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グローバル化とロボット化は「雇用の危機」を深刻化させるか

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写真はイメージです Photo:PIXTA

「グロボティクス」の速度を
政策的に遅らせるべきか

 グローバル化と技術の進歩(自動化)は雇用や経済社会を大きく変えてきたが、これまでは、ある雇用が失われても、新たな生産やサービスを担う仕事が生み出されてきた。

 だが2010年代から始まった「第三の大転換」では、グローバル化や技術進歩の速度が早すぎるために、そうした“好循環”が生まれないという。

 そう主張するのは、貿易論の世界的大家として知られるリチャード・ボールドウィン教授だ。

 教授は主流派経済学者の代表格として、自由貿易や技術革新の重要性を長く主張してきたが、近著『グロボティクス』では、失業による社会の不安定化を避けるため、グローバル化とロボット化(=グロボティクス)の速度を政策的に遅らせる必要があるかもしれないと論じている。

 人口減少で労働力不足が続く日本は例外のようにもみえるが、将来、先進各国では、「グロボティクス」によって雇用が広範囲に代替され、失業問題が深刻化するのだろうか。

「第一の大転換」は「近代」
労働力の機械への代替進む

 歴史を振り返ると、グローバル化と自動化による「第一の大転換」は、農業社会から工業社会に移行し、「近代」を迎えた18世紀後半だった。

 蒸気機関技術による大量生産が始まり、19世紀前半には蒸気船や蒸気機関車による大量輸送でグローバル化が進展した。

 この「第一の大転換」では、自動化とグローバル化の波が、ほぼ同時期に初めて訪れた。

 西欧と米国、そして若干、遅れて日本が加わり、工業生産の集積によって、現在の「G7」各国が世界経済の中心となり、それまでの4000年にわたるアジア優位が覆される。これが、いわゆる「大いなる分岐」だ。

 19世紀初頭には、技術進歩による労働力の機械への代替が進む中で、ラッダイト運動(機械打ち壊し運動)などの反動が起きた。

 そして生産設備を持つ資本家(経営者)と労働者の経済格差がピークに達した20世紀前半には、資本主義経済は共産主義や全体主義の挑戦を受けたが、資本主義は生き延びた。

 少なからぬ仕事が自動化とグローバル化によって代替されたが、社会保障制度の導入や、財政や金融政策によるマクロ経済の安定化策が行われるようになったこともあって、総需要は維持された。

 これらの結果、新たな仕事も生まれ、長期にわたって失業問題が続く事態は避けられた。

「第二の大転換」はサービス経済化
雇用はサービス部門や新興国に

「第二の大転換」は、1970年代に始まるサービス経済化だった。

 数値制御技術による自動化によって先進国の製造業の現場から労働者が徐々に消え、雇用はサービス部門に取って代わられるようになる。さらに1990年代後半以降は、ITデジタル化が加わり、自動化の加速と共に、生産拠点の新興国シフトも始まって、先進国ではサービス化が加速した。

 国境をまたぐ情報移動コストの低下で、先進国企業は自らが持つノウハウと新興国の低賃金の労働を組み合わせることが可能になった。

 その結果、中国などの新興国が工業国として台頭する。これが「大いなる収斂」である。

 「第二の大転換」では、「第一の大転換」よりもさらに小さな時間差で、自動化とグローバル化(オフショアリング)の波が先進国を襲った。

 この「第二の大転換」は、知識経済化とも呼ぶこともできる。

 付加価値の源泉は、有形資産から無形資産に徐々にシフトし、アイデアの出し手が所得の分配を完全に采配するようになった。つまり、アイデアの出し手の都合の良いように、所得の分配が行われている。

 その結果、イノベーションの進展が著しい米国では、平均的な労働者の取り分は低下し、完全雇用の下でも労働分配率の低下傾向はあまり修正されていない。

 だが、労働分配率の趨勢的な低下にも拘わらず、資本の出し手は必ずしも優位になったわけではない。資本財価格は低迷が続き、金利も限りなく低下している。

 つまり、資本分配率は上昇しているが、それは経営のノウハウ含め、アイデアの出し手が付加価値の源泉である無形資産を資本として提供しているからに他ならない。

 お金を持っていても、アイデアを持っていなければ、所得分配をコントロールできない。そのことは、例えば、IPO市場がもはやアントレプレナーの資金調達の場ではなく、彼らのイグジットの場になっていることからも明らかだろう。

「第三の大転換」が始まった
頭脳労働を代替、破壊力大きい

 ボールドウィン教授によると、「第三の大転換」をもたらすのが、2010年代後半に始まったグロボティクス(グローバル化+ロボット化)だという。

 新たな自動化の波は、AIやロボティクスであり、新たなグローバル化の波が新興国からの遠隔移民(テレマイグランツ)である。

 遠隔移民というのは、自動翻訳やテレプレゼンスなどのリモート・インテリジェンスを含むITデジタル技術の著しい発展によって、早晩、新興国のホワイトカラーが、あたかも先進国のオフィスに居るかのように振る舞うようになる、ということだ。

 従来、グローバル化や自動化が代替してきたのは、主に製造業の肉体労働や非製造業のサポートの仕事だったが、「第三の大転換」では、製造業、非製造業を問わず、頭脳労働も代替されるようになる。

 本稿の読者の大半も、そのリスクに直面する。

 ボールドウィン教授は2016年に出版した前著『世界経済 大いなる収斂』でも、グロボティクスの可能性を示唆していた。

 ただ当時は、米大統領選挙の前だったこともあって、経済全体については、楽観的な帰結が論ぜられていた。自由貿易や技術革新の重要性を説く主流派の経済学者としては、当然の主張だといえるだろう。

 しかし、その後の分析で、2016年の米大統領選では、単なる偶然ではなく、「第二の大転換」によって、主に製造業関連の人たちが良好な仕事を失い、それらの人々の不満や不安がトランプ氏への投票につながったことが明らかになった。

 各国でポピュリスト政治が蔓延し、非主流派経済学者のダニ・ロドリック教授が『グローバリゼーション・パラドクス』で予言した通り、民主主義と国家主権とグローバリゼーションの鼎立が容易ではないことが見えてきたのである。

 現在始まりつつある「第三の大転換」は、自動化とグローバル化の波は完全に一体となって訪れ、また経済の大半を占める非製造業を直撃するため、破壊力はさらに大きい。

 こうしたことからボールドウィン教授は、解雇の容易な米国では、政治的不安定性を避けるために、雇用流動化の速度を政策的に遅らせる必要があると主張している。

 日本の政治的安定性が保たれているのは、雇用が非流動的であるためだが、その代償として、イノベーションが不足している。イノベーション不足を問題視する日本の経済界は遂に雇用の流動化を模索し始めたが、その代償が政治的安定性の喪失であることを十分に覚悟しているのだろうか。

技術進歩やグローバル化が早く
雇用の創出が追いつかない?

 ただ、米国の現状は、中間的な賃金を提供する良好な仕事が失われ、所得格差は日増しに大きな問題になってはいるものの、失業率は歴史的な低水準にある。

 また、前述したように「第二の大転換」だけでなく、「第一の大転換」でも、自動化やグローバル化が仕事を代替することはあったが、わずかな時間差で、新たな仕事が生まれている。

 では、なぜ今回の「第三の大転換」は違うのだろうか。

 ボールドウィン教授は、今回は、自動化やグローバル化のペースがあまりに早過ぎて、人間の欲望(総需要)が規定する雇用の創出が追いつかなくなる、という。

 これは、『ザ・セカンド・マシン・エイジ』で、エリック・ブリニョルフソン教授とアンドリュー・マカフィー教授が論じた問題に他ならない。

 18カ月ごとに集積回路の演算能力が倍になるという「ムーアの法則」の継続によって、デジタル技術の加速度的な高性能化とともに自動化による労働の代替が加速的に進むが、人間の欲望がそれに追いつかないため、新たな雇用を生み出すことができない、ということだ。

 確かにこの勢いで、グロボティクス化が進めば、人々の雇用は急激に代替され、所得が増えた人々がいかに貪欲であったとしても、そうした人々が求めるサービスなどの需要に応えるため新たな雇用が生み出されるのは容易ではないようにもみえる。

 ただ、筆者自身は、これまでと同様、人々の欲望に限りはなく、一時的なラグがあったとしても、代替された仕事を穴埋めする新たな仕事が生まれ続けるため、所得格差は拡大するものの、構造的な失業問題は長引かないと考えている。

「欲望」が抑え込まれていた
ゼロ成長時代の社会規範

 このことは、そもそも経済成長がなぜ始まったのか、ということを考え、その歴史を振り返れば、明らかだ。

 以下は、小野塚知二教授とユヴァル・ハラリ教授らの論考を参考にしたものだが、経済成長が始まったのは、前述した通り、「第一の大転換」が始まった18世紀後半だ。

 それ以降を「近代」と呼ぶが、成長の時代の種がまかれたのは、15~18世紀の長い「近世」であり、「近世」以前は、人類は持続的な経済成長を経験したことがない。

 人々が欲望を強めても、農業生産力は全く追いつかず、種苗まで食べてしまうと、翌年の生産量が減り、飢えで人口が調整され、その結果、欲望は強制的に抑え込まれていた。

 数百年に一度、経済成長らしき現象が生じたが、それは革新的な農業技術が生み出されて、生産高が一気に切り上がった時だけだ。

 それも結局は、食料が増えたのに応じて人口も増えたため、1人当たり所得(食料)はほとんど増えなかった。

 むしろ、「近世」以前は、共同体の安定を図るために、人類に経済的進歩は全く起こらないし、起きてはならないという規範が、宗教や道徳を通じて、社会全般に広く埋め込まれていた。

 今日は昨日と同じであり、明日も今日と同じはずである。そして100年後も200年後も同じ。この規範を破ろうとする者は、共同体を破滅に導く悪魔的な人物とされ、仮にそれが王であろうとも、共同体から抹殺された。

 経済的に見るなら、生産力を増やすための資本蓄積は否定され、時折の農業技術の革新がもたらす剰余は、巨大な王の墓や壮麗な宮殿などの歴史的建造物、豪華な工芸品や格調高い音楽、あるいは兵士や神官、僧侶といった非生産階級を養うことに費やされた。

 支配者は資本蓄積によって生産力を増加させたのではなく、自らの権威を示すために剰余を消費したのである。

近世で始まった大転換
ルネッサンスで欲望が解放された

 その後、ゼロ成長の時代からの大転換が始まったのが、近世(15~18世紀)だ。

 この大転換では、宗教などの社会規範によって長く抑え付けられていた人間の欲望が解き放たれ、反対に富の蓄積や拡大再生産を是とする新たな社会規範が生まれ始める。

 まず、ルネッサンスによって、美の追求や知識欲だけでなく、食欲や利殖欲なども人の自然の姿として是認されるようになり、欲望が徐々に解放されていく。

 その流れを加速させたものの1つが、印刷技術の発明であり、それによって人々が情報を入手するようになったことである。

 それ以前の情報源は、すべて手写しによるラテン語の書物であり、情報を入手できるのは、ラテン語を読める一部の支配階級だけだった。

 印刷技術の発明で、母国語による情報伝達が可能になると、既存の経済体制、社会体制は動揺し始める。これが「中世」の終焉である。

 印刷技術の発展で、自国語に聖書が翻訳されると、その解釈や意見の表明も可能となり、さらに所得を稼ぐことが神の意志に沿うという新教(プロテスタント)も誕生した。

 近代に移行するために、4世紀も長い時間を要したのは、ゼロ成長の時代が2万年にもわたって続いたためだ。

 いや人間の祖先がアフリカから移動を始めた時期から数えると、200万年もの永い間、ゼロ成長の時代が続いていた。

 それを考えると、人間は「わずか」4世紀という「短い期間」で、経済成長の時代に移行したと考えるべきかもしれない。

ITデジタル革命で
最後のくびきから解き放たれた

 筆者自身は、1990年代後半のITデジタル革命によって、世界中の人々がリアル・タイムで莫大な情報を入手できるようになったことで、我々の欲望は、最後のくびきからが解き放たれたのではないかと考えている。

 デジタル革命は、中世の終焉をもたらしたルネッサンスよりも大きなインパクトを人類社会に与えるのではないだろうか。いま世界を見渡してもそのことを強く感じる。

 日本にお金を稼ぐことに恥じらいを感じる人がいまも少なからずいるのは、近世以前のゼロ成長時代の思想の残滓だが、米国ではすでにその感覚は失われ、日本を含め多くの先進国でも近年、失われつつある。

 いまやあらゆる国が、資本主義経済のもとで、欲望を抑え込んでいたイデオロギーや宗教は取り払われつつある。

 中国との競争も、あくまで権威型の資本主義との闘争なのであって、資本主義そのものの生き残りをかけた闘争とはもはやいえない。

 中東でも、反米勢力は米国型の拝金主義的な資本主義を否定してはいるが、彼らが採用しているのは、現実にはイスラム型の権威主義的な資本主義体制である。言うまでもなく、中東の親米勢力はウォール街の大スポンサーである。

 現代の競争というのは、どこの国が最も進化した資本主義体制を作り上げるかであり、人間の欲望が資本主義経済の「動力」になっている以上、欲望が新たな需要となり、雇用を創出するというメカニズムはこれまでと変わらないはずだ。

問題は欲望をどう抑えるか
資源や気候変動などの制約

 むしろ、問題は資本主義がどのような“進化”を遂げるかであり、その点で筆者が懸念するのは、ボールドウィン教授と異なり、人間の欲望の不足ではなく、それを抑えることができるかという点だ。

 長い人類の歴史を振り返ると、欲望を抑えることができず、エネルギーを過剰に費消した国は滅びてきた。

 18世紀まで木材は基幹エネルギーであると同時に、基幹資源でもあった。古代文明が滅びたのは、天変地異ではなく、森林資源の過剰な伐採によって、エネルギー源と主要資材を失ったためだ。

 小野塚知二教授によると、18世紀以降も森林資源を主力に使い続けていれば、西欧文明はエネルギー源と主要資材を失い限界に達していた。

「第一の大転換」は単に化石燃料による動力革命だけではなく、同時に原料革命であり、人類は木材に代わるプラスチックなどの資材を確保したことだ。

 そして、現在は、化石燃料を燃やし続けることやプラスチック生産をし続けることが、地球規模で成長の限界をもたらすことが明らかになってきた。

 長い人類の歴史が示すのは、問題の本質が人類の欲望が足りないことではなく、既存の技術に見合った持続可能なレベルまで人類の欲望を抑えることができるかどうかということである。

 資本主義以外に選択肢がないのは明らかだが、従来のままの財やサービスの生産、あるいは従来のままのエネルギーの消費を通じたものなら、人類の繁栄は続かないということである。

 神なき社会で、我々は欲望を抑えるための新たなレジームを作り出すことができるだろうか。

(BNPパリバ証券経済調査本部長 河野龍太郎)

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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