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女性から「オシャレですね」と言われたら要注意な理由

2020年03月26日 06時00分更新

文● 鈴木涼美(ダイヤモンド・オンライン

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Photo:PIXTA

財力も社会的地位もあり、おっさんくさくないように身なりもバッチリ。そんな上司が部下の女性から頼りにされない一方、特別秀でた外見でなくとも尊敬され、信頼される上司がいたりする。好かれる上司と嫌われる上司の境目はどこにあるのか。(作家・社会学者 鈴木涼美)

すてきなおじさんを
好む女性は多い

「立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹(ぼたん)、歩く姿は百合(ゆり)の花」とは美人のたとえだが、「褒めればセクハラ、けなせばパワハラ、訴えられたらサヨウナラ」が常となった最近のおじさんバッシングにはさすがに少し同情するところがある。

 虐げられてきた女性の歴史を考えて「逆襲だ」と言うことはたやすいが、彼女たちの訴えに若い男性までもが乗っかって「そもそも臭いしダサいし」なんて言われてしまっては、そんなのもはや言いがかりであって元も子もない。

 そもそも老害なんて言って目の上のたんこぶを排除しようという考え自体が大変安易で、老害と呼ばれるその先人たちの生きてきた軌跡なくしては、若者など存在すらしないのだ。

 そんなバッシングに気を落としたり、きたる老いに必要以上におびえたりする必要はない。だが、男性が「やっぱり若い女がイチバン」と平気で口にするくらいは、女たちも男の経年劣化に実はとても辛辣である。

 女性に比べて男性の老いにそれほど悲観的なイメージがないのは2つの理由からだ。

 1つ目は古くは経済的に男性に依存しがちだった女性らが、男性の美しさや爽やかさよりも現実的な生活能力や単純な経済力に魅力を感じがちであったこと。

 2つ目は、視覚的な興奮よりも恋のストーリーや環境に刺激を感じる人が多いこと。才能や権力などに比べると「若さ」は確かに条件の優先順位で高いところには来づらい。

 それでも、人間年をとれば体力も落ち、体は痛くなり、若い時には生えなかったところに毛が生えてくるのに、頭髪は薄くなり、精力も減退し、体臭も気になりだし、肌はくすみ、記憶力も衰えるので、生物としては、圧倒的に若い時分の方が優れているのは事実だ。

「男がつらいよ」など男性研究の著作で知られる社会学者の田中俊之氏は、著作の中でこんなふうに言っている。「好きこのんでおじさんと恋愛をしたい女子大生などいるはずもない」。

 田中氏の意図は「無意味なプライドを捨てよ」という指摘につながるのだが、それはさておき、独立してそこだけ読めば、あまりの残酷さに目が白黒しそうな一文でもある。

 そしてそれは正しいと同時に、間違いでもある。

 一度街の中に目を向ければ、すてきなおじさんは意外とたくさんいるし、すてきなおじさんとすてきな時間を共有する女性たちも、これまたそれなりにいるのだ。

 つまり、「好きこのんでそこらへんのおじさんと恋愛をしたい若い女性などあまりいないが、すてきなおじさんと恋に落ちたいと思う女性は結構いる」ということになる。

モテるおじさんに
見られる2つの特徴

「あとは若いもんに任せる」と現役を降りたような顔をしていながら、なんだかんだ結構すてきな女性を連れているおじさんを見ると、どうやら2つの点に優れている。

 第1に、相手の選び方。

 モテる男の条件は老いも若きも、自分を好む女性を見分ける能力にある。いくらすてきなおじさんでも、「年下のペットみたいな男の子が好き」という女性相手ではなかなか勝ち目は見えてこない。デスパレート(死に物狂い)に結婚をしたがっている女性が、いくらすてきでも既婚者の男性の誘いには乗らないだろうし、筋肉が好きという女性はいくら才能があっても虚弱体質の複雑数学系の学者にはあまり興味を示さない。

 単純なことだが、モテそうなのにモテない人というのは男女ともに、戦う場所を間違えている場合が多い。

 問題は2つ目、自分のアピアランス(外見)である。

 サザエさんの中の波平さんやアナゴさんばかりが雁首(がんくび)をそろえていた時代に比べれば、今は地下鉄に乗っていても、洗練された中年以上の男性は随分増えた。その分、自分が洗練されていると勘違いしている男性の数もうなぎ上りに増えた。

 全身シュプリームのような若者に人気で比較的高額なカジュアルブランドを身にまとっていたり、クロムハーツのような癖の強いブランドのロゴマークが見えるようにそろえていたり、そういったおじさま方のファッションは、女性受けは波平より悪い。

 誰だって、老いぼれて枯れているよりは、若々しく咲いていたいだろうとは思うが、気持ちや行動がいい意味で枯れておらず、若々しいというのと、若作り、というのは全くの別物。

 前者が自然と香り立つものであるのに対し、後者は生乾きの雑巾から固く搾り出すようなものである。無理しているように見えるし、自分に対する客観的な評価ができていないようにも感じられるため、周囲の評価は冷ややか。そこで辛うじて出る褒め言葉こそ「オシャレですね」である。

黒ニットおじさんが
オシャレと言われた訳

 以前、西麻布にあったXROSS(クロス)というクラブに、毎週金曜日に現れ、「黒ニットおじさん」と揶揄(やゆ)される50代の男性がいた。

 黒ニットとは彼がいつも被っていたニット帽のことで、毎回、その店に慣れていない若い女性をナンパしては一緒に踊り、腰に手を回しては気味悪がられるようなちょっとした有名人だったのだが、彼の特徴を一言で言うと、不相応な若作りが全く成功していないことであった。

 ニット帽にTシャツや薄手のカットソーなどを合わせて、首からはやや時代遅れのティファニーのアトラスシリーズのシルバーアクセサリーを下げている。そして、クロムハーツ風のごついベルトを締め、足元はスニーカー。

「いい感じ」「ゲットする」などの言葉を乱用し、無理やり若い女性にこびるその姿は、その場ではやや行き過ぎた年齢をより際立たせ、彼の着ている服をいとも簡単に着こなす20代男性たちの良い引き立て役になっていた。

 この黒ニットおじさんに対して、若い女の子たちが辛うじて発していた褒め言葉は「オシャレですね」だった。

 当然、黒ニットにシルバーアクセのおじさんをオシャレなどとは誰も思っていない。「オシャレ」と言ってほしいだろうなと思うからだ。女子たちは、トレンドを取り入れている彼らおじさんたちの姿に「褒められたい」というメッセージを敏感にかぎとり、全然いけてないけど頑張ってオシャレしている彼らの本質を察知し、その場を円滑に済ませる妥当な言葉をすぐに探し当てる。

 そもそも、「オシャレですね」は姿形全体から服の頑張りが浮き出ているから発せられるのであって、全体がバランスよく自然にすてきだなと思わせる場合には発さない言葉だと思っておいたほうがいい。

好かれる上司と
嫌われる上司の境目

 逆に、彼女たちが陰でよく使っていた表現は「おっさんのくせに」というものであった。 「おっさんのくせに」は確かに悪口だが、必ずしも年齢や肉体的な老化について言われるものではない。

 当時のXROSSに遊びに来る女子たちは、ほかのクラブにいる煩(うるさ)い若い男子よりも、落ち着いたおじさんの方を好む子が多かった。そんな彼女たちの「おっさんのくせに」は、若い男の子が分不相応な高級車やすし店を利用していたら「ガキのくせに」と嫌みを言われる構造と同じで、一般的なオジサンのイメージと黒ニットオジサンたちとのギャップが良い意外性としては機能していないことを意味していた。

 そして、「おっさんのくせに」と対極にあるのが「おじさんくさい」だ。

 こちらの問題は若作りではなく、諦めや無頓着で投げやりな気持ち、「どうせ若者にはかなわないし」という、すねた態度である。

 自分に似合う服装や好感度の高い服装などへの探究心や意識がなくなり、単純に言えば、おしぼりで顔を拭く、食べた後にすぐつまようじをくわえる、ヒゲ以外の顔の体毛が伸ばし放題、体臭・口臭ケアが不十分など、人から見られる意識がなくなれば、これ「おじさんくさい」に突入である。

 こうした、劣化に開き直った態度が好かれないのは当然だ。だが、一方で「おじさんくさい」を嫌悪し、回避しようとした結果、「おっさんのくせに」のわなに絡め取られている人が多いのだ。

 私がかつて企業で働いていた頃、既婚・独身にかかわらず、部下の女性から頼りにされたり、好かれたりする上司と、別に悪いことをしていないのに全く愛されない上司の境目について何度か考えた。

 もちろん、顔がかっこいい、背が高く清潔感がある、といった要素と無関係ではないが、中には特別秀でた外見でなくとも尊敬され、信頼されるおじさんというのがいて、彼らの特徴は、決して若者と同じところで戦おうとはしていないことだった。

 彼らは確かに老いによって失った体力や肌のツヤはあるだろうが、若者にはない武器もたくさん持っている。お金、落ち着き、肩書、社内での立場、経験、知識などなど。

 そして自分が失いつつあるものにしがみつき、得ているものに無頓着であればあるほど、人の振る舞いや見た目は滑稽になる。

 逆に、自分が勝負すべきところがどこであるかを把握し、武器を使いこなせば、生涯現役なんていう言葉は決して一部の強者に限定されるものではないように思えた。

 世界一色気のある男と言って思いつくジェームズ・ボンドだって、20代の役者には務まらないであろうし、それなりに年を重ねて身についた説得力のある余裕こそが彼の魅力でもある。

 スーツは年収の100分の1くらいの値段が妥当だといわれるが、都内にマンションと車を持つことが20代の男性にしてみればかなり現実味のないものになりつつある2020年現在、普段身に着ける品物にそれなりの代金を支払えるおじさんの財力は武器となる。

 その際に、若者に人気なものを財力にもの言わせて全身そろえるのではなく、どうせだったら若者が知らないものを買ったほうがよほどウケはいい。

 財力にものを言わせるのに抵抗があれば、知的で博識な大人を目指す路線もある。スポーツ新聞や全国紙の三面記事ではなく、せわしない20代や30代ではなかなか読むことのなかった古典や長編小説などを手始めに、できれば少しジャンルを絞って知識を深める。そこにちょっとした大人の作法が加われば、これもまた多忙で欲深い若者としっかり差がつく。

追うべき流行は
何が嫌われているか

 財力や社会的地位の立場のある男が嫌われるのには2つの側面がある。片方が「必要以上に鼻にかけている」であり、もう一方が「誇ればいいのに卑屈になっている」だ。

 会話の中で財力や持ち物を自慢すれば前者となり、せっかくそれなりにある財力も「大したことないくせに」となるのは当たり前だ。

 また、後者も意外と多く、「どうせ俺に寄ってくる女なんて金目当てだろう」とか「俺が社長じゃなかったらモテなかっただろう」と、なぜかせっかくの武器が逆にネックになっている。

「誰も俺の本質を見て愛してくれない」と純愛主義的な意味で絶望する権力者をあまた見てきたが、せっかく後天的に築き上げた自分の武器を悲観していては勿体無いし、そうやってつっかかられると、女としては非常に面倒くさい。

 そして意外にそういう人ほど本格的な金目当ての女に捕まっていたり、恋する相手がキャバ嬢だったりする。

 時代の空気を読む力は年齢とともに衰えるものだが、時の流行というのは2種類ある。1つは、こういう色の服が今年風とか今の女子高生はカラオケで何を歌うとかに代表されるような「今何が好まれているか」という流行。もう1つは、今時亭主関白は嫌だとか不倫報道が多いとかでわかる「今何が嫌われているか」という流行である。

 スマホが使いこなせていないとか、ギャル文字が読めないとか、新しく渋谷にできたビルの名前がわからないとか、そういったことこそが時代についていっていない証し、すなわち「おじさんくささ」だと勘違いする人は多い。

 確かに若者側も、わかりやすく自分が優位に立てる、つまりおじさんをバカにしやすい流行の話などをして、おじさんの無知ぶりで笑いを取るようなことはする。しかし実際に本当の意味で煙たがられるおじさんとは、どんなものが今嫌われているのかを一切理解せずに自分の全盛期の記憶に頼ったままの振る舞いや態度をする人なのだ。

 生きづらい時代になってしまったと悲観するだけではなく、実際に何が嫌がられて炎上したのか、今誰に対して何をするとアウトの警笛がなるのかを観察した方がずっといい。

 そしてそんな時代の空気を読む力は、残念ながら新聞や古典の名著にあたって解決できるものではなく、開いた精神状態でのコミュニケーションからしか生まれない。

「バブルの時代は」「俺たちの頃は」といった自分の生きてきた時代に閉じたような言葉は、嫌われるだけでなく時代の風を感じる機会を自ら逃している。

 下手な若者に対する迎合的な発言やファッションは若者の尊敬を集めない。トレンドを取り入れるのであれば、むしろ、「今何が好まれているか」よりも「今何が嫌われているか」という流行を追うように心がけたほうが双方よほどハッピーである。

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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