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夏の甲子園もコロナで中止、引退する球児たちの「複雑心境」とは

2020年05月21日 06時00分更新

文● 戸田一法(ダイヤモンド・オンライン

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現球児たちには「仕方がない。誰も恨むな。今後の人生を頑張ってほしい」というエールしか送れない(写真はイメージです) Photo:PIXTA

日本高等学校野球連盟(日本高野連)は20日、新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、オンラインで第102回全国選手権大会の運営委員会と理事会を開催し、8月10日から予定されていた夏の甲子園大会の中止を決めた。夏の甲子園が中止されるのは戦後、初めてとなる。春の第92回センバツ大会も中止となっており、第2次大戦の中断を除き、史上初めて春夏ともに甲子園大会が開催されない事態となった。甲子園を目指してきた球児の思いは…。(事件ジャーナリスト 戸田一法)

中止は大戦中の1回だけ

 現在の全国高校野球選手権大会は1915年、全国中等学校優勝野球大会として発足。第1回は10校が参加し、甲子園球場ではなく、大阪の豊中グラウンドで開催された。

 決勝戦は京都二中(現・鳥羽高)と秋田中(現・秋田高)の対決で、延長13回の末に京都二中が制した。

 甲子園球場が会場になったのは、第10回大会の1924年から。ただ、第28回大会(終戦翌年の1946年)はGHQが甲子園球場を接収していたため、阪急西宮球場で開催することになった。

 第40回(1958年)と第45回(1963年)の両記念大会は出場校を増やしたため、甲子園と西宮の両球場を併用したが、甲子園で試合ができなかった高校から「不公平だ」と批判が上がり、それ以降は全試合が甲子園で行われるようになった。

 そう。高校球児にとって「甲子園」というのはただの全国大会ではない。全国大会と呼ばず、球場名をそのまま大会を指すほどの「聖地」であり、球児にとって特別な意味を持つ「憧れ」なのだ。

 その甲子園が中止されたのはたった1度だけ。戦局悪化による第27回大会(1941年)だけだ。1942年から1945年はそのまま中断された(筆者注:新聞やテレビは米騒動の影響で中止になった第4回大会(1918年)を含め「中止は3回目」と報じていますが、本稿は甲子園大会への言及ですので「たった1度だけ」と表記しています)。

負け知らず「最強」と自虐

 筆者が全国紙の地方支局時代、同僚だった運動部デスクによると、全国高等学校体育連盟(高体連)が4月26日、今年の全国高校総合体育大会(インターハイ)中止を発表した時点でも、高野連は大会開催を模索していたという。

 同デスクは「ある高野連幹部は『ほかの競技と野球は違う。インターハイが中止でも、国民に勇気を与えるべく“甲子園”だけでも開催すべきだ』と主張していたらしい。まったくナンセンスですよ」と話した。

 これまで「無観客」での開催も取り沙汰されたが、大会開催は試合だけ対策を取ればいいという問題ではない。移動や宿泊が伴うわけだから、その過程の安全は確保できるのか――。

 20日の結論は「野球だけ開催して集団感染が発生したら、誰が責任を取るのか」という雰囲気になり、次第に中止の流れに傾いたらしい。

「大人の都合」で期待を持たされ、振り回された格好の球児たちは気の毒でしかない。

 実は筆者も元高校球児で、甲子園まであと一歩というチームでレギュラーだった。次男が2年の高校球児という元チームメイトに連絡してみた。

 次男は休校中。テレワーク中の元チームメイトは「15日に『中止へ』って報道があった時点で覚悟はしていたらしいけど、LINEで速報が回ったらしい」とつぶやいた。

「俺達、何か悪いことしたのかよ。何の罰ゲームだよ」「ふざけんな。コロナなったっていいからやらせろよ」というストレートな怒りの声…。

 一方で「俺達の年代、全国みんな負け知らず引退。最強(笑)」「3年じゃなく2年で成仏。でも髪は伸ばす」など、自虐的な投稿もあったらしい。

人生が懸かった選択

 それぞれの球児に、いろいろな思いと都合がある。ただ「野球が好きだから」ではない事情もあるのだ。

 プロ野球のドラフト会議で指名確実な選手は、自分を高く売る晴れ舞台だ。一方で、強豪校に越境入学して晴れ舞台で活躍し、注目されたい球児はその「就職活動の場」を奪われたことになる。

 意外かもしれないが、進学校も事情は深刻だ。筆者の出身高校には大学推薦で暗黙の「野球部枠」があった。

 少なくとも2枠(専修、玉川)があり、戦績によって慶応、早稲田、法政、日本、東洋などが加わる。

 筆者のチームは地方大会で甲子園ベスト4のチームに敗れたが、2年秋のブロック大会に県代表として出場した。

 当然に主将は慶応に進学。国立大学を希望していた部員以外は、ほぼ浪人せずに希望に近い場所に収まった。1学年上と下の先輩と後輩は残念ながら枠が少なかった。

 では、進学する意向がない野球部員はどうか。

 やはり、甲子園が目標ではなくても、動機はある。就職活動に苦労する高校で主将だった元中学の同級生は、倍率が高い地元農協に就職が決まった。野球が好きな地元議員の口利きだったらしい。

 中止に対して、さまざまな「賛成」「反対」の意見はあると思う。では、現実的に「高校野球大会」は可能だったのか。元経験者として「無理」と断言できる。

 ただ「速い球を投げる」「本塁打を打つ」だけが野球ではないからだ。

 プロ球団にとっては、地方大会や甲子園がそうした投手・打者の「品評会」的な要素は否めない。

 新学期から休校となり、チーム練習ができなくなった。個別に筋トレなどはできても、チームプレーの練習はできていない。

 第100回大会で躍進した準優勝校の金足農業の戦いぶりをご存じの読者は多いと思う。突出した選手は吉田輝星投手ぐらいだった。なぜ勝ち進めたのか。

 それこそ「チームプレー」だったというのは、本稿を読んでいていただいている読者の方々にはご理解いただけると思う。

 ドラフト会議で指名されるような選手がいるチームを次々になぎ倒し、頂上決戦にコマを進めた。

 きちんとしたチームプレーを練っていなければ、「野球」という競技は成立しない。それを証明したと実感した。

 元球児として、現球児たちには「仕方がない。誰も恨むな。今後の人生を頑張ってほしい」というエールしか送れない。

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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