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プロ野球の無観客開幕で見えた、人気復活の「吉兆」と深刻な「病巣」

2020年07月02日 06時00分更新

文● 小林信也(ダイヤモンド・オンライン

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無観客で開幕したプロ野球。吉兆と病巣が見えてきた 写真/アフロ

静かな球場から聞こえる「プロの野球の音」に感動

 プロ野球が開幕し、日本列島に球音が戻った。

 無観客だから「球音」がよく聞こえる。今まで聞こえなかった「プロ野球の音」は、ファンに新鮮な発見と感動を与えている。

「木製バットの響きが心地よい」「プロ野球選手もベンチであんなに声を出しているんだ」「知らなかった」といった、素朴な驚きが聞こえる。

 日本の野球少年たちは「声を出すのは野球の基本」と教えられて育つ。しかし、プロ野球選手がどんな声を掛け合っているかは球場に行ってもなかなか聞こえないから、静かな球場で聞こえる「プロの声」は選手たちの気持ちや考え方がわかって勉強になるし、野球を見る楽しみも深くなるのだ。

アクシデントが教える、野球界の傲慢と変わらない体質

 ただ、静かなために、思わぬアクシデントもあった。

 開幕カードのヤクルト対中日戦で、中日・与田監督が審判に抗議した「事件」は広く報じられた。ネット裏で実況するアナウンサーの声がグラウンドまで響き、捕手がどのコースに構えているか、投球前に打者に伝わってしまったのだ。

 比較的新しい球場の放送ブースは窓が閉まっているが、古い神宮球場は窓を開けて放送する。そういう構造上の問題もあって起こった事件だった。プロ野球の運営サイドは、こうした問題が起こることを、事前に十分に考えておくべきだった。

 この出来事に、私は古いパターンを踏襲する、プロ野球ならではの成人病的体質を見る思いがした。長く一番人気を誇った野球に関わる者の「傲慢さ」と言ってもいい。

 野球以外の分野に目を向ければハッと気づく当然のことが、野球では十年一日どころか50年以上も変わらず踏襲されている。その時代錯誤、身勝手さ、おかしさを野球界は一切是正してこなかった。

 無人のスタジアム。静かなダイヤモンド。ところが、実況アナウンサーは、「だから自分が叫ばなければ盛り上がらない」とばかりにがなり立てる。その対比が「奇妙だ」と私は感じるが、「それこそがプロ野球の実況だ」と信じて疑わないアナウンサーや中継スタッフは、自分たちの「浮いている勘違いぶり」に気づかなかったのだ。

 いつまでも「古くさい実況パターン」を踏襲するのでなく、新しい実況スタイルを創り上げる機会にしたらいい。

 他の競技、とりわけ新しいアーバンスポーツ系のDJを参考にすれば、学ぶべきところはたくさんある。

 例えば、スポーツクライミングの大会に行けば、会場じゅうに大音量のBGMとDJアナウンスが響きわたっている。その声は競技中の選手にも聞こえる。BGMとDJが競技と一体になっているのだ。けれど実は「大切な約束事」もある。

「ルートの選択」が勝負の重要なカギになるボルダリングやリードでは、先に競技した選手のルート選択とその成否の情報が後の選手に伝わって有利不利が生じないよう、選手がどのルートでチャレンジしているか、コースにどんな隠れた難しさがあるかなどのコメントは「言ってはならない」と了解されているのだ。

 だから、DJは決してプロ野球中継のアナウンサーが叫んだような「キャッチャーの構えた位置」などは声にしない。いかにプロ野球中継が「遅れているか」「傲慢か」、これでわかっていただけただろうか。

野球は「テニスの観戦スタイル」が合っている!?

「無観客中継の方が見ていて野球の面白さに浸りやすい」と話すファンが少なくない。冒頭で書いたとおり、今まで歓声や騒音で聞こえなかった音が聞こえて新鮮だと。中には、こんな感想も聞いた。

「テニス中継を見ているような緊張感がありますね。野球って本来、テニスと同じく、静かに楽しむ方が合っていると気づきました」

 一投一打に大騒ぎするのでなく、基本的には「かたずをのんで」応援し、拍手や思い思いの歓声で感動を表現する。

「コロナ禍だから、感染予防のため声を出さない」ではなく、「野球はその方が楽しめる」という新しい価値観の見直しもあっていいと私も同感した。

 従来の大騒ぎ、かねや太鼓の大応援に慣れ、それが楽しみで球場に足を運ぶ熱狂的なファンには物足りないだろうが、野球の本質を考えれば、静かな応援に回帰する方向性をコミッショナー、またはいずれかの球団が提唱したら、野球場の雰囲気は大きく変わるだろう。

 実際、本場アメリカの野球ファンが日本の球場に足を運ぶとビックリするという話はよく聞かされる。アメリカの野球場では、日本のような組織的な応援や耳をつんざく大騒ぎはないからだ。テニスほどに静寂ではないが、もっと明るい笑顔と歓声に満ちている。いわば、一人一人の自発的な感情表現だ。そして、他者に大騒ぎを強要する行為はない。静かに見たい人が眉をひそめるような騒音は控えるのがマナーだ。

 日本でも長年、「静かに野球を楽しみたい」と考えるファンのつぶやきはしばしば紹介されている。ところが、「大騒ぎこそ野球の応援スタイル」という勢力が幅を利かせ、球場の騒音レベルは工事現場並みに維持されてきた。せめてこの機会に、行き過ぎた応援スタイルからの脱却を実現してほしいと改めて願う。それが本来の野球の発展、人気回復には大きな一助となるに違いない。

ファンの気持ちから生まれた「投げ銭システム」への期待と課題

 私は開幕直前、無観客開催を強引に推し進め、特に何ら改革の哲学を反映させなかった日本野球機構(NPB)を案じる原稿を書いた。

 ふたを開けてみると、開幕戦の視聴率は幸いにも10.7パーセント。なんとか及第点だったが、裏番組ふたつより低い数字だった。第2戦、第3戦の視聴率はそれぞれ関東地区で7.3パーセント、5.8パーセント。「デーゲームだからまずまず」との評価だが、今後の推移が心配される数字だ。

 一方で、ファンが独自に「自分たちの楽しみ方を作り出す動き」には明るい未来が感じられた。ネット観戦をしながらの「参加型の応援スタイル」だ。勝った負けただけに執着せず、ファンが心を揺さぶられたプレーに声援や感謝を送り、選手の一挙手一投足に共感する。選手にとっても、やりがいを感じる方向性、野球の楽しみも深まるだろう。私は、NPBが無策でも、こうして新たな発展の道をファン自身が作ってくれる野球の底力に感嘆した。

 その象徴と話題になっているのが、阪神をはじめ、早速採用の動きが始まった「投げ銭システム」だ。中継を見ながら、ファンが思い思いに投げ銭を投じる。投げ銭の他には、チームや選手宛てに、ギフトを贈る仕組みもある。同時にメッセージも送れるので、ファンは自分のこだわりや感激を表現し、伝えることができる。

 プロ野球観戦を、勝ち負けの短絡的な大騒ぎでなく、深みのあるものにしてくれる素晴らしいツールだと、私は大いに期待を抱いた。ところが、6月27日のゲームで採用された阪神タイガースの投げ銭サイトを試合途中からのぞいて落胆したことがあった。

 ここまで1勝6敗。厳しいスタートとなった阪神ファンのいら立ちはもちろん想像に難くない。この試合も終盤まで劣勢。ところが最終回に劇的な展開が待っていた。9回表2死から新外国人サンズが逆転3ラン。9回裏は藤川が締めてDeNAに快勝した。

 当然、投げ銭サイトも盛り上がっていたが、落胆したのはそのメッセージのやりとりだ。ファンの投げ銭と書き込みに「阪神タイガース」を名乗る球団側がお礼のメッセージを返すのだが、これがあまりにお粗末だったのだ。野球観戦の楽しみを深めよう、野球の深さを味わおう、見逃しがちな選手の好プレーやその背後にある努力・工夫を共有しようといった方向性はまったくない。勝った負けた、打った抑えた、あまりに短絡的な歓喜と落胆の言葉の羅列に、すさんだ雰囲気が漂い、悲しい気持ちになった。とても、長年野球を愛し続け、野球を楽しみたいファンが入り込みたいコミュニティーではない。

「最後まで勝利を信じて応援しましょう」といったあおり文句一辺倒で、絶対勝つぞ、勝ったらうれしい負けたら悔しいという単純なトーンに終始している。これは、球団側がこの投げ銭システムを単に「入場料収入に代わる新しい集金方法だ」としか期待していない表れではないか。メッセージ対応の担当者と細かな打ち合わせや真剣な方向性追求もせず、おざなりな起用をしているからではないだろうか。

 この辺りにも、拝金主義と勝利至上主義に支配され、本質的な危機感を持たないプロ野球の病巣を見る思いがした。せっかく低落傾向のプロ野球人気を変えるかもしれない投げ銭システムが、このままでは単純バカ騒ぎを助長するだけのツールに堕してしまう。

 球団そしてNPBは、本当にもっと真剣に哲学や理念を見つめ直し、野球文化を深める方向性を持たないと、そこに深さや慈愛を求めている人たちは、いよいよ野球から離れていくだろう。

(作家・スポーツライター 小林信也)

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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