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久保建英があえて横浜FM移籍の「茨の道」を選んだ理由

2018年08月26日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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横浜F・マリノス久保健英
鹿島との試合前にウオーミングアップする久保建英 写真:日刊スポーツ/アフロ

21世紀生まれの唯一のJリーガー、高校2年生のMF久保建英(17)が、出場機会を求めてFC東京から横浜F・マリノスへ期限付き移籍したことが注目を集めている。スペインの名門FCバルセロナに才能を見初められ、10歳だった2011年の夏に異国の地で心技体を磨き始めるも、自身の力の及ばないところで公式戦に出られない問題が生じ、14歳の時に志半ばで帰国。新天地として選んだFC東京の下部組織で同世代のライバルたちに先駆けて濃密な経験を積み重ね、16歳だった昨年11月1日にはプロ契約を結んだ久保が、愛着あるチームをあえて飛び出したのはなぜなのか。現状に対して抱く思いや将来に描く夢を踏まえながら、2年後の東京五輪、4年後のワールドカップ・カタール大会出場も期待される逸材のホープの決断を追った。(ノンフィクションライター 藤江直人)

14歳で失意の帰国をした久保が
古巣フロンターレではなくFC東京を選んだワケ

 普通の高校生ならば、1日は学校へ行くことから始まる。授業を受け、休み時間には友だちと他愛もない話に花を咲かせては笑い、お昼休みの弁当を楽しみに待ち、放課後は部活動に励む。サッカーの場合はJクラブ傘下のユースチームに所属し、夕方から始まる練習へ通う高校生も少なくない。

 しかし、今年6月に17歳になった高校2年生の久保建英は、自らの強い意思で普通とは異なる道を選び、全力で突っ走ってきた。すでに数多くを経験してきたサッカー人生のターニングポイントをさかのぼっていくと、15歳になる直前だった2015年5月に下した決断に行き着く。

 10歳の夏から高いレベルの中で心技体を磨いてきた、カンテラと呼ばれるスペインの名門FCバルセロナの下部組織を退団。生まれ育った日本でサッカーを続ける道を選んだ久保は新天地として、FC東京の下部組織のひとつ、U‐15むさしへ加入することを決める。

 スペインへ渡る前は、川崎フロンターレの下部組織に所属していた。異国の地でプロになる夢を描いていた久保だったが、バルセロナが犯した18歳未満の外国人選手獲得及び登録違反の煽りを食らう形で、公式戦の出場停止処分が続いていたことで、断腸の思いを胸中に秘めて帰国する。

 この段階で古巣でもあるフロンターレではなく、FC東京を選んだのはなぜなのか。久保の父親とFC東京の大金直樹代表取締役社長(51)が以前から懇意にしていたことに加えて、久保の育成プランに関して、他のJクラブとは一線を画す青写真をFC東京が提示したからだろう。

 サッカーの育成年代では「天井効果」という言葉がよく使われる。周囲と比較して突出した才能をもつ子どもを、同じ年齢カテゴリーのままでプレーさせていては刺激が少なくなり、マンネリ感を覚え、やがては伸び悩んでしまう。中にはいわゆる「お山の大将」になる子どももいるだろう。

 早くにして「天井」に背が届いてしまった子どもの才能を、可能な限り早く開放させるにはどうしたらいいのか。答えは単純明快。天井の高さをより上げればいい。固定概念にとらわれることなく、例えば中学生ならば高校生年代のユースチームへ「飛び級」で昇格させてプレーさせる。

 実際、久保は帰国から約1年が過ぎた2016年春には、中学3年生にして高校生年代のFC東京U‐18へ昇格している。もっとも、こうした形を取ることはフロンターレを含めた他のJクラブでも可能だし、例えばガンバ大阪はホープたちを積極的に上のカテゴリーへ引き上げてきた。

 しかし、FC東京はさらに先を見すえていた。2014年に創設されたJ3へ、若手を中心としたいわゆるセカンドチームを参戦させたい意思を早い段階から打診。Jリーグから承認されたことを受けて、2016シーズンからFC東京U‐23がJ3を戦っている。

 一方でJリーグでは18歳以下の選手で構成されるチーム、要は高校のサッカー部やJクラブなどのユースチームに所属しながら、Jリーグの公式戦にも出場できる2種登録選手制度を採用している。公式戦の対象にセカンドチームのそれも含めてほしいと、FC東京側は強く働きかけていた。

 その見通しが立っていたことも、久保のFC東京入りを後押ししたのだろう。2016年9月にトップチームに2種登録された久保はFC東京U‐23の一員として、同年11月5日のAC長野パルセイロとの明治安田生命J3リーグ第28節で、中学3年生にしてプロの舞台に立った。

 Jリーグの下部組織は、それまでは「6‐3‐3」の学校制度に則って編成されていた。しかし、FC東京はU‐23チームのJ3参戦を契機としてヨーロッパをはじめとする海外に倣い、状況とタイミングを見極めながら、ホープに対しては「天井」を高くしていく実力主義に変えたわけだ。

 こうした方針に魅力を感じたからこそ、久保はFC東京で再出発を切ることを決めたのだろう。実際、FC東京の育成プランの下で、久保は同世代のライバルたちよりも常に先を走ってきた。J3でデビューを果たしたパルセイロ戦後には、将来へ向けてこんな言葉を残している。

「高いレベルを経験できたし、ここからどのくらい差があるのかも分かりました。自分が成長し続けるために大切なのは、やっぱり気持ち。それは貪欲さというか、上にはさらに上がいるという感じなので。自分はまだまだ下なので、どんどん追い越せていけるように。一応アタッカーだと思っているので、相手を抜くとか、ゴールに絡むプレーを意識して、一人で局面を打開できるような選手になりたい」

J3を主戦場にトップチームの試合にも出場
16歳にしてプロ契約、高校生Jリーガーに

 迎えた2017年。本人及び両親の意向もあり、久保は都内の全日制の高校へ進学した。トップチームの練習は原則午前中に行われるため、高校が休みとなって練習にフル参加できるゴールデンウイークに照準をすえながらJ3を戦い、トップチームでデビューする構想も描かれた。

 果たして、ホームの味の素スタジアムに北海道コンサドーレ札幌を迎えた、5月3日のYBCルヴァンカップ予選リーグの後半21分から、久保はトップチームのピッチに立った。しかも目の前には、動画投稿サイトなどを介して何度も見惚れてきた永遠の天才、元日本代表のMF小野伸二がいる。

「一つひとつのプレーの質がすごく高いし、今日もトラップを見ていて足に何かついているんじゃないかと思うくらい、本当に吸いつくような感じで。これが一流選手なんだと思いました」

 試合後の久保は、やや興奮した口調で小野のプレーを振り返っている。ここまでは、例えるなら「冒険」となるだろうか。しかし、その後に2つのカテゴリーの世界大会、U‐20及びU‐17の両ワールドカップを戦ったことで、高校1年生の胸中に危機感にも近い思いが芽生える。

 日本は両大会でグループリーグを突破したものの、決勝トーナメント1回戦でU‐20は準優勝したベネズエラ代表に、U‐17では優勝したイングランド代表にそれぞれ敗れた。特に後者には同年代の選手が多く、それでいて自身よりも先を走っている現実を目の当たりにした。

 U‐17ワールドカップが開催されたインドから帰国した直後の昨年11月1日。久保はFC東京U‐18からトップチームへ昇格する。熟慮した末に通信制の高校に転校して、トップチームの練習やキャンプにもフル参加できる状況を整えた。

 もはやJ3を主戦場として戦う段階ではないと、久保もFC東京も判断した末のプロ契約。途中出場ながらJ1の戦いを2度経験して2017年を終え、開幕から高校生Jリーガーとして臨む2018シーズンへ。久保はこんな言葉を残している。

「楽しいからサッカーをやってきたので。それがプロになったからとか、ある程度成功したからといって変わってしまえば、今までの成長のスピードというものも変わってしまうんじゃないか。そう考えただけで、ちょっと怖くなってしまうんですけど……だからこそ楽しくサッカーをやれているうちは、どんどん上に行けると思っています。先のことは分からないところもありますけど、今はサッカーができる喜びをかみしめながら1試合1試合、毎日毎日を大切にしていきたい。自分としてはすべての試合で同じ気持ちで臨んでいるし、その中で新しいことに挑戦しながら常にいい結果を残し、いいニュースを提供していく。微力ですけど、そうすることで個人の価値、クラブの価値、そしてサッカー自体の価値を少しでも上げられたらと思っています」

 通信制の高校に変えたことで、例えば午後などに時間的な余裕も生まれる。何に費やしたいのか、と問われた久保は、自身の将来を見越しながらこんな言葉も紡いだ。

「語学の大切さは自分もスペインへ行って分かっているので、どうにかして(スペイン語以外の)他の言語もマスターしていきたい。模範的な答えになっちゃうんですけど、やはり英語ですよね。サッカーはどの国に行っても、英語をしゃべれる選手がいると思うので」

 しかし、青写真と現実はなかなか一致しない。久保の場合も然り。待っていたのはJ1のピッチに立ち、結果を残し続けていく上でそびえる高く険しいハードルだった。

初ゴールを決めるもJ1出場は58分間のみ
J3が主戦場になり懸念された「伸び悩み」

 若手や出場機会の少ない中堅を中心に臨んだ、YBCルヴァンカップでは予選リーグの全6試合に出場。3月14日のアルビレックス新潟戦では、途中出場から6分後にトップチームでの初ゴールをゲット。大会最年少記録を塗り替える一撃で、FC東京を勝利に導いた。

 しかし、J1ではすべて途中出場でわずか4試合、合計58分間しかプレーしていない。しかも、最後にプレーしたのは4月14日。5月に入るとベンチ入りする18人のメンバーからも外れ、昨シーズンと同様にU‐23チームが参戦しているJ3が主戦場となった。

 ボールを持って前を向けば、何かしらの違いを生み出すことができる。しかし、サッカーの試合においてボールを持てるのは、トータルで数分しかない。残りの時間で何をチームにもたらせるかも、最高峰の舞台でコンスタントにプレーしていく上で問われてくる。

 今シーズンのFC東京は、ガンバ大阪を率いた昨シーズンまでの5年間で4つのタイトルを獲得した長谷川健太新監督(52)のもとで、トップ下のポジションを置かない[4‐4‐2]を基本システムとして採用。攻守両面におけるハードワークを一丁目一番地にすえて戦ってきた。

 登録ポジションを[FW]から[MF]に変えて臨んだ久保は、ロンドン五輪で「10番」を背負った東慶悟(28)、ヴィッセル神戸から加入した大森晃太郎(26)らと左右のサイドハーフを争う形となった。しかし、ボールを持っていない時間帯で、どうしても試合の流れから消えてしまう。

 長谷川監督が左右のサイドハーフに求めたのは、攻守の素早い切り替えと上下動を愚直に繰り返しながら攻守両面で泥臭い仕事を完遂すること。ガンバで国内三冠を独占した2014シーズンと同じ堅守速攻型へのアプローチであり、だからこそ当時の主力だった大森をたっての希望でFC東京へ呼び寄せた。

 トップチームのヘッドコーチを兼任する、FC東京U‐23の安間貴義監督(49)は再びJ3を戦う久保の現在地を、決して伸び悩んでいるわけではないと説明したことがある。

「トップチームのサイドハーフは、強度がものすごく高いプレーをしなければならない。長谷川監督の下で久保は今、守備の基本を教わっています。トップチームの試合になかなか出ていないので、どうしたんだと思う方もいるはずですけど、彼は確実に強くなっています」

 ワールドカップ・ロシア大会に臨んだ西野ジャパンが下馬評を覆すような快進撃を演じ、日本列島を熱狂させていた時期。久保はロシア遠征を行ったU‐19日本代表に選出され、A代表のベースキャンプ地のカザンに宿泊。限定的ながらA代表の練習に参加し、控え組と練習試合も経験した。

 そして、コロンビア代表に勝利したグループリーグ初戦と、セネガル代表と引き分けた同第2戦を現地のスタンドで観戦する。6月28日に帰国すると、2日後に敵地で藤枝MYFCとの明治安田生命J3リーグ第16節を控えたFC東京U‐23に合流した。

 試合に備えて前泊した静岡・藤枝市内のホテルで開催されたミーティング。安間監督はおもむろに、久保にロシアからの土産話を求めた。そして、チームメイトたちの前に立った久保は、指揮官が抱いた期待をいい意味で裏切っている。安間監督が続ける。

「久保は最初に、誰が上手いとか誰がすごいとかではなく、岡崎選手と武藤選手の攻守の切り替えの速さが半端ない、という話をしたんですね。そういうところに着目すること自体が、今までの彼にはなかったこと。もうちょっと待っていただけると、おそらくJ1でも再び出られると思います」

 スタンドの熱狂ぶりを感じながら観戦した2試合でゴールを決めた香川真司でも、大迫勇也でも、乾貴士でも、そして本田圭佑でもない。ましてや、日本のゴール前で危険な存在感を放ち続けたコロンビアのラダメル・ファルカオでも、セネガルのサディオ・マネでもなかった。

 合同練習や練習試合で肌を合わせたときに、日本代表史上で3位となる国際Aマッチ通算50ゴールをマークしている岡崎慎司の真骨頂でもある「泥臭さ」と、ニューカッスルへ移籍したFC東京の先輩・武藤嘉紀がブンデスリーガの戦場で身につけた「激しさ」を感じ取ったのだろう。

危機感はピークに達し、マリノスへの移籍を決断
厳しいJ1残留争いのなかで存在感を放てるか

 心の中で生じかけていた変化がさらに大きくなっていく過程で、久保にとってはショッキングな現実が待っていた。ロシア大会開催に伴う中断から、約2ヵ月にぶりにJ1が再開された7月18日。敵地で行われた柏レイソル戦で、久保は5試合ぶりにベンチ入りを果たした。

 当時のFW陣の状況を振り返れば、永井謙佑(29)と前田遼一(36)がけがで離脱。レイソルから期限付き移籍中のチーム得点王、ディエゴ・オリヴェイラ(28)も契約上の理由で古巣相手の試合に出られず、ヴァンフォーレ甲府から加入したリンス(30)もまだ登録されていなかった。

 しかし、攻撃陣の枚数が圧倒的に足りない状況で、先発の2トップに指名されたのは富樫敬真(25)とボランチを主戦場とする高萩洋次郎(32)だった。後半途中からは富樫に代わって中央大学卒のルーキー、矢島輝一(23)がJ1デビューを果たしたが、FWも務められる久保には最後まで声がかからなかった。

 恐らくはこの時に、久保が胸中に抱いてきた危機感はピークに達したのではないだろうか。長い目で見れば、今現在の自分に足りない守備とハードワーク、そしてオフ・ザ・ボールの動きを長谷川監督の下で学び、泥臭い部分のレベルを上げていくことがプラスになるはずだ。

 しかし、高く跳び上がるためにあえて低く屈む時期を、例えるならば「急がば回れ」を久保はよしとせず、自身のストロングポイントを徹底的に磨く道を選んだ。横浜F・マリノスへの期限付き移籍が電撃的に発表されたのは、夏の移籍期間が閉じる前日の8月16日。こんな思いも、もしかすると久保を新天地へと急かせたのかもしれない。

「何かもやもやした表現で申し訳ないんですけど、サッカー選手として大きな存在でありたい、というのはありますね。久保選手を見てサッカーを始めました、と言ってもらえるような、より大きな影響を周囲に与えられるような、ひと言で表現すれば『すごい選手』になることが僕の目標でもあるので」

 すべてのルーキーに出席が義務づけられている、2泊3日のJリーグ新人研修が静岡県内で開催された今年2月。その最終日に村井満チェアマン(59)宛に提出した、5年後の自分へ向けてしたためる手紙の内容を問われた久保が残した言葉だ。

 

年齢に関係なく、プロである以上は自らの決断に対する結果を求められる。久保の場合は、誰が見ても違いがわかる、ゴールに直結する圧巻のプレーとなる。ただ、途中から主戦場を移したJ3の舞台でも厳しいマークにあったこともあり、10試合に出場して3ゴールと突出した存在感を放っていたとは言い難い。

 ましてやマリノスは、久保がデビューした22日の天皇杯全日本サッカー選手権4回戦でベガルタ仙台に2‐3で敗れている。ベスト8に勝ち残っているYBCルヴァンカップにも、久保は規約により出場できない。残された公式戦の舞台、J1では熾烈な残留争いに巻き込まれつつある。

 順位こそ15位で残留圏に踏みとどまっているが、最下位のV・ファーレン長崎との勝ち点差はわずか2ポイントしかない。直近の6試合の結果は1勝5敗。この先に状況がさらに悪化するようであれば、アンジェ・ポステコグルー監督の下でポゼッションを重視する、攻撃的なスタイルへ転じているマリノスにおいても、久保がコンスタントに出場機会を得られる保証はない。

「自分が後半ちょっと疲れで失速してしまったので、そこは自分がもっと体力をつけて、試合に慣れていけばいいかなと思います。最初のチャンスでチームの勝利に貢献できなかったことはすごく悔しいですけど、前を向いて次のチャンスを待ちたい。気持ちを切り替えて、1試合でも多く勝ってマリノスのために戦えれば」

 ベガルタとの天皇杯で先発フル出場した久保は努めて前を向いた。自らの意思で決めた移籍である以上は、例え「茨の道」であっても、もちろん振り返ることもしない。唯一の21世紀生まれのJリーガーは強い気持ちを抱きながら、FCバルセロナで一時代を築いたレジェンド、MFアンドレス・イニエスタ(34)を擁するヴィッセル神戸と敵地で対峙する、26日の明治安田生命J1リーグ第24節でピッチに立つ自身の姿を思い描いている。


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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