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遺品のチェロを使った震災「鎮魂コンサート」で体験した不思議な話

文● 木原洋美(ダイヤモンド・オンライン

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東日本大震災から8度目の春を迎える(写真はイメージです) Photo:PIXTA

東日本大震災から8度目の春を迎える。チェロ奏者の土田英順さんが体験したという哀しく、切なく、美しい話を紹介したい。(医療ジャーナリスト 木原洋美)

地元の住職から聞いた
哀しくも不思議な話

 まもなく、東日本大震災から8度目の春。被災地では今も、亡くなった人々にまつわる不思議な話が数多く聞かれる。「複数の犠牲者が打ち上げられた畑には、昼でも幽霊が出る」「幽霊の目撃談があまりにも多いので、夜間通行止めになった橋がある」等々、その無念さに心を寄せるからだろうか、ゾクッとするような怪談がほとんどなのだが、中にはここでご紹介するような、哀しく、切なく、美しい話もある。

 それは2013年のこと。筆者が、亡父の法要で宮城県の実家に帰省した折、檀家になっている真言宗のお寺、弘法寺(大崎市)の住職、大坪龍勝さんに伺った話だ。

 大崎市は宮城県でも内陸部にあるため、地震で家屋や道路は損壊したものの、津波の被害は一切受けていない。それゆえ弘法寺は、遠方から来るボランティアの拠点となり、震災から2年を過ぎた時点でも、寝泊まりしながら活動を続けているスタッフもいた。

 大坪さん自身も、救援物資やボランティアの受け入れはもとより、さまざまな支援活動をしていたのだが、そのうちの1つが、世界的なチェロ奏者である土田英順さんによる東日本大震災チャリティー・コンサートのお手伝いであり、その流れで開催されたのが宮城県亘理郡山元町の浜辺での鎮魂コンサートだった。

 英順さんは日本フィル、新日本フィル、札幌交響楽団の首席チェロ奏者を歴任し、ボストン響およびボストン・ポップス響でも演奏。現在はソリストとして札幌を拠点に活躍している高名な音楽家。

修理されたチェロと土田英順さん
修理されたチェロと土田英順さん

 話はその英順さんが2012年9月、岩手県の大船渡で津波の犠牲になった舩渡洋子さんという女性が使っていたチェロと出合ったところから始まる。洋子さんの自宅で遺体と共に残されていたチェロは、津波の襲撃でボロボロになっていたが、英順さんは彼女の友達のたっての願いで譲り受け、札幌で大修理を施したあと、そのチェロをずっと使い続けていたという。

アヴェマリアの曲にのせて
女性の歌声が聴こえてきた

 山元町でのコンサートは、「浜で鎮魂の調べ」と題し、その浜で犠牲になった633人を偲んで非公開で催された。

 集まったのは、地元の人、被災地をめぐるコンサートを企画したボランティアスタッフ、英順さんと共に被災地を回るピアニストの鳥居はゆきさん、落語家の林家とんでんへいさん。

山元町の普門寺で、町の人たちを前に演奏する英順さんとピアノの鳥居はゆきさん
山元町の普門寺で、町の人たちを前に演奏する英順さんとピアノの鳥居はゆきさん

「(震災で破壊されて)真っ暗闇の本堂でチェロを弾いてもらえないだろうか……犠牲になった人たちの霊が集まって来るでしょう」 そう言って英順さんたちを招いた地元「普門寺」の住職坂野さん、大坪さんの姿もあった。

 英順さんは、その時のことを、ご自身のブログに次のように綴っている。

「宮城県被災地への旅」・・最後の演奏は、「浜で鎮魂の調べ」・・僕は、山元町の浜辺に立つと、チェロを弾く前に波の音を聞きながら、633人の犠牲者に祈りを捧げました。「どうか安らかに・・あなたがたのご親族やお友達は、耐え難い悲しみに耐えながら頑張っています。どうか天国から見守ってあげてください。」G線上のアリア、アヴェマリアなど4曲を、目を閉じたまま続けて弾きました。弾きながら、涙がひとすじ、ふたすじ頬をつたわっていくのがわかりました。(ブログ『土田英順のボストンバッグにチェロと酒』より)

 秋の夕暮れ。一同、浜辺に響くチェロの音色に聞きほれているなかで、それは起きた。アヴェマリアの曲を弾き始めた時、誰かが口ずさむハミングが聴こえてきたのだ。

日が暮れた浜辺で、壊れた堤防の破片に腰かけ、演奏する英順さん
日が暮れた浜辺で、壊れた堤防の破片に腰かけ、演奏する英順さん

「女の人の静かな声でね。きっと出演者の誰かがうたっているんだろうと思った」と大坪さんはいう。だが、後で確かめたところ、歌っていた人は誰もおらず、その場にいた全員が、そのハミングを聞いて、「誰の声だろう?」と不思議に感じていたことが判明した。

 さらに英順さんによると、「実は北海道で演奏した時も、アヴェマリアの時に、ハミングが聴こえた」という。

「洋子さんも、チェロの演奏を聴いて、天国で喜んでおられたのではないでしょうか」と大坪さん。

 暗い砂浜、ひきずりこまれそうな夜の海、寄せては返す波の音と哀切なチェロの響き、伝説の人魚の歌声のような女性のハミング。筆者は、怖いほど美しい情景を思い浮かべたのだが、この話にはさらに、不思議な続きがある。

決して忘れない
今年もそっと手を合わせる

 それはコンサート後、一同が仙台のホテルに移動したときのこと。運転していたのは地元・宮城の人なので、普通であればすいすい着くはずなのに、なぜか道に迷い、到着はだいぶ遅くなってしまった。

 演奏で力を出し切り、放心したようにフロントの前に立っていた英順さんに、見知らぬ女性が声をかけてきた。

「あの・・土田英順さんでしょうか?」 「そうですが・・」 「突然声をかけ、失礼をお許し下さい。 私、舩渡順子と申します。大船渡でチェロを残して津波の犠牲になった、舩渡洋子の姪です。」 「えぇっ!」 「土田さんが、叔母の残したチェロでチャリティ・コンサートを続けていらっしゃることは、聞いております。」 「・・・・・」 「叔母は天国でどんなに喜んでいることでしょう。本当にありがとうございます。」・・山元町の海岸から到着したばかりの仙台のホテルのロビー・・声をかけてきた見知らぬ女性は、洋子さんの姪でした。(ブログ(『土田英順のボストンバッグにチェロと酒』より)

 なんと、本当に偶然、そのホテルの前を通りかかった舩渡さんの姪が、舩渡さんのチェロを持っている英順さんに気づき声をかけてきたというのだ。

「『浜で鎮魂の調べ』は宣伝しなかったので、仙台在住の順子さんは知らなかった。この出会いは、洋子さんのチェロが引き合わせてくれたとしか思えない」

 一同、鳥肌が立つほど感動したと、大坪さんはしみじみ語ってくれた。

筆者の叔母の家があった場所で震災から3週間目に撮影した写真
筆者の叔母の家があった場所で震災から3週間目に撮影した写真。「津波をかぶっても花は咲くんだね」と皆で眺めていた…

 震災から8年が経つが、筆者の叔父と叔母は、津波にさらわれたまま依然行方知れず。彼岸の折、遺骨の入っていない墓に手を合わせるものの、そこには本当に誰も眠っていないと思うと、遺体を見つけてあげられない申し訳なさで胸がいっぱいになる。

 姪の私でさえ、そうなのだから、両親を亡くした従妹たちの寂しさ、悲しみは、生涯決して消えることはないはずだ。

 しかし被災地以外の地域では、東日本大震災の記憶は薄れ、風化しようとしている。どうか忘れないでほしい。天国から聞こえたハミングを想像し、心の耳を澄ませながら、今年の3月11日も、犠牲者を想い、手を合わせたい。

◎土田英順(つちだ・えいじゅん)
日本フィル、新日本フィル、札幌交響楽団の首席チェロ奏者を歴任。
ボストン響およびボストン・ポップスでも演奏。現在は、ソリストとして活躍し、年間何本ものコンサートスケジュールをこなす。東日本大震災チャリティー・コンサートは既に400回超。昨年からは胆振東部地震の支援にも奔走中。
「東日本大震災支援 じいたん子ども基金」を開設。基金は被災地の子供達のために使われる。また、毎月末にその月の募金額と使い道を自らのブログで公表している。
(北洋銀行 札幌西支店 普通 5161660 口座名 東日本大震災支援 じいたん子ども基金代表 土田英順)
ブログ:「ボストンバックにチェロと酒」http://blog.hokkaido-np.co.jp/enjoy-cello/

※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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