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京アニ事件、被害者の「身元」公表で警察とメディアに求められる姿勢

2019年08月24日 06時00分更新

文● 戸田一法(ダイヤモンド・オンライン

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「京都アニメーション」第1スタジオ近くに設けられた献花台で手を合わせる女性(8月18日、京都市伏見区)
「京都アニメーション」第1スタジオ近くに設けられた献花台で手を合わせる女性(8月18日、京都市伏見区) Photo:jiji

京都市のアニメ制作会社「京都アニメーション」第1スタジオ(京都府宇治市)の放火殺人事件を巡り、京都府内の報道機関で組織する「在洛新聞放送編集責任者会議」が府警に対し、公表されていない25人について身元を明らかにするよう申し入れた。事件では35人が犠牲となったが、府警が公表した身元は10人だけ。新聞やテレビが加盟する記者クラブ側は事件発生直後から身元の公表を求めているが、インターネット上では「悲しみに暮れる遺族や関係者を放っておいて」「実名公表は求めていない」などの批判が相次ぎ、府警も慎重な姿勢を貫いている。犯罪史上、まれに見る凄惨(せいさん)かつ残虐な事件。当局側の発表のあり方、メディア側の報道はどうあるべきなのか。(事件ジャーナリスト 戸田一法)

警察庁とメディアに板挟みの京都府警

 この問題を巡り前提として申し上げておきたいのは、筆者は全国紙の記者時代に犠牲者、被害者の実名報道と遺族取材の意味を疑問に思いながらも、実際に経験してきたということだ。

 そして何が正解なのか、解答を出せないまま「サラリーマン記者」を卒業してしまったことだ。

 本文を読まず、タイトルと冒頭のリードだけを読んで「マスゴミが!」「いらねぇんだよ」などとヒステリックにならず、考察にお付き合いいただければ幸いである。

 在洛新聞放送編集責任者会議(以下、会議)の申し入れ書は20日、京都府警の植田秀人本部長宛てに提出された。

 会議は京都府内に本社・支局を持つ新聞・通信・放送の12社で構成するメディア業界の親睦団体で、地元の編集・報道局長や支局長らで組織する。うがった見方をすれば、“業界の談合組織”のようなものだろうか。

 申し入れは、事件発生から1ヵ月が経過したことを受け「事件の全体像が正確に社会に伝わらない懸念を抱く」「過去の事件に比べても極めて異例」として速やかな実名公表を求めた。加えて、今回を先例としないよう要請した。

 会議側はまた、遺族取材は「心情に配慮し、節度ある取材の在り方を考えながら報道に当たっている」と主張している。

 筆者の全国紙時代の後輩である社会部デスクによると、事件から半月がたった2日、西山亮二捜査1課長は身元を公表する際に「実名の公表について了承していただいた方、葬儀を終えられた方を明らかにすることになった」と説明したという。

 2005年に施行された犯罪被害者基本法の犯罪被害者等基本計画では、犠牲者や被害者の実名・匿名は警察が判断する。匿名は性犯罪などに限定され、京アニの事件は身元が発表されるケースだ。

 しかし事件発生から4日後、京アニ側が「実名が発表されると被害者や遺族のプライバシーが侵害され、遺族が甚大な被害を受ける」などと訴え、発表を控えるよう府警に要請していた。

 府警は遺族対応のため約100人の特別支援チームを組み、今回の問題についても丁寧に説明して同意を求めた。一方、内部では「葬儀が終わるまではそうっとしてあげてほしい」との声もあったという。

匿名でも伝わる事件の概要

 今回、府警は記者クラブ側に身元を公表するとともに、それぞれの遺族に取材が可能かどうか、その際は誰が窓口になるかなどの条件も提示。遺族側に配慮した上で調整したとの見方もできるが、取材に“事実上の制約”を設定した。

 西山課長はこれまで、遺族に「身元を匿名にするとさまざまな憶測が飛び、誤った事実が流れる」「犠牲者や遺族の方々の名誉が傷つけられることもある」と説明してきたという。

 こうした背景には、警察庁の意向が働いたとされる。実名の公表を望んでいないのに「警察発表」で不快な思いをした遺族がいれば、批判は警察に向く。だから「了承」した遺族だけに限定したということらしい。

 実はこれまでにも、犠牲者が匿名だったケースはある。

 2016年7月に神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「県立津久井やまゆり園」で元施設職員の植松聖被告(29、犯行当時26)が侵入し、入所者19人を刺殺、26人に重軽傷を負わせた事件だ。

 この事件では犠牲者について、性別と19~70歳の入所者だったということ以外、ほとんど明らかにされていない。

 神奈川県警は匿名にした理由について「知的障害者の支援施設であり、遺族のプライバシー保護等の必要性が高い。遺族からも特段の配慮をしてほしいとの強い要望があった」としていた。いまだに犠牲者の身元は報道されていない。

 それでは、会議が主張する「事件の全体像が正確に社会に伝わらない懸念」は果たして、本当に存在するのだろうか。

 筆者が見る限り、相模原障害者施設殺傷事件や京アニ事件のいずれも、犠牲者全員の身元が報じられなくても、事件の凄惨さ・悲惨さは伝わっている。

 遺族や友人でも取材に応じる関係者もおり、事件に対する怒りや悲しみも報道されている。現場に慰霊に訪れるファンの表情もテレビや新聞、ネットを通じて広く知られている。

 事件が青葉真司容疑者(41)の「理不尽かつ一方的な思い込みによる逆恨み」が動機の可能性であることも、読者・視聴者はなんとなく感じてはいるはずだ。

 結論から言えば、会議の懸念は、まことに杞憂(きゆう)に過ぎないと言って差し支えない気がするのだ。

 一方で、筆者は青葉容疑者が起訴され、判決が確定するまで犠牲者がAさん、Bさん、Cさんと表記し続けるのには抵抗がある。

 それぞれに氏名があり、事件で犠牲となるまでの歳月に人生があった。その方々を人格のない記号で羅列するのはあまりに失礼と感じるのだ。

 公判(刑事裁判)は公開で行われるのが原則だ。もちろん、犠牲者の氏名も公表される。事件発生直後に身元の公表を遺族が希望しないのならば、初公判まで控えるという選択肢があってもいいのではないかと思う。

遺族へのアプローチに細心の注意

 身元の公表とは別に、こうした事件ではメディアスクラムもよく批判される。ネットでは「そうっとしておいてやれよ」「そんなに特ダネが必要か。部数、視聴率が欲しいのか」などという投稿も目にする。

 こうした投稿では「マスゴミ」と新聞もテレビもすべてひっくるめて扱われるが、両者は少し事情が違う。

 新聞は強引な取材をすればネットにさらされたり、会社に電トツなどの嫌がらせを受ける。不利益はあっても利益はないから、無理な取材はしない。

 一方のテレビは、お偉いさんが局内で全局の報道をチェックしている。他局が報じ、自局に映像がなければ現場に「どうなっている?」とげきが飛ぶ。

 現場クルーが社員であればそうでもないが、場合によっては下請けのプロダクションだったりすることもある。そうなると、プロダクションは切られないようにするため、多少強引な取材をすることがある。

 ネットでテレビに対する批判を投稿する方は、そうした光景を目にしたからだろう。

 一方「部数、視聴率」についてだが、これはかなり的外れな勘違いと言ってよい。

 特ダネを連発するという理由が、その新聞を購読する動機になるだろうか。そのニュース番組にチャンネルを合わせるだろうか。

 そう、いずれも少し考えれば分かることだ。特ダネは部数増や視聴率アップにつながらないのだ。

 また新聞やテレビの記者は警察が犠牲者の身元を公表すると、遺族を追い掛け回し、無理やり口を開かせるようなイメージを持たれているようだ。

 筆者も学生のころ、そういうイメージを持っていた。そして「記者になっても、そんな取材はしない」と心に決めていた。

 もっとも、当たり前だが普通の青年が「報道」の腕章を着けた瞬間、血も涙もない鬼に変身するなんてことはもちろんない。

 遺族へのアプローチは細心の注意を払う。呼び鈴を鳴らしたりはせず、メモ帳をちぎって「亡くなられた方の生きた証として、世に伝えたいことがあればご連絡ください」などと記し、名刺を挟んでポストに入れるなど、それぞれ遺族の心情に配慮した工夫をしている。

 そして、意外かもしれないが「話を聞いてほしい」と望む遺族は割といるのだ。

ネットでの情報提供呼び掛け

 ある数十年前の災害で犠牲となられた方の遺族から、1年近くたとうとしているタイミングで会社に電話があった。携帯電話が普及する前の出来事だ。名刺をポストに入れていたが、筆者はそれすら忘れていた。

「あの時は『取材なんてまっぴらごめん』と思ったけど、1年近くたって話題にも上らなくなり、災害そのものが忘れ去られた感じがする。このまま何事もなかったかのように、誰にも思い出してもらえないなんて、あまりに不憫(ふびん)で寂しすぎる」

 その女性は今まで連絡しなかったことをわび、亡くなった方を記事にしてほしいと依頼してきた。災害の取材チームは解体し、筆者も全く違う分野の担当だったが「あの災害から1年」のタイミングで記事にさせていただいた。こういうケースは少なくない。

 共同通信大阪社会部は2日、ツイッターで「京都アニメーションの事件でお亡くなりになった方のご家族や親友の皆様へ」と情報提供を呼び掛けた。

 ツイッターには関係者ではなく、無関係者による「ハイエナ」「人間の屑(くず)」など罵詈雑言(ばりぞうごん)が殺到しているが、ポケベルと公衆電話用の10円玉が必須アイテムだった筆者は「現代はこんな取材が可能なのだな」と感心した。

「無理のない範囲で」「今でなくてもいつでも構いません」…。

 遺族や友人がある程度落ち着き、悲しみをほかの方々と共有したい、犠牲者の生きた証しを残したい、犠牲者のことを知ってほしいと思ったとき、このツイッターの呼び掛けはその方々のよすがになるに違いない。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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