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財政赤字容認の「現代貨幣理論」は、先進国を長期停滞から救う処方箋か

文● 河野龍太郎(ダイヤモンド・オンライン

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財政赤字容認の「現代貨幣理論」は長期停滞に有効な処方箋か?
Photo:PIXTA

 欧州系金融機関に勤務しているせいか、筆者の周辺では、「ジャパニフィケーション」論争が真っ盛りだ。

「景気拡大局面でも政策金利を引き上げることが難しく、中央銀行が政策手段を持たないまま、次回の不況期を迎えること」と定義するなら、欧州はすでに「ジャパニフィケーション」に陥っているともいえる。

 この議論は先進国経済の「長期停滞」論とも共通する。

 米国などではその処方箋として、財政赤字拡大を容認する「現代貨幣理論」が注目されているが、その有効性はどうなのか。

「ジャパニフィケーション」の起点
不良債権処理先送りと需要かさ上げ

 そのことを考えるにあたり、まずは、日本の過去30年の経験からどのような示唆が得られるだろうか。

 2000年代後半まで、日本の低成長は、90年代初頭の不動産バブル崩壊後に顕在化した不良債権問題が主因だと考えられていた。

 バブル崩壊後、政府は、主に公共投資と金融緩和によって経済を支え、不良債権そのものについては追い貸しで延命する先送り政策(forbearance policy)を続けた。

 総需要のかさ上げで、80年代のような4%程度の成長が続けば、全ての問題が片付くともくろんだのである。

 しかし、これらの政策の結果、衰退分野に経済資源が滞留することになり、一方で、成長分野には回らなかったことで潜在成長率や自然利子率が低下した。

 また、90年代前半にクリントン政権下で、日米通商交渉を巡って大幅な円高になり、その対応に日本政府が追われたことも、先送り政策につながったのかもしれない。

 同じようなことは、85年の「プラザ合意」の際も起きた。

 大幅な円高のショックを緩和するために財政出動や金融緩和を長く続けたことが、バブルを生んだ一因だが、バブル局面では、大幅な円安が進んだ。

 多くの場合、バブルの醸成局面では、海外から資金が流入し通貨高が生じるが、日本では株価高騰で含み益を抱えた企業部門が海外投資を積極化し、資本流出で円安が生じた。

 反対にバブルが崩壊すると、国内の損失の穴埋めのため、大規模な資金回帰が生じ、大幅な円高が進んだ。

 各国の経験では、バブルが崩壊すれば通貨安になり、ダメージが和らげられるのだが、日本の場合は、バブル崩壊と円高のダブルパンチを食らったことも、経済が深刻な落ち込みに至った理由の1つだ。

 そしてこのダブルパンチのもと、95年には事実上のゼロ金利政策がすでに始まっていた。

潜在成長力低下のもとで
金融緩和を続けた「失敗」

 90年代半ばの円高が一服すると、不良債権問題が手付かずだったにもかかわらず、橋本政権は1997年に財政健全化に着手した。それが、総需要を急激に悪化させ、97年秋から98年にかけて大手金融機関の連鎖破綻をもたらす。

 その後、2000年前後のドットコム・バブルの際には、一時的な景気回復が見られたが、ITバブル崩壊でグローバル経済が減速すると、金融システムが激しく動揺し、総需要は落ち込んだ。

 小泉政権の下で、厳しい資産査定を行い、自己資本の不足する金融機関には資本注入が行われ、2003年に不良債権問題が終結する。その後、グローバル経済の拡大を背景に、2008年初めまで長期の景気回復が続いた。

 ただ、2000年代も潜在成長率そのものは、回復には至らなかった。絶好調と思われた2000年代半ばも、米国がサブプライム・バブルに沸き、超円安もあって輸出が持続不可能なほど大幅に増えていただけだった。

 つまり、日本でこの約30年、一時的に好景気になることはあっても、低成長で「長期停滞」が続いてきたのは、潜在成長率や自然利子率の低下があったからだ。

 筆者の仮説は、90年代初頭にバブルが崩壊したから、潜在成長率や自然利子率が低下しただけではなく、80年代後半から潜在成長率や自然利子率の低下が始まっていたから、バブルが発生したという逆の因果関係も強く働いていた、というものである。

 それは、早い段階から収益性の高い投資機会が枯渇し、潜在成長率や自然利子率が低下する中で、金融緩和を継続したから、行き場を失った大量の資金が資産市場に流れ込み、大規模な不動産バブルが生じた、ということだ。

 それ故、不良債権問題が解決しても、潜在成長率は高い水準に戻らなかったのである。

 数字の上では、80年代後半に全要素生産性(TFP)の上昇が観測されるが、それは紛れもなくバブルによるかさ上げだろう。

多くの先進国で
自然利子率マイナスの可能性

 潜在成長率や自然利子率が低下する中で、金融緩和が続けられたために、バブルを生み、それがまた潜在成長率を低下させたのは、中国などでも同じだ。

 日本では、70年代初頭に高度成長が終焉した直後も、大きな不動産バブルが生じている。

 近年、不動産バブルや過剰設備、過剰債務などの問題が中国で頻発しているのは、日本が70年代初頭に直面した供給ショックと、90年代初頭に直面した供給ショックが同時に訪れているからではないだろうか。

 潜在成長率、自然利子率が大幅に低下する中で、金融緩和が続けられるために、行き場のなくなった資金が過剰問題を引き起こしているのだ。

 ここで、理論的な関係を整理しておこう。

 貯蓄と投資を均衡させる自然利子率が大きく低下すると、金融政策の有効性が損なわれ、完全雇用に到達するのが難しくなる。

 それでも完全雇用に到達するとすれば、それは以下のケースだろう。

 (1)低金利政策の継続によるバブルなど金融不均衡の醸成
 (2)低金利利政策の継続による通貨安を背景とした大規模な経常黒字
 (3)大規模な財政出動(基礎的財政収支の赤字=PB赤字)

 この3つのいずれか、あるいはその組み合わせによって、総需要が完全雇用のレベルまでかさ上げされる。

 日本の場合は、90年代初頭は低金利政策の長期化でバブルが醸成され、2000年代半ばは、超円安を伴う輸出ブームによる大幅な経常黒字が醸成され、2010年代は経常黒字とPB赤字の醸成の組み合わせによって、完全雇用に到達したのである。

 いずれも持続可能とは言い難いのだが、現在は多くの先進国で、自然利子率がマイナスの領域まで低下した可能性がある。

 その一方で金融緩和が続けられていることで、行き場のなくなった資金の過剰問題、いわば金融不均衡の状況が頻発するようになっている。

「長期停滞」に陥った要因
生産年齢人口減少や長寿化

 それでは、日本の自然利子率、潜在成長率が大きく低下し、長期停滞に陥ったのはなぜか。

 その原因の1つは、生産年齢人口の減少、あるいは総人口に占める生産年齢人口比率の低下だろう。

 労働力に対して資本ストックが相対的に過剰となり、資本収益率(=自然利子率)が低下するメカニズムが考えられる。

 実際、生産年齢人口比率がピークを迎えた頃に、日本だけでなく各国で大規模な不動産バブルや住宅バブルが生じ、その崩壊後、成長が低迷するといった状況が起きた。

 例えば、この比率がピークを迎えたのは、日本が1990年頃、スペインやアイルランド、米国では2005年頃だが、いずれもなんらかのバブルが起きた時期だ。

 生産年齢人口比率のピークでバブルが醸成されるのは、人口ボーナスのピークの時に、それが永続するという楽観が広がり、過剰ストックや過剰債務が積み上げられるからかもしれない。

 潜在成長率に対する労働力や資本の寄与度を分析すると、90年代や2000年代は、労働力が押し下げ要因となっている。労働力が減少したから、資本が過剰となって、資本収益率が低下し、TFPの上昇率が抑えられると共に、資本蓄積が滞ったのだろう。

 ただ、2010年代に入って、人手不足の深刻化に伴い、女性や高齢者の労働参加率が高まり、労働供給の減少が止まっている。その結果、当面は労働投入が潜在成長率の押し下げ要因にはならなくなった。

 そこで自然利子率低下のもう1つの要因として考えておかなければならないのは、長寿化に伴い、長生きリスクに対して、貯蓄を増やすべく以前より長期間、働く人が増えていることである。

 そのことも、貯蓄と投資のバランスを崩し、自然利子率を抑える要因となり得る。

労働節約的なイノベーションが
自然利子率を引き下げた

 さらに、自然利子率や潜在成長率の低下を考える上でのポイントはイノベーションによる影響だ。

 欧米では、2013年頃に、成長の足踏みもあって、「長期停滞」論が盛んに論じられた。

 しかし、その後、米独経済が完全雇用に到達したこと、同時に、デジタル革命によるイノベーションで、新たな成長の時代が訪れたという認識から、「長期停滞」論はしばらく下火となっていた。

 イノベーションの枯渇で、投資機会が失われ、貯蓄が吸収できないために、自然利子率が負の領域まで低下し、完全雇用に容易には到達できないと考えられていたからだ。

 それが完全雇用になったのだから、「長期停滞」論が廃れてもおかしくはない。さらに世界を見渡せば、GAFAの時代が訪れ、デジタル革命によるイノベーションだらけである。

 しかし、筆者はむしろ、ITデジタル革命で労働節約的なイノベーションが続いているから、自然利子率が低迷しているのではないかと、考えている。

 ITデジタル革命で所得水準が高く支出性向の低い一部の経済主体に所得が集中し、政治が不安化するだけでなく、貯蓄投資バランスが崩れて、自然利子率が低迷しているのではないか。これが筆者のもう1つの仮説である。

 完全雇用になった後も、欧米では既存の中道政党が支持を失い、各国で右派ポピュリスト政党の台頭が続いている。

 この背景には、移民問題も影響しているが、労働節約的なイノベーションが続いていることで、中間的な賃金の仕事が減り、高い賃金の仕事と低い賃金の仕事の二極化が進み、人々の不満が高まっていることがある。

 労働節約的なイノベーションが政治の不安定化の一因にもなっているといっていい。

 先進国では、90年代後半以降、製造業ではオフショアリング、非製造業では省力化のイノベーションが進み、生産性が上がっても、平均的な労働者の賃金上昇にはつながりづらくなっている。

 賃金が上がらないから、物価も上がりづらくなり、金融緩和が長期化され、資産価格ばかりが上昇する。

 過去20年、米国が完全雇用に到達したのは、いずれもバブルが生じたケースだった。

 米国は完全雇用に達したとはいえ、生産性上昇率も金利も低いままであり、生産性向上に裏打ちされて所得が増えたのではなく、金融的不均衡による総需要のかさ上げなしには、米国も完全雇用に到達できなくなっているのではないか。

所得格差や労働分配率低下を
解決する必要がある

 ただし、この仮説については、2つの有力な反論がある。

 まず、イノベーションが生じているのなら、資本収益率が上昇し、本来、自然利子率は上昇するのではないか、というものだ。

 それに対する筆者の回答は、イノベーションは確かに生まれたが、それを広く社会が活用するための制度がまだ整っていないから、経済全体の生産性が向上していない、それ故、自然利子率も低いまま、というものである。

 また、断続的にイノベーションが生まれているが、今後は、肉体労働のみならず、多くの頭脳労働も広範囲に不要となる。このため、ますます所得水準が高く、支出性向の低い一部の経済主体に所得増加が集中するという所得分配上の問題が続く。

 この問題が解決されない限り、自然利子率は低迷が続くのではないだろうか。

 仮説に対するもう1つの反論は、所得格差の小さい日本には、この議論は当てはまらないのではないか、というものだ。

 確かに、資本の出し手やアイデアの出し手、あるいは大企業やIT企業のCEOら、一握りの人に所得増加が極端に集中するといった事態は日本では起きていない。労働分配率を見ても、欧米ほどの低下は生じていないといえる。

 ただし、企業部門に所得が集中し、そこで貯蓄が積み上がっているというのも紛れもない事実である。仮に家計の所得が増えれば消費に回り、国全体の貯蓄の減少で自然利子率は上昇するのではないか。

MMTは
米国版「財政リフレ」策

 こうした「長期停滞」を脱却する処方として、米国では、「現代貨幣理論(Modern Monetary Theory、MMT)」なるものが経済論壇を席巻している。

 それは、米民主党の左派グループにより、国民皆保険の拡充や温暖化対策などグリーン・ニューディールの財源論として、唱えられた理論だ。

 不換紙幣を自らが発行し、海外から借り入れを行っていないのなら、財政制約には縛られないというアバ・ラーナーのFunctional financeの議論を現代に焼き直したもので、財政赤字の増加は、自動的に民間貯蓄の増加を生み出すため、財源は不要という考え方だ。

 つまり、財政赤字がいくら膨らんでも、長期金利が上昇せず、クラウディング・アウトも生じないということである。

 2016年の大統領選でバーニー・サンダースの顧問を務めたニューヨーク大学のステファニー・ケルトン教授らが提唱した。

 主流派経済学からすれば、「ブードゥー・エコノミクス(呪術経済理論)」の類ということになるだろう。

 だが、こうした政策論が注目されていること自体、米国でも「ジャパニフィケーション」が進行しているということかもしれない。

 大規模な公的債務を抱える日本ですら、長期金利が落ち着き、通貨暴落も起こっていないのだから、基軸通貨を抱える米国ではなおさら大丈夫と考える人も少なくないのだろう。(事実、大幅な基礎的財政収支の赤字無しでは完全雇用を維持できない日本は、その持続性はともあれ、MMTをすでに実践しているともいえる)。

 仮に、筆者の仮説通り、主要先進国は自然利子率がマイナスの領域まで低下する長期停滞に陥っているのなら、MMTは適切な処方箋と考える人もいるかもしれない。

 さらに、米国でも国民皆保険が整備されたら、人々は安心して消費をするようになり貯蓄が減って自然利子率が上昇すると考え、「長期停滞」から脱する手だてになり得ると思う人もいるだろう。

金融不均衡のもとでは
金利上昇が資本市場の混乱招く

 しかし、筆者は、米国が仮に「長期停滞」に陥っている場合でも、MMTは、解決策として適切な政策とは言い難い。

 その理由は、もし「長期停滞」であるにもかかわらず、米国が完全雇用に到達しているのなら、それは、前述した通り金融緩和の長期化によって、企業が多大な借り入れを行うなど、金融的不均衡が積み上がり、総需要がかさ上げされているからだ。

 そのため、拡張財政政策によって金利が多少、上昇すれば、金融的不均衡の調整をもたらし、グローバル資本市場の大混乱を招く可能性がある。

 財政赤字が膨らんでも金利は上昇しないというMMTの主張は、完全雇用の下では成り立たなくなる。

 MMTを実践すれば、直ちに長期金利の急騰やドルの大暴落が起こるわけではないが、大きな金融不均衡がすでに生じているなら、数十ベーシスポイントの長期金利の上昇でも、昨年末のようなグローバル資本市場の大混乱を招くリスクがある。

 多くの新興国で、企業部門が過大なドル債務を抱えていることも、混乱に拍車をかける。

 幸いにして、米国が「長期停滞」に陥っていないとすれば、金融的不均衡の調整がもたらされることはないが、その場合でも、MMTの実践は、金利上昇によって、多少のクラウディング・アウトを引き起こすはずである。

次の大統領選で
「人気取り政策」になる懸念

 現在のMMTを巡る米国での政策論争は、民主党内における大統領候補選びでの左派と右派の主導権争いを背景としたものだ。

 従っていまは切羽詰まった問題ではないが、右派ポピュリストのトランプ大統領への対抗馬として、民主党が左派ポピュリストを大統領候補に担ぐことを決めたときには、MMTに基づく拡張財政に対する警戒が必要かもしれない。

(BNPパリバ証券経済調査本部長 河野龍太郎)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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