値を生み出すことである。そこに制度資本が持つ長期的な価値が意味を成すのだ。

 もともとアジアにおける経済発展は、日本の明治維新や戦後復興がモデルだ。国家が基礎になって「資源の配分」を行う方法である。明治期の日本ならば、農民からの地租(租税)を基に財政を調え、工業に資金を再配分した。

 戦後復興であれば、重化学工業への傾斜生産方式がそれである。終戦後、台湾大学に編入するまでの1年、私は京都帝国大学(現京都大学)に通っていた。校内は寒く、ストーブはなかった。燃料となる石炭は全て工業に回されていたのである。

 私が12年間の台湾総統時代に実行したのも、国家による資源の配分だ。まず力を注いだのが、農業の発展である。そして農業分野で生まれた余剰資本と余剰労働力を投入して、中小工業を育成した。日本の発展が台湾にとって偉大な教師となったのだ。

 経済成長については従来、米国式の新自由主義経済モデルである「ワシントンコンセンサス」と、権威主義的な市場経済の「北京コンセンサス」が比較されてきた。ワシントンコンセンサスは本来、国際経済学者のジョン・ウィリアムソンが使った言葉だ。どのようにしてラテンアメリカ諸国の債務問題を解決するかについての論文において、使った用語だった。

 ウィリアムソンはこの論文の中で、「税制改革、金利自由化、貿易自由化、国営企業の民営化、規制緩和」など、10項目に及ぶ経済政策を主張している。これらの主張からは、ワシントンコンセンサスが本質的に、新自由主義と呼ばれる経済政策のモデルだと分かる。東西冷戦を経て米国が世界で覇権を握る唯一の国家となると、新自由主義は米国型資本主義のイデオロギーとなって、経済のグローバル化を大きく推進する起爆剤となった。

 一方、北京コンセンサスという概念は、中国経済の崛起とグローバリズムにほころびが見え始めた現象に基づき、米国のコンサルタント(編集部注:ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官が立ち上げた地政学コンサルティング会社キッシンジャー・アソシエーツのジョシュア・クーパー・ラモ氏)によって提唱されたものだ。

 基本原則としては「柔軟性と実用主義」「生活の質と所得分配の双方に配慮した発展目標」「国家の自主性」などが挙げられる。実用主義とは、鄧小平が言った「白い猫でも黒い猫でも、ネズミを捕る猫が良い猫だ」という言葉に端的に表される考え方だ。国家の自主性とは、ワシントンコンセンサスが自由市場や財政規律化といった名目で、他国の内政に強制的に介入するようなやり方を用いたのとは異なり、国家は独立性を積極的に求めるべきだという主張だ。

 ワシントンコンセンサスが一律適用と自由開放を強調したのに比べ、北京コンセンサスは独自性と政策のフレキシブル性を強調している。表面上、北京コンセンサスはワシントンコンセンサスより優れているように見える。だがその裏側にある、独裁政治の欺瞞性を見落としてはならない。

 ワシントンコンセンサスについては自由放任市場と民主主義には関連性がないことが明らかになったし、北京コンセンサスも人権などの普遍的価値が経済発展に重要であるという基本的認識を欠いている。そして前述のように、日本と台湾の経済発展がたどってきた道は、この二つのどちらとも明らかに異なる。政府が強力な経済政策を主導することに関して、近年の日本で懐疑的な見方が強くなっているようだが、それはこうした過去の経験が忘れられているせいではないか。

香港で起こったことは
戦後台湾の「事件」と共通

 混迷を極める香港問題をきちんと処理できるかどうか。これこそが中国共産党の習近平体制にとって最大の試金石になるだろう。裏を返せば、香港問題を思うように解決に導けたなら、中国は次に台湾に、そして沖縄に照準を合わせてくる。なぜか。それは理屈ではなく、中国が本質的に持つ覇権主義的な思想に基づくものだ。彼らのレゾンデートル(存在理由)ともいうべきものだ。

 47年、台湾では二・二八事件が起きた。大陸から敗走してきた国民党の統治下で、治安は乱れ、汚職事件が度重なり、台湾人の不満が爆発した事件だ。庶民の声に対し、国民党は機銃掃射による虐殺で弾圧した。そして統治には強権が必要と考え、白色テロと呼ばれる知識人狩りや言論弾圧をより一層強化した。

 現在の香港で起こっていることも、おそらく似ているのではないだろうか。戦後に台湾を統治した国民党の中華民国も、現在香港を統治している中華人民共和国も、歴史上脈々と続いてきた中華帝国体制の延長である。ここから見て取れるのは、中国はいまだに進歩と退歩を絶え間なく繰り返しているということだ。

 完全に民主化された台湾においてさえ、国民党は現在でも中華帝国主義的な夢を諦められずにいる。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが、中国について「アジア式の発展停滞」と論じたが、これは決して不合理とはいえない。

 中国は自由、民主主義、法治を経験していない。その国が、たとえ英国統治下の制限された条件とはいえ、西洋式の民主社会を経験した香港を統治することはできない。今香港で起こっていることは、二・二八事件で露見した、台湾と中華民国の「文明の衝突」の再演にすぎない。

 明言したいのは、言論の自由が完全に保障されない国家に民主主義は根付かない、ということだ。香港の事例を見るまでもなく、人民が自分の国をどうしたいかということは、自分たちで決めればよい。そして自国の将来の選択肢を決める上で重要なのが、十分な情報だ。言論が制限され、国家や党に恣意的にコントロールされた社会においては、人民が政治的選択をする際の情報量が絶対的に不足している。

「国家を経営する」ということを考えた場合、中国のような独裁体制の方が効率が良いと捉える向きがあるそうだが、私はその意見には同意できない。あくまでも国の主人は人民であって、権力者は仕事をするために有権者から権力を借りているにすぎない。

 台湾が、中国の影響力の大きい中華圏にありながら、決定的に中国と異なっているのは、この民主化の経験があるからだ。

日本の若者たちが
「かわいそう」な理由

 総統を退任後、心臓病の治療で日本へ行きたいと言ったら、外務省は上を下への大騒ぎになった。また、慶應義塾大学で講演するためにビザを申請したときも同様だ。あのとき私は「日本政府の肝っ玉はネズミより小さい」と言って怒ったのを覚えている。

 国会議員や外務省の官僚、あるいはマスコミにもチャイナスクールのような人たちがいる。なぜ日本人の中に、これほどまでに中国におもねる人が多いのだろうか。おそらくあの戦争で、日本が中国に対して迷惑を掛けたことを償わなければいけないという、一種の贖罪の意識が座標軸にあるのではないか。

 ただ、こうした贖罪意識と、国家の政治や外交とは全く別のものであるべきだ。いつまでも中国に対する負い目を感じる必要はない。最近は、日本の外交もようやく言うべきことを言い、ペコペコ頭を下げなくなってきた。これは、日本人が自信を取り戻しつつある表れではないかと感じている。

 リーダーに限らず、いまの日本人に知っておいてもらいたいことがある。日本の若い人たちがかわいそうなのは、「昔の日本は悪いことをした。アジアを侵略した悪い国だった」と一方的な教育を受けていることだ。日本は世界各国から批判されていると思い込み、自信を失ってしまっている。

 台中の日本人学校で講演をしたことがある。99年の大地震で台中日本人学校の校舎が倒壊し、私はすぐにでも何とかしてあげたいと考え、土地を見つけて校舎を建て直した。その後、この日本人学校に招待され、生徒たちを前に日本の統治時代の台湾はどうだったかといったような話をしたのだ。その内容は具体的には、こんなことだった。

 児玉源太郎・第4代台湾総督の民政長官だった後藤新平は、わずか8年7カ月で台湾を「1世紀も違う」ほどの近代的な社会につくり上げ、今日の繁栄の基礎を築いた。台湾を近代化し、経済を発展させるために後藤が最初にやったことは、仕事のできない日本人の官吏1080人を首にして日本に送り返すことだった。よほどの覚悟と決心がないとできないことだ。

 その一方で各方面から有能な専門家を台湾に集めた。その中には新渡戸稲造や、台湾でいまだに神様のように尊敬されているダム技師の八田與一をはじめ、数多くの能力のある日本人がいた。彼らが台湾のために働いたおかげで、現在の台湾があるのだ。

 こういう話をしたら講演後、中学生の生徒代表が、「今日のお話を聞いて、自信が出ました。今までは街を歩くときに、なんだか肩身が狭い思いをしていましたが、明日からは胸を張って歩きます」とうれしそうに言ってくれた。私もうれしくなって、「がんばりなさい」と励ましたことを覚えている。

 終戦後の日本人が価値観を百八十度変えてしまったことを、私はいつも非常に残念に思っている。若い日本人は、一刻も早く戦後の自虐的価値観から解放されなければならない。そのためには、リーダーたる人物が若い人たちにもっと自信をつけてあげなければならない。日本人はもっと自信を持ち、日本人としてのアイデンティティーを持つ必要がある。そうして初めて、日本は国際社会における役割を担うことができるはずだ。

2014年、与党・国民党(当時)の親中姿勢に反発し、台湾では学生運動が起こった Photo:Lam Yik Fei/gettyimages

OEM型産業は発展したが
経済の自主性は損なわれた

 台湾社会がはらんでいる最大の危機のかたちは、民主化以来の二十数年、ほとんど変わっていない。すなわち、中国との統一か、さもなければ台湾独立かという、「友でなければ敵」といった極端に対立する主義が国を二分していることだ。「青(国民党)か緑(民進党)か」という状況の中で、物事の是非を考える分別は消え、理性を求める余裕が失われている。

 この二つの極端な主義は、平和的な政権交代が実現した2000年以降、よりいっそう顕著になったように感じる。これは社会の調和や団結に負の遺産をもたらしこそすれ、決して台湾社会のプラスにはならない。私はそう警鐘を鳴らしてきた。

 当時から私が指摘していたのは、台湾社会を分裂させているのは貧富の格差ではなく、種族でもなく、宗教でもなく、アイデンティティーの分裂こそが原因であった。このアイデンティティーの分裂は、台湾の歴史と深い関係を有している。台湾が、長期にわたって外来政権あるいは独裁政権による統治を受けてきた結果の歴史的産物であるからだ。

 台湾は80年代末期以降、困難の中から民主化を実現し、国家のアイデンティティーを確立し、エスニックグループの対立を解消させた──ように見えた。だが台湾が経済発展の鍵として採用したOEM型産業によって、経済の真の自主性を欠く結果となった。国際的なブランドは分裂し、価格競争に勝ち残るために中国へと移り、国内の産業空洞化が急速に進んだ。

 今の台湾社会では中国がもたらした利益と損失の対立が、さらに深刻になっている。これはまさに場所の悲哀であり、台湾が長期にわたって正常な国家になれずにいる悲哀だ。

 結果的に今の台湾の民主政治は奇怪な「投票箱文化」と相なっている。国民は選挙のときにしか選択する権利を行使することができない。また小選挙区制度のため小党の生存空間は封殺され、選択の幅はさらに狭まり、二極化に拍車が掛かっている。私は2000年に民進党が政権を取ってから、民進党を時にバックアップし、時には路線修正させるために第三党となる台湾団結聯盟をつくりもした。だが徐々に力は発揮できなくなり、結局、有権者は単純な「青か緑か」という構図に収斂している。

 こうしたゆがんだ構図を目の当たりにして、私は「自由としての開発」(編集部注:ノーベル経済学賞の受賞者であるアマルティア・セン氏の著書『自由と経済開発』の原題)を強く意識せざるを得ない。すなわち政治的自由と経済的能力、社会の流動性、責任の透明化、安全といった要素は、手段と目標として全て不可分であるということだ。そして成熟した健全な政治経済社会体系では、あらゆる局面で必要とされる。

 現在の台湾においては、政治と経済に関する重大な社会問題が山積している。これらは、台湾において「主権在民」の精神がいまだに根付いていないために、国民が政府の一連の失政をうまく阻止できず、起こっている問題だ。言い換えれば、これまでの台湾の民主化発展の趨勢は「勝者が全てを掌握する」モデルであった。これについて、過去の独裁政権の残滓や社会条件を加味した考察がなされて来なかったことを反省しなければならない。

 台湾がこれから、政治においても経済においても負け組になるような国難を避けるためには、どうするべきか。もう一度体制を改革し、「コンセンサス型民主主義」(編集部注:比例代表制や多党制を特徴とする民主主義)に移行する必要があると私は考えている。コンセンサス型民主主義は、権力の分担により、傷ついた社会の分裂を補修し、対立を解消するのに適した民主体制だといわれる。であるならば、いまだにアイデンティティーによって社会が分裂した台湾においては、この体制が有効な解決手段の一つとなるのではないか。民主制度は台湾の究極的な価値であるという前提の下、民主主義制度の選択を考慮する必要があると考えている。

 私はこれまで「民主改革を成し遂げ、民主国家となった台湾は、もはや民族国家へと後戻りするべきではない」と主張してきた。台湾の国民が持つ共通の意識はあくまで民主主義であり、民族主義ではないのだ。英国の経済学者エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハーは、「ある経済体が、政治的独立と国家のアイデンティティーを失ったなら、発展はあり得ない」と指摘している。台湾はこれからどのようにして、民主政治体制を通して社会の分裂を食い止められるだろうか。

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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