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ジャニー喜多川さんがいまも放つ、新大久保の「文化の風」

2019年08月09日 06時00分更新

文● 福島宏之(ダイヤモンド・オンライン

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ジャニー喜多川さんの訃報から1ヵ月がたちました。
ジャニー喜多川さんの訃報から1ヵ月が経った Photo:AFP=JIJI

ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長が解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血で逝去してちょうど1ヵ月。この30日あまりの間に、吉本興業の闇営業問題など、ニュースやワイドショーは多くの「涙」を報道した。しかし、本来、芸能・エンターテインメントの世界は人々の「笑顔」を作り、社会を明るくするものだ。2019年・盛夏――ジャニー喜多川さんの功績を振り返り、エンターテインメントが発する「光」について考える(タレント名は敬称略)。(ダイバーシティ&インクルージョンマガジン「オリイジン」編集長、元「テレビ・ステーション」編集長 福島宏之)

演劇の舞台での活動も際立つ
ジャニーズ事務所のタレントたち

 ジャニー喜多川さんの訃報から1ヵ月――。

 梅雨が明けて、季節は当たり前のように夏空を広げたが、この1ヵ月の間に、芸能・エンターテインメント界を揺るがす騒動や事件が起こり、令和の始めに黒い影を落とした。

 エンターテインメント作品が世の中をにぎわせ、「影」と対極の「光」をショービジネスの成功とするなら、“キング・オブ・エンターテインメント”ジャニー喜多川さんの功績を考えずにはいられない。

 ジャニーズ事務所のタレントは音楽でのアーティスト活動、テレビドラマや映画での俳優活動、バラエティ番組への出演と、芸能界での躍進が多岐にわたるが、ステージ上(演劇界)の活動も際立っていることを特筆したい。

 堂本光一の「Endless SHOCK」(日生劇場ほか)、滝沢秀明の「滝沢歌舞伎」(新橋演舞場ほか)、少しさかのぼれば、少年隊の「PLAYZONE(プレゾン)」(青山劇場ほか)といった映像をワイドショーで垣間見た人も多いだろう。

 こうしたステージを創出していたのがジャニー喜多川さんであり(作品によって、総合演出・演出・作・構成…など、さまざま)、2002年には、「永年のショービジネスに対する多大な情熱と功績」で、菊田一夫演劇賞・特別賞も受賞している。

 ミュージカル映画「ウエスト・サイド物語」(1961年公開)を見た感動が事務所設立の原動力になったことは有名な話で、タレント育成とステージ創りへの熱量は常人には計り知れないものだった。

 例えば、「PLAYZONE(プレゾン)」のショータイムにおける少年隊のきらびやかなパフォーマンス、「Endless SHOCK」における堂本光一の体を張ったアクション…常に舞台表現の先端を行くステージは、観客の心を一度つかんだら離すことなく、それが長年にわたるリピーターを生み、無数のファンを魅了していった。

新大久保の東京グローブ座は、
どのような劇場なのか?

 ジャニーズ事務所のタレントの演劇活動で、東京グローブ座(東京都新宿区百人町)もなくてはならない存在だ。

 同劇場は、大久保通りの喧騒(けんそう)を抜けた住宅地の一角にある。バブル景気さなかの1988年4月にパナソニック・グローブ座(主にシェイクスピア作品の上演劇場)として開館し、2002年にジャニーズ事務所のグループ会社による運営となった(パナソニック・グローブ座と東京グローブ座は、2002年までは名称が併用されていたが、本稿では2002年までをパナソニック・グローブ座、以降を東京グローブ座に使い分けて記述する)。

JR山手線・新大久保駅を最寄り駅とする東京グローブ座は、駅前の喧騒を抜けた住宅地の一角にある
JR山手線・新大久保駅を最寄り駅とする東京グローブ座は、駅前の喧騒を抜けた住宅地の一角にある Photo by Hiroyuki Fukushima

 客席数700あまりの劇場なので、大がかりな舞台装飾やセット転換は不向きだろう。観客がステージから近い距離で芝居に向き合うことで、役者たちの実力が問われ、東京グローブ座で主役(座長)を務めることはタレント自身のステータスにつながるはずだ。

 そもそも、ステージ上の公演スタイルで行われる演劇は、本番でのNGが通用せず、時にはアドリブも要求され、一般的に稽古時間も長い。役者の胆力はいやが応でも鍛えられ、劇団出身者がテレビや映画界で重宝されるのは理の当然だ。

 だから、タレントを舞台役者として成功させ、さらなる成長をもたらす東京グローブ座は、いまもこれからも、ジャニー喜多川さんの“フィールド・オブ・ドリームス(夢の集積地)”なのだと思う。

バブル景気に出現した
“シェイクスピア劇場”はその後…

 私事を加えながら、東京グローブ座の歴史を少しだけ顧みたい。

 百人町で生まれ育った筆者にとって、1988年のパナソニック・グローブ座の誕生はセンセーショナルだった。

 企業メセナの一環として造られた空間であり、“文化の風”を近隣住民の1人として誇らしく感じながらも、「なぜ、シェイクスピア?」という違和感もあった。

 80年代後半から90年代は、韓流ブームが押し寄せる前で、新大久保界隈(百人町)に観光客の姿はなく、駅前商店街はのどかな雰囲気だった。そして、立ちんぼと呼ばれる外国人が路上で客引きする“夜の顔”を持つ街だった。

かつては音楽の街としても知られていた新大久保だが、いまや、韓国はじめ、さまざまな国の料理・文化も楽しめる街になっている
かつては音楽の街としても知られていた新大久保だが、いまや、韓国はじめ、さまざまな国の料理・文化も楽しめる街になっている Photo by H.F.

 そんな土地に現れた円形劇場――。

 当時、筆者は駅近くのファーストフード店でマネジャー仕事(店舗管理)に就いていたが、公演日は街のカラーに不釣り合いな客がカウンターで列を作った。その時間を「グローブ座ピーク」と呼び、接客サービスと調理オペレーションが慌ただしかったことを思い出す。

 しかし、ほどなくしてバブルがはじけ、パナソニック・グローブ座の放つ“文化の風”はやみかけた。

 主を失くしたバブル期の建物が老朽化し、市区町村を廃らせていくニュースをよく目にするが、図らずも、新大久保の街はそうならなかった。

 建物に新たな空気を吹き込む救世主が現れたからだ。それが、ジャニー喜多川さん率いるジャニーズ事務所とそのタレントたちだった。

街の深化を見据えていたような
ジャニー喜多川さんの先見性

 パナソニック・グローブ座の休館(運営母体の交替)が2002年、テレビドラマ「冬のソナタ」放送(2003年4月~)による韓流ブームの到来が2003年。

 かねて新大久保は外国人居住者が多かったものの、“ヨン様”効果で観光の街と化し、現在では、国籍・性別・年齢を問わず人々が仕事を営み、通りを行き交う “ダイバーシティ・タウン”になった。

 前稿「ジャニー喜多川さんの優れた『人材育成力』、V6を例に読み解く」で、ジャニーズ事務所のグループは、「さまざまな個性がそれぞれの能力の最高値を見せながら総体で輝く美しさを持つ」と書いた。それが、個人と集合体の理想形であり、ジャニー喜多川さんが多様性を重んじていたことは想像に難くない。

 ダイバーシティ&インクルージョンをかたどる土地でのエンターテインメントの発信――まるで、街の深化を見据えていたようなジャニー喜多川さんの先見性と引力(物事を引き寄せる力)には驚くばかりだ。

東京グローブ座が発していく
ジャニー喜多川さんの「光」

 2019年8月、そんな東京グローブ座のステージに立っているのが、V6・トニセン(20th Century/坂本昌行・長野博・井ノ原快彦)の3人だ。

 彼らによる「TTT (TWENTIETH TRIANGLE TOUR) 」の第2弾「カノトイハナサガモノラ」は、コンサートでもトークショーでもない、ストレートプレイでもミュージカルでもない、唯一無二のエンターテインメント作品になっている。

 ネタバレになるので詳しくは書けないが、劇中、3人がV6の楽曲を口ずさむシーンは切なく美しく、東京グローブ座ならではの役者と観客の呼吸の近さを感じる。

 そして、ネット社会が生む同調圧力とは真逆の“他者に対する尊重と寛容”が作品全体に通奏し、鑑賞後の心地よい充足感を連れてくる。

 トニセンの3人は、2002年の東京グローブ座の開館直後に主演舞台をそれぞれ行っており、ジャニー喜多川さん逝去後の最初の公演が彼らのステージという巡り合わせも感慨深い。

 また、これも前稿で記したとおり、トニセンとカミセン(Coming Century/森田剛・三宅健・岡田准一)で構成されるV6は、個性と総体のバランスが卓越したグループで、ダイバーシティ&インクルージョンの時代にシンクロしていることも記憶にとどめたい。

 優れたエンターテインメント作品は人々の心を明るくし、ショービジネスの成功は社会を豊かにする。

 Show must go on!

“ダイバーシティ・タウン”にある東京グローブ座は、“キング・オブ・エンターテインメント”ジャニー喜多川さんの光を令和の時代も間断なく発していくだろう。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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