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日本全国でじわじわブーム!素朴な疑問を語りあう「哲学カフェ」

2019年07月05日 06時00分更新

文● 土屋陽介(ダイヤモンド・オンライン

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写真はイメージです Photo:PIXTA

昨今「哲学」への注目度が高まっています。2018年に大ベストセラーとなった『漫画 君たちはどう生きるか』(漫画・羽賀翔一/原作・吉野源三郎/マガジンハウス)は、優れた哲学書としても注目されました。また、いま日本を含めた世界各国で広がっているのが、日々の素朴な疑問について、みんなで語りあう「哲学対話」の活動です。そこで今回は、『僕らの世界を作りかえる 哲学の授業』(青春出版社)から、「大人たちが日々の生活や仕事を忘れて思考するひとときを楽しめる場」として、全国各地に広がる「哲学カフェ」について掘り下げていきます。

「哲学カフェ」のはじまりは、パリの街角からだった

「哲学」といえば「難解」というイメージが一般的かもしれませんが、本来「哲学する」ことは純粋に楽しいことです。そして単純に楽しいから「趣味」「遊び」で哲学対話をする、という人たちが年齢問わず現れます。そういう人たちが集まって自主的に哲学対話をおこなう場を、「哲学カフェ」といいます。ときどき誤解されることがありますが、「哲学カフェ」という特殊なお店がどこかにあるわけではありません。人々が自分たちの意志で集まって哲学対話をおこなえば、どこであれ、そこが哲学カフェになるのです。

 哲学カフェという「遊び」は、いまから四半世紀ほど前、パリの街角のカフェで生まれました。哲学者のマルク・ソーテが始めたとされますが、哲学カフェは誕生の瞬間から、偶然の要素を多分に含んでいました。

 1992年初夏、ある日曜日の午前中に、ソーテと彼の仲間たちがバスティーユ広場に面したカフェに集まりました。店の名前は「カフェ・デ・ファール」。やや時代遅れなつくりながらも、ごくありふれたパリのカフェでした。ソーテは当時、グランゼコールの一つであるパリ政治学院で哲学の教授を務めていて、この日は仲間うちで日曜日恒例の研究報告の会をおこなっていました。するとそこに、前日ソーテが出演したラジオ番組のリスナーの何人かが、「今日カフェ・デ・ファールで哲学の討論会があるようだ」と誤解してソーテたちのもとに押しかけてきました。集ったのは総勢10名ほど。ソーテはせっかく来てくれたのだからと、その場で即興の進行役を務め、「死」というテーマで哲学の討論をおこないました。

 するとこれが好評で、これ以降、毎週日曜日の午前中になると、哲学好きの人々が自然にカフェ・デ・ファールにやってきて、ソーテたちと哲学討論をおこなうようになりました。そうこうしている間に、たまたまお店に居合わせたお客さんたちも哲学討論に加わるようになりました。学生や会社員、若いカップル、弁護士、老紳士、組合活動家の女性、黒人のレゲエ風ミュージシャンといったような、職業も年齢も性別も社会的立場もバラバラな多様な市民たちが、一つの哲学的な問いをめぐって意見を交わしました。最終的には、150人以上の人々が集まる日もあり、カフェからは人があふれ出るようになりました。これが哲学カフェのはじまりとされています。

 ソーテ自身は、98年に52歳の若さで急逝してしまうのですが、その後もカフェ・デ・ファールでは、定期的に哲学カフェが開催されていて、いまではこのお店は「哲学カフェ発祥の地」として有名になりました。また、この活動はフランス各地のカフェにも飛び火して、フランス全土でちょっとした社会現象に。間もなく、その流れは国境を超えて、世界中へと広がりました。

 このようにして、街角のカフェで哲学的な問いについて対話するという、いかにも「フランスっぽい!」哲学カフェの文化は、いまや世界各地で受け入れられるようになったのです。

日本でも「哲学カフェ」が根づいていく

 日本でも哲学カフェがおこなわれるようになったのは、2000年前後の頃です。関東では「関東実験哲学カフェ」という、文字どおり「実験的」な哲学カフェが立ち上げられ、関西では哲学者の鷲田清一らが大阪大学内に設立した「臨床哲学研究室」が中心となって、カフェをはじめとした街角の公共スペースで哲学する活動が始められました。

 こうした取り組みがある程度、軌道に乗り、活動や実践者が多様化した2005年には、哲学カフェをはじめとする街角の哲学の実践やサポートをおこなう「カフェフィロ」という団体が立ち上げられました。

 このカフェフィロが、哲学カフェやその他のさまざまな街角の哲学の窓口となったことで、たとえば、全国各地の哲学カフェ開催情報を共有したり、哲学カフェに参加したい人同士や哲学カフェを運営してみたい人同士がゆるやかにながったりできるようになりましたこうしたカフェフィロの精力的な活動のおかげで、哲学カフェは日本社会に着実に根づいていきました。

 現在、哲学カフェは、学校での哲学対話教育と同じく、全国各地に急速に広がっています。試みに、全国の哲学カフェ情報をまとめたウェブサイト「哲学カフェ・哲学対話ガイド」にアクセスしてみると、(2019年5月現在)約140の哲学カフェが紹介されています。

 私が初めて哲学カフェという言葉を耳にして、物は試しと参加してみたのは2008年頃のことですが、そのときにはまさか哲学カフェが国内でこれほどまで知名度を上げて一般的なものになるとはまったく予想しませんでした。そのとき足を運んだのは、カフェフィロのメンバーが主催する、現在も東京・神保町の喫茶店で毎月おこなわれている老舗の「哲学カフェ@Cafe Klein Blue」でしたが、参加者は主催者を含めても総勢4~5名くらいしかおらず、コーヒーミルのけたたましい作動音にしばしば会話を中断させられながら、喫茶店の片隅で肩身狭く哲学対話をしたことをよく覚えています。

 日本の哲学カフェの黎明期ともいえるその時代を知る一人としては、現在の国内の哲学カフェを取り巻く状況は、まさに隔世の感です。

あらゆる人が「哲学」に触れやすくなるように

 話をパリに戻します。カフェ・デ・ファールでの哲学討論会に集った市民たちは、年齢や性別だけでなく、職業や社会的立場も極めて多様でした。そうした市民たちを前にして、ソーテは、哲学を一部の知的エリートのものだけにするのではなく、あらゆる人に対等にひらかれたものにしようと考えました。

 その結果ソーテは、フランスの哲学アカデミズムからは大いに敵視されてたくさんの苦労をするのですが、それはさておき、ソーテはこのような考えを背景にして、自分の哲学カフェでは哲学に関する教養の有無を不問に付して、どんな人でも参加できる仕方で哲学カフェを運営しました。

 現在でも、とくに日本の哲学カフェでは、「哲学の専門知識はいりません」という看板が掲げられることが多いですが、ここには、「哲学を一部の専門家や知的エリートといった特別な人の手から、あらゆる一般の市民に取り戻す」というソーテの思想が受け継がれているように感じられます。

初対面でも、自己紹介せず「対話」が始まる

 哲学カフェは日本各地に大きく広がっていると述べましたが、それぞれの哲学カフェごとにさまざまな個性があって、本当に多種多様です。運営者の考えや「哲学」に対する捉え方によって、カフェの個性が作られていきます。また同時に、集まる参加者によってそのカフェの「色」が作り出されるという側面もあります。「カフェ」と銘打っていますが、実際には、公民館や大学の教室、レンタルスペースなど、喫茶店以外で開催されることも多いです(その場合でもたいていは、飲み物を片手に対話できるような配慮がなされていますが)。

 比較的多くの哲学カフェに共通するのは、次の3つです(ちなみに、カフェ・デ・ファールでおこなわれたソーテの哲学カフェでもそうだったようです)が、これも絶対ではありません。

(1)参加費や会費を取らない(飲み物代や会場費などの実費は除きます)
(2)参加者同士の自己紹介はしないまま始める
(3)途中での入退室は自由である

 自己紹介をしないまま始める哲学カフェが多いのは、自己紹介をするとお互いに相手の立場や社会的な属性がわかるので、自由な発言がしづらくなるからです。たとえば、目の前に座っている人が経済学の大学教授であると知ったら、その人に向かって経済についての意見を自由に言うのは、やはりはばかられてしまうでしょう。

 哲学カフェの運営者や扱うトピックも多種多様です。興味のある方は、「カフェフィロ」や「哲学カフェ・哲学対話ガイド」のウェブサイトにぜひアクセスして、気になる哲学カフェを見つけて足を運んでみてください!


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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