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ロードマップでわかる!当世プロセッサー事情 第493回

業界に多大な影響を与えた現存メーカー CPU「ROMP」を開発して自滅したIBM

2019年01月14日 12時00分更新

文● 大原雄介(http://www.yusuke-ohara.com/) 編集●北村/ASCII.jp

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採用OSを選びきれずに迷走

 さて、この当時IBMは自社のSystem/3xシリーズ向けのOSはもちろん自身で開発していたが、AFWSに利用できるようなOSをこの当時はまだ保持していなかった。もうこの当時にはUNIXが興隆し始めていたこともあり、基本的にはUNIX系を動かそう、というところはすんなり決まったものの、BSD系を選ぶか、AT&T系を選ぶかと言うレベルでまだ試行錯誤していたらしい。

 そこでさっさと決めればよかったのだろうが、なにを血迷ったのか「複数のOSが稼働させられるようにしよう」というアイディアが出た。かくしてオースティンではVRM(Virtual Resorce Manager)という、現在で言うところのHypervisorにあたるものをROMP向けに開発するところから話が始まってしまう。

 その一方で、OSの移植そのものまで手が回らなかったのか、IBM-PC/XT向けにPC/IXというSystem IIIベースのUNIXを提供していたISC(Interactive Systems Corporation)と提携し、System IIIをROMP向けに移植する作業をしてもらう。

 ただこれも途中で方針が変更、System IIIベースからSystem Vベースに切り替わった。ISCはこの変更を呑んだが、当然開発はさらに遅れることになった。当初の予定は1984年に製品を出荷するはずだったが、これが1986年に遅れたのは、System Vの移植に手間取ったからという部分が大きい。

 これに輪をかけたのが、最適化コンパイラの欠如である。PL.8は移植されたが、これはもうMASM(マクロアセンブラ)のレベルの開発ツールであって、もちろんUNIXの移植でも一部はPL.8で片付くが、必要なのは最適化レベルの高いCコンパイラであり、これにかなりてこずったようだ。

 これも最終的には、当時トロントにあったHCR CorporationというCコンパイラを手掛けている会社から、CのOptimizerを提供してもらって、なんとか解決したらしい。

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