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「AI美空ひばり」に最も欠けているもの、国民的歌手の命日に考える

2020年06月24日 06時00分更新

文● 白川 司(ダイヤモンド・オンライン

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幅広い世代に受け入れられた美空ひばりにあって、「AI美空ひばり」にはない決定的なものとは何だったのか 写真:NHKホームぺージより

「柔」「川の流れのように」「悲しい酒」「真赤な太陽」「リンゴ追分」など、数多くのヒット曲を持つ国民的歌手、美空ひばりが亡くなったのが1989年6月24日。没後30年となった昨年末のNHK紅白歌合戦で「AI美空ひばり」が登場し、賛否両論を巻き起こした。幅広い世代に受け入れられた美空ひばりにあって、「AI美空ひばり」にはない決定的なものとは何だったのか。(国際政治評論家・翻訳家 白川 司)

冬の時代の
美空ひばり

「あら、いばりが出ているのね」

 小学生の私が歌番組を見ていると、炊事の途中で居間に用足しに来た母が言った。テレビには美空ひばりの顔がアップになっていた。

 母は当時、美空ひばりを「いばり」と呼んでいた。

 当時、歌番組は若者に人気のアイドル歌手やアーティストたちに席巻されていた。美空ひばりや都はるみといった時代を築いた人気の大御所ですらヒット曲にあまり恵まれず、演歌は「冬の時代」に入っていた。

 1978年にTBSでランキング形式の歌番組「ザ・ベストテン」が始まると、人気を博したのは山口百恵、そして松田聖子や中森明菜のように若くてアイドル性を持つ歌手たちだった。

 ランキング形式の番組は週単位でレコード売り上げやはがき投票を集計して順位を決めていたので、聞きこんでいくうちに良さがわかる曲が多い演歌は、歌番組全盛の時期にあってもさほど目立たなかった。「たまにヒットチャートに混じってくる」といった程度の印象である。

 そんな時代の雰囲気もあって、当時は出す曲がさほどヒットしなかった美空ひばりが、テレビ番組で女王のように遇される様子は、歌謡界のピラミッド構造が理解できるものにはごく自然なものだろうが、全盛期の美空ひばりを知らず、見たままにしか判断できない私には不思議な光景だった。だから、母が「いばり」と呼んでもそれほど違和感がなかった。

 もちろん美空ひばりにヒット曲なかったわけではない。冬の時代にあっても「おまえに惚れた」(1980年)や「裏町酒場」(1982年)は売り上げ10万枚を超えている。

 1970年代、スナックと呼ばれる酒場にはカラオケが置いてあることが増えて、飲んで歌うことが一般的になっていった。この頃のカラオケ愛好者は年配者が多かったが、1980年代はカラオケボックスが出現して、カラオケを楽しむ若者も少しずつ増えていた。

 私の印象では、美空ひばりが低迷した時期は、ちょうどカラオケで歌える曲がヒットしやすかった時代と重なっている。だから、美空ひばりや都はるみのような実力者が歌う難しい曲は、人気が出にくかったのかもしれない。特に演歌については、一般の人でも歌いこなせて、それなりに盛り上がるような曲でないと、なかなかヒットしなかったのである。

 もちろん、どんなジャンルでも高い水準で歌いこなす美空ひばりを「演歌歌手」でくくるのは適切ではないのは私も知っている。ただ、当時、美空ひばりの全盛期を知らない多くの者が、彼女を「演歌歌手」と見ていたのも一面の真実である。

カラオケにおもねった
「おまえに惚れた」

 先述した美空ひばりの「おまえに惚れた」という曲は典型的な演歌だ。しかも、どんな難曲でも歌いこなす美空ひばりに似つかわしくないほど、単調で「うなり」や「こぶし」の多い歌いやすい曲である。

 ここで言う「典型的な演歌」とは、「おんな」や「酒」や「人生」など演歌特有の言葉をちりばめ、演歌の旋律の枠を忠実に守っているといったことである(私など、新曲であっても聞き覚えがある錯覚に陥っていた)。それに歌いやすさを加えると、カラオケで繰り返し歌われる可能性が高まるわけである。

「おまえに惚れた」はそういう意味で、美空ひばりが当時のカラオケブームにおもねった曲だといえるかもしれない。

 あくまで個人的な印象だが、美空ひばりほどの技量の持ち主がこの歌いやすい曲を歌うと、その技量が鼻について、まるで遠くからでも厚化粧をしていることがわかるようなくどさがあった。

「おまえに惚れた」の次のヒット曲「裏町酒場」は、1980年に「奥飛騨慕情」でミリオンセラーを出した盲目の演歌歌手、竜鉄也が作曲を担当している。

 当時、スナックの近くに行くと、どこかで「奥飛騨慕情」が歌われているというほどの人気だったが、「裏町酒場」はまさに美空ひばり版「奥飛騨慕情」である。

 ただ、この曲の美空ひばりは持ち前の技量が抑えられ淡々とした印象で、私にとってはそれまでにない魅力があった。「裏町酒場」がヒットした要因として、カラオケで歌いやすかったこともあるのだろうが、いま思うと、後期黄金期の呼び水になっていたのかもしれない。

 いずれにせよ、当時の美空ひばりへの私の印象は「厚化粧のいばったおばちゃんが、なんだか偉そうに歌っている」といった、かなり偏見に満ちたものだった。

 言うまでもないだろうが、ここで言う「厚化粧」は、もちろんメイクそのもののことではなく、スナックのカラオケで好んで歌われるいかにも演歌らしい演歌を、技巧たっぷりに歌いこなすといったことだ。

 だから、私にとって当時の美空ひばりは文字どおり「過去の人」だった。

イメージを一変した
「愛燦燦」の衝撃

 私の偏見に満ちた美空ひばりへのイメージががらりと変わったきっかけがある。それは1986年に出された「愛燦燦」を初めて聞いたときだった。

 もしかしたら同世代の人には私と同じような経験をした人がいるかもしれない。味の素のテレビCMにこの曲が使われた。夏の映像に「愛燦燦」の出だしが流れるというCMなのだが、日本の歌謡曲を半ば馬鹿にして洋楽ばかり聴く生意気な学生だった私も、この曲の引力には強く惹き寄せられた。

 実は、最初は美空ひばりが歌っているとは思わなかったのだが、テレビ画面の片隅には「歌・美空ひばり」の文字が出ていた。

 その曲の美空ひばりは、自分が持っていた彼女のイメージとは遠くかけ離れていた。それまで私が持っていた美空ひばりのイメージが「厚化粧のおばさん」だったとすれば、そこで流れる美空ひばりは、化粧っ気などなくても多くの人を惹きつける深い母性のような存在だった。

 それまでは典型的な演歌を攻撃的なほどの技術で歌い上げている印象だったが、「愛燦燦」は人の弱さと内面を表す言葉を多用しており、そのぶん新鮮だった。

 曲の1番は「雨」を描く。雨は「不運」の比喩である。ただ、主人公は「わずかばかりの運の悪さ」を嘆く小さい自分を見つめながら、「過去達」はやはり優しくそこにある。

 2番は「風」を描く。風は「逆境」の比喩である。「思いどおりにならない」ことで夢を失う「かよわい」自分を嘆きながらも、またも「未来達」に夢を託す。

 3番は「愛」を描く。「心秘そかな嬉し涙」を流し、1番の歌詞に戻って「過去達」はやはり優しくそこにある。

 テーマは雨(不運)→風(逆境)→愛(救い)と展開するが、それを受けとめる時間は「過去」→「未来」→「過去」と戻る。

 また、小椋佳が作った歌詞は、音韻的にも巧みな工夫が施されている。歌詞の節は順番に「恨んだりして」「哀しいものですね」「不思議なものですね」とエ段で終わらせ、サビの終わりだけを「睫毛(まつげ)に憩(いこ)う」とウ段で終わる。

 このエ段→エ段→エ段→ウ段(サビ)→エ段というパターンは、3番まですべて統一されている。文末がエ段で終わると、言葉を言い切らずになんらかのニュアンスが残るような印象になる。サビはウ段を使って言い切り、最後はやはりエ段で余韻を残している。

 これらの言葉の新鮮さや音韻上の工夫は、それまでは耐える強さや男の道を歌うことが多かった美空ひばりの歌に、母性を与えている。

 ちなみに、同じく小椋佳が作り梅沢富美男が歌って大ヒットした「夢芝居」(1982年)は、イ・イ・イ・イ→エ段・エ段(サビ)→イ・イと展開する。「夢芝居」はサビ以外のすべての節がイで終わり、すべてを言い切ってきびきびとした男性的な印象を与える。

 美空ひばりのすごさは、「愛燦燦」が描く内面の言葉を、完全に自分のものにしたことにもある。

 ただ、「愛燦燦」は今でこそ時代を超える名曲という扱いになっているが、当時はさほどヒットしなかった。当時ヒットするのに必要なキャッチーさやインパクトに欠けていたせいもあるだろう。

 通常、CMで使われるのはほとんどの場合サビの部分であるが、「愛燦燦」は歌い出しだった。CMに膨らみを持たせるのには成功したが、その頃に多かった「ヒット曲になるCMソング」としては物足りないものだった。

 それでも、この曲は美空ひばりという歌手の立っている位置を、「演歌の大御所」から「表現者の頂点」へと根本的に変えた。ただ、その認識が広く共有されるのに時間を要したというのはあるのだが。

「川の流れのように」と
「あれから」の違い

「愛燦燦」以降の美空ひばりは、私にとっては別人である。いや、もしかしたら私が知らないだけで、「本来の美空ひばり」だったのかもしれない。

 美空ひばりは1987年に大病を患い、適切な治療ができずに1989年に亡くなってしまう。1987年の復帰後に出したのが「みだれ髪」、そして最後の曲になる1989年の「川の流れのように」だ。

「みだれ髪」は若い頃に帰ったような情緒的な演歌であるが、あまり裏声を使わなかった美空ひばりが、この曲では裏声を多用している。「愛燦燦」でも裏声が使われ、人の弱さを表現にするのに寄与している。

「みだれ髪」は、演歌の従来の枠組みを守りながら、星野哲郎の文語調の歌詞と裏声の多用で「人の弱さ」を情緒的になりすぎずに描くのに成功している。

 美空ひばりの人生を総括したような「川の流れのように」が最後の曲になったことは、奇跡のように感じる。

 わかりやすい言葉で人生を川にたとえたこの曲は、小宇宙のようなスケール感を持ちながら、これまでの人生をそのまま受け入れる素直な母性がある。

 聞く者によっては、美空ひばりの人生の総決算をした曲のようにも、美空ひばりの内面を表現した曲のようにも、自分の人生の応援歌のようにも思えるだろう。

 そしてこの曲が出てからしばらくたった頃、美空ひばりが死の恐怖と闘いながら歌っていたことを私たちは知ることになる。

 2019年にNHKがAIとボーカロイド技術を駆使して、「AI美空ひばり」として新曲「あれから」を作成して、その年の紅白歌合戦でも発表されて賛否両論を巻き起こした。

 初めて聞いたときは本人が歌っているとしか思えないほどの完成度で、膨大な労力が注ぎ込まれたことがうかがえた。だが、あまりに「らしさ」を詰め込んだせいで、繰り返し聞いていると、かえって不自然で人工的な印象を与える。

 私たちが美空ひばりに感動するのは、それぞれに原体験があるからだ。

 それは幼い頃から大スターだった美空ひばりかもしれないし、円熟して他のジャンルを高いレベルで歌いこなしていたときの美空ひばりかもしれないし、私のように「愛燦燦」の美空ひばりかもしれない。

「川の流れのように」にはそれまでの美空ひばりの人生が凝縮されているが、「あれから」はそのうまくできた模倣のように私には思える。川は1つの線であり、大きな物語の一断面である。もしその断面がうまく模倣されていたとしても、それは単なる1つの点にすぎず、そこには「大きな物語」がない。だから「あれから」は平板に聞こえる。

「川の流れのように」と「あれから」を聞き比べて、美空ひばりという天才歌手の偉大さを改めて思い知らされた。

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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