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川崎フロンターレ家長、レギュラー落ちからMVP獲得までの壮絶人生

2018年12月21日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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2018年MVPを獲得した家長昭博家長昭博のMVP授賞式では、同じ生年月日、同じ左利き攻撃的MFの本田圭佑からのメッセージも話題に
写真:YUTAKA/アフロスポーツ

今シーズンのJリーグ最優秀選手賞(MVP)に、J1連覇を達成した川崎フロンターレのMF家長昭博が初めて選出された。2016シーズンのMF中村憲剛、昨シーズンのFW小林悠に続いて同一チームから3年連続でMVPが輩出されるのは、1993シーズンのJリーグ元年から開催されてきた年間表彰式Jリーグアウォーズ史上で初めてとなる快挙。例え遠回りになっても不器用かつ愚直に「成長」の二文字を追い求め、延べ9つ目の所属チームとなるフロンターレで最も眩い輝きを放った32歳の苦労人が歩んできた、波瀾万丈に富んだサッカー人生をあらためて振り返った。(ノンフィクションライター 藤江直人)

「ガンバ大阪ユースで一番」
ポテンシャルを評されていた家長

 予想と異なる名前が返ってきた瞬間、少なからず驚きを覚えた記憶がある。ガンバ大阪ユースの最高傑作を一人挙げるとすれば――実は答えとして元祖ワンダーボーイの稲本潤一か、今夏のワールドカップ・ロシア大会に出場した宇佐美貴史を思い描いていた。

 質問をぶつけた相手は「黄金郷」と呼ばれたガンバの育成組織の礎を築き、指導及び統括してきた上野山信行氏。芳しくない下馬評を覆す形で岡田ジャパンがベスト16進出を果たした、ワールドカップ・南アフリカ大会の余韻がまだ色濃く残っていた2010年の夏だった。

 おりしも南アフリカ大会代表には日韓共催、ドイツ大会に続いて稲本が名前を連ね、高校3年生だった宇佐美がJリーグの舞台でいよいよ才能を開放させつつあった時期。手腕を買われて当時はJリーグの技術委員長を務めていた上野山氏は、ちょっと間を置いてから言葉を紡いだ。

「一番と言えば、やはり家長でしょう」

 高校3年生だった2004年7月に、ガンバのトップチームへ昇格。卓越した攻撃センスを持つレフティーで、右ウイングに配されるケースが多かったことから、FCバルセロナのリオネル・メッシの「和製版」と呼ばれた家長昭博に、しかし、上野山氏は但し書きをつけることを忘れなかった。

「ポテンシャルでは、ね」

 歴代最多となる国際Aマッチ152試合出場を誇るガンバのMF遠藤保仁にも、同じような質問をぶつけたことがある。宮本恒靖を含めて、数多くの逸材を輩出したガンバのユースをどのように見ていたのか、と。

「僕より年下の選手ですごいと思ったのは、能力だけで言えば家長が一番ですね。彼がガンバのユースにいる時から『すごい選手がいる』と聞かされてきたし、実際にトップチームへ昇格してきた時には、すぐにでもA代表に入ってくるんじゃないかと思ったくらいですから」

 恩師から但し書きをつけられ、レジェンドからは過去形で語られていた点に、当時24歳だった家長が直面していた試練が凝縮されていた。厳しい表現をすれば、伸び悩んでいた真っ只中だった。

 若かったがゆえに好不調の波が激しく、選手層の厚いガンバではなかなかレギュラーを獲得できない。出場機会を求めて、大分トリニータへ期限付き移籍したのは2008シーズン。しかし、開幕直前に右ひざ前十字じん帯を損傷し、出場が確実視されていた北京オリンピックを棒に振った。

 南アフリカ大会が開催された2010シーズンにはセレッソ大阪へ期限付き移籍。開幕当初こそ香川真司との共存に戸惑い、ベンチスタートが続いていたものの、香川のボルシア・ドルトムント移籍後はトップ下に定着。乾貴士、清武弘嗣と息の合ったコンビネーションを奏で始めていた。

本田圭佑は同じ生年月日の盟友
いつしか抜き去られ、背中も見えなくなりそうに

 当時の家長は図らずもピッチの外で注目を集めていた。南アフリカ大会の開幕直前で岡田ジャパンの大黒柱に抜擢され、2ゴールをあげて決勝トーナメント進出の立役者になった本田圭佑とは、1986年6月13日の生年月日、左利きの攻撃的MFという共通項があった。

 しかも、ガンバのジュニアユースでチームメイトとなり、高校への進学を前に「怪童」と呼ばれた家長がユースへ昇格。同じタイプの選手は必要ないと判断されたからか、ユースへ昇格できなかった本田は、石川県の強豪・星稜高校へ進学して捲土重来を期した。

 中学卒業を直前に控えた2002年春。家長、森保ジャパンに名前を連ねるGK東口順昭らの同期生と食事をしていた本田は、おもむろに立ち上がって「家長を抜く!」と宣言する。15歳でぶち上げたサッカー人生の目標のひとつを、2010年夏の段階でほぼ完璧に成就させていたことになる。

 だからこそ、家長が抱く思いを聞きたかった。当然ながら、南アフリカ大会で演じられた日本代表の快進撃はテレビ越しに見ていた。本田を意識しなかったと言えば嘘になる。28歳で迎えるワールドカップ・ブラジル大会を見すえながら、家長はこんな言葉を残している。

「自分のストロングポイントを磨いていかないと、ワールドカップは見えてこない。これだ、という武器がないと、ああいう舞台では活躍できないと思うので」

 本田は大舞台における勝負強さと、最前線で味方のために時間を作れる体の強さを武器に、中村俊輔から大黒柱の座を鮮やかに奪ってみせた。ならば家長が思い描く、携えるべき武器とは何か。ちょっとした沈黙の後、意外にも聞こえる言葉が返ってきた。

「模索中です。とにかく、今は自分の力をつけていきたい」

 恐らくはこの時点ですでに、自分を探す旅を始めていたのだろう。今は更新が途絶えているブログのタイトルを「拝啓 自分不器用デスカラ」としていたように、結果的に遠回りをしてでも「成長」の二文字を貪欲に追い求める覚悟と決意が「模索中」という言葉から伝わってきた。

 必然的にセレッソで放った輝きに満足せず、2010年12月にはラ・リーガ1部のRCDマジョルカの一員として海を渡ることを決めた。この時はガンバからの期限付き移籍ではなく完全移籍。愛着深い古巣と決別することを厭わず、スペインの地に何らかの答えがあると信じた。

 迎えた2011年。いつしか自分を抜き去り、背中が見えなくなりかけていた本田と共演する機会を手繰り寄せた。ザックジャパンに招集された家長は6月のチェコ代表戦、8月の韓国代表戦で合計43分間にわたって途中出場。ピッチにはトップ下で先発フル出場した本田がいた。

 イタリア人のアルベルト・ザッケローニ監督から命じられたポジションはボランチ。代役の効かない存在となっていた遠藤に、不測の事態が生じた時のリスクマネジメントの意味合いも込めて、指揮官は「ポスト遠藤」として家長に白羽の矢を立てた。

 長く攻撃的なポジションを担ってきた家長にとって、ボランチはトリニータとセレッソで数試合経験した程度だった。それでも指揮官は「不慣れなポジションで戸惑いもあるかもしれないが、アキ(家長)の能力を考えれば十分にできる」と大きな期待を寄せた。

 結論から先に言えば、2014年のブラジル大会へ向けた挑戦は2試合だけで終わりを告げた。それでも、胸を張ってメディアに対応していた家長の姿を鮮明に覚えている。

「ヤットさん(遠藤)と比べる必要もないし、そんなことを考えたこともない。僕のプレーを周りが見て、似ているとか違うとか言ってもらえればいい。僕自身は負けるとは思っていないし、負ける気もしない。あとは監督からの信頼だけだと思っている」

移籍を繰り返しても自信は揺るがず
9チーム目の川崎フロンターレへ

 マジョルカから2012年2月に韓国Kリーグの蔚山現代、同7月にはJ1残留争いに巻き込まれていた古巣ガンバへ期限付き移籍を繰り返しても、自分へ抱く絶対的な自信だけは揺るがなかった。

「上手い選手、強い選手はナンボでもいる。その中で自分は、どのようにして生き抜いていけばいいのか。海外の高いレベルの中に身を置かなければ分からないことだったし、その意味でも体で感じる部分は大きかった。例えば韓国は、日本が思っている以上にレベルが高かったので」

 J1残留がかなわなかったガンバに残り、初体験となるJ2を戦う前にこう語っていた家長は、2013年夏には2部へ降格していたマジョルカへ復帰。翌2014シーズンからは大宮アルディージャへ移籍し、2016シーズンには11ゴールをマーク。チームを歴代最高位の5位へ躍進させる原動力になった。

 しかし、アルディージャの中に確固たる居場所を築き上げ、自身初の2桁ゴールに到達しても、家長は満たされなかったのだろう。敵として対戦した川崎フロンターレのサッカーに魅せられたからこそ、延べ9つ目の所属チームとして、2017シーズンから新天地でプレーすることを決めた。

「フロンターレのパス回しやトラップ、ポジショニングは本当に細かくて、なおかつ正確で、まったくボールを奪えなかった。僕自身も30歳になって、身体能力といったものはもう伸びないと思っている。それでも、パス回しやボールをもらう動きはもっと、もっと成長できるはずなので」

 開幕直後に右足親指のつけ根を痛めた昨シーズンは長期離脱を強いられ、J1の中でも独特のポゼッションサッカーを標榜するフロンターレにフィットするのに時間を要した。しかし、精彩を欠いているように映った時期も、家長が自分自身を見失うことはなかった。

「けがで長く試合に出られなかったのは、自分の中でも大きなロスだったと思っている。ただ、僕自身はそこまでパフォーマンスが低かったとは思っていないし、自分に対しては常に自信を持っていた。あとは試合に使われるか、使われないかだけだと自分では思っていた」

「このチームに入って本当によかった」
最高のタイトルを携えてもまだ成長する

 J1の個人表彰は、18クラブの監督及び17試合以上に出場したすべての選手による互選が基になる。ポジションごとに得票数の多い30人がまず優秀選手賞に選出され、その中から村井満チェアマン、原博実副理事長らで構成される選考委員会がベストイレブンと最優秀選手賞(MVP)を選出する。

 昨年から出場試合数を21から32へ、プレー時間を1289分から2745分へそれぞれ大きく延ばした家長は、優秀選手賞受賞者の中で最多となる177票を獲得。味方には安心感を、相手には脅威を与え続けた今シーズンの軌跡がMVPに相応しかったことは、大黒柱のMF中村憲剛の言葉からも伝わってくる。

「苦しい時に突破口を開いたのがアキ(家長)の左足でしたし、身体を張って時間を作ってくれたのもアキでした。最初は数字に直結するプレーを意識していなかったかもしれないけど、意識し始めてからはものすごく怖い選手になり、同時にチームを牽引する存在になった。こんなに頼もしい選手は多くない」

 横浜アリーナで18日夜に行われた年間表彰式のJリーグアウォーズ。ともに初めてとなるベストイレブンとMVPを受賞し、晴れ舞台で眩いスポットライトを浴びている家長へ、ビデオレターを介して本田が祝福のメッセージを届けるサプライズが待っていた。

「中学時代はいつも一緒にいて、たまたま生年月日も一緒で。本当に運命を感じる選手だと思います」

 予期せぬ演出に照れ笑いを浮かべた家長は、決して冗舌なタイプではない。それでも、あらん限りの思いを込めながら、フロンターレでの2年間を「このチームに入って本当によかった」と振り返った。

「全員の志が高く、選手一人ひとりの向上心が高いチーム。自分が想像している以上に多くの刺激をもらえているし、みんなのおかげで僕自身も人としても選手としても成長できた」

 J1連覇とMVP受賞。ようやくたどり着いた理想のチームで、最高のタイトルを両手に携えても家長は満足できない。まだまだ成長できると思える限り、不器用に、そして愚直に前へと進んでいく。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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