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宮本恒靖新監督が「J2 降格危機」G大阪復活のために掲げた秘策

2018年08月05日 06時00分更新

文● 藤江直人(ダイヤモンド・オンライン

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宮本恒靖・ガンバ大阪新監督
宮本恒靖・ガンバ大阪新監督の素顔とは? 写真:アフロスポーツ

日本代表のキャプテンとして2度のワールドカップを戦ったレジェンド、宮本恒靖が愛してやまない古巣、ガンバ大阪の監督として新たなチャレンジに踏み出した。将来の日本代表監督を含めて、さまざまな可能性が期待された第2のサッカー人生で、指導者の道を歩み始めて4年目。若手選手たちを育てながら勝つガンバ大阪U-23監督から、J1で下位に低迷していたガンバの新指揮官へ緊急昇格したのが7月23日。英才教育を施してきた2年目のホープ、20歳の高宇洋(こう・たかひろ=市立船橋高校卒)をボランチに大抜擢するなど、早くも独自のカラーを前面に押し出しながら、J1残留へ向けて痺れる戦いでタクトを振るう41歳の青年監督の素顔と、胸中に抱くイズムに迫った。(文中一部敬称略)(ノンフィクションライター 藤江直人)

35歳でFIFAの「大学院」に入学
JFAのオファーを断り、古巣ガンバ大阪へ

 現役時代よりも長い第2のサッカー人生を、どのようにデザインしていくのか。ファンやサポーターを含めて、日本サッカー界に関わる誰もが宮本恒靖が進む道を注目していた。

 日本代表のキャプテンとして、2002年の日韓共催大会、2006年のドイツ大会とワールドカップを戦うこと2度。ガンバ大阪がJ1を制覇し、悲願の初タイトルを獲得した2005シーズンには守備の要として最終ラインに君臨した宮本が、17年間の現役生活に終止符を打ったのは2011年だった。

 ガンバからオーストリアのレッドブル・ザルツブルクをへて、2009シーズンからヴィッセル神戸で3年間プレー。スパイクを脱いだ後はコーチングライセンス取得を目指すとともに、2012年夏に国際サッカー連盟(FIFA)が運営する大学院「FIFAマスター」に第13期生として入学した。

 入学当時は35歳。指導者以外にも自らの可能性を広げていきたい、という熱き思いが、所属しているマネジメント事務所を介して発表されたリリースからも伝わってくる。

「将来に渡ってスポーツ界、サッカー界のさらなる発展に貢献していきたいという自身の夢を実現するためにも、勉強やグループワークに励み、学んだ知識、得た人脈を必ず役立てていきたい」

 スポーツに冠する組織論、歴史や哲学、法律などを約10ヵ月に渡って、イギリス、イタリア、そしてスイスにある3つの大学を回りながら学んだ。もともと堪能だった英語力はさらに磨かれ、2013年7月には晴れて修了。元プロサッカー選手の修了生は歴代でも2人目で、元Jリーガーとしてはもちろん初めてとなる快挙だった。

 修了生の多くはFIFAやヨーロッパサッカー連盟(UEFA)、国際オリンピック委員会(IOC)などのスポーツ機関、あるいはスポーツマーケティングの世界で活躍している。宮本自身も2014年1月、リーグ運営の円滑化を目指して意見を提言するJリーグの特任理事に就任している。

 さらには、同年6月から約1ヵ月間にわたってブラジルで開催されたワールドカップには、選手とは異なる立場で関わった。FIFAが指名した10人のテクニカルスタディーグループの1人として、ブラジル大会における技術や戦術、傾向などを分析し、試合ごとや大会全般のリポートを作成した。

 人脈をさらに広げた男は、次なる活躍の場をどのフィールドへ求めるのか。Jリーグだけでなく日本サッカー協会(JFA)からも届いたオファーに対して、丁重に断りを入れた宮本が選んだのは第一期生として入団したユースを含めて、15年間所属してきたガンバへの復帰だった。

 しかもトップチームのコーチングスタッフではなく、アカデミーのそれに就任することが2015年1月に発表された。ジュニアユースのコーチとして中学生年代の子どもたちを指導し、翌2016年にはユース、2017年にはガンバがJ3に参戦させているU-23チームの監督をそれぞれ務めた。

U-23監督として、ガンバの将来を担う
高卒ルーキー高江麗央、高宇洋をボランチに

「自分の経験という強みを、あのタイミングで生かせるものは何かと考えていました。選手をやめて間もないなかで伝えられることもたくさんあると思っていましたし、以前から指導者にもチャレンジしたかったので。もちろんFIFAマスターで学んだもの、見たものも大事にしながら、それだけにとらわれずに、いろいろな可能性を探りたいというのはありました」

 ガンバへ復帰した当時の決断をこう振り返ったこともある宮本だが、U-23監督として想像していなかった事態に直面している。本来ならばトップチームと連動して、2つのチーム間における選手の行き来を活発に行いながら23歳以下の若手を育て、トップチームへ輩出していく。

 同じくU-23チームをJ3へ参戦させているFC東京は、全員をトップチームに登録。同じメニューの練習を消化しながら、週末の公式戦を前にJ1組とJ3組に分かれるシステムを採っている。しかし、昨シーズンのガンバは長谷川健太監督(現FC東京監督)の方針もあり、トップチームとU-23チームの活動が完全に切り離された。

 練習時間も別々ならば、芝生の保護を理由に万博記念公園内の練習場も使用できず、J-GREEN堺など府内のグラウンドを転々と回らざるを得なかった。トップチームで出場機会がない若手選手が、U-23チームで武者修行するケースもほとんど訪れない。

 常に少人数での活動を強いられ、週末のJ3へ選手を揃えるのにも四苦八苦した。力不足を承知の上でユースの高校生を2種登録してやり繰りしたが、当然ながら厳しい戦いを強いられる。開幕からすべて無得点で5連敗を喫し、8月末からは8連敗とまさに泥沼にあえいだ。

 最終的には7勝5分け20敗で、17チーム中で16位に終わった。31得点はガイナーレ鳥取と並ぶリーグ最少で、65失点は同最多を数えた中で、最後の6試合を2勝4分けの結果で終えている。辛抱しながら起用し続けた若手たちが、少しずつ成長曲線を描き始めていたからだ。

 その象徴が高卒ルーキーのボランチコンビ、高江麗央(東福岡)と高宇洋(市立船橋)となる。高江は30試合、高は28試合で起用され、さらに高は昨夏からゲームキャプテンを任されて今シーズンに至っていた。

「直接的には何も言われていないんですけど、それでも試合前になると、自分のロッカーの前にキャプテンマークが置かれているんです」

 苦笑いを浮かべながらゲームキャプテンに関するやり取りを振り返った高は、高校時代に攻撃的MFからボランチへ転向。172cm、68kgと決して大きくはない体に豊富な運動量、球際での激しい攻防を厭わない闘争心、さらには猟犬を彷彿とさせるボール奪取術を搭載していた。

 ガンバで言えば2度のワールドカップに出場した今野泰幸、ハリルジャパンで居場所を築き上げつつあった井手口陽介の後継者となる存在に宮本監督の目には映ったのだろう。しかも、今野は今年1月に35歳になった大ベテランであり、海外志向が強かった井手口はこのオフにイングランド・チャンピオンシップ(2部相当)のリーズ・ユナイテッドへ新天地を求めている。

 近い将来、必ず高はガンバに必要な存在となる――。勝利と育成の二兎を追う仕事が求められるU-23チームにおいて、後者の比重をよりかけてきたのが高だった。昨シーズンから一転して快調なスタートを切った今春のU-23チームを率いながら、宮本監督はこんな言葉を残していた。

「やっぱり選手が成長している瞬間とか、チームが成長している瞬間や勝った瞬間には楽しさを感じられますよね。高や高江は去年からずっといい時間を過ごしていますし、高のような選手にはキャプテンとしての責任感をもってプレーしてほしいと思っているので」

青天の霹靂のオファーでトップチーム監督へ
マテウスを外し、秘蔵っ子の高を起用

 果たして、6勝5分け6敗と五分の星を残し、U-23チームを11位で踏ん張らせていた7月23日。宮本監督は青天の霹靂にも映るオファーを受ける。今シーズンからトップチームを率いていた、ブラジル人のレヴィー・クルピ監督を電撃的に解任したガンバの強化部は、後任としてガンバのレジェンドに白羽の矢を立てた。

 この時点でガンバは4勝3分け10敗と黒星が大きく先行。5月2日のベガルタ仙台戦を最後に5試合続けて白星から遠ざかり、順位も16位に低迷していた。タイミングが合えば、いつかはトップチームを率いて挑戦したい――。こんな思いを胸中に秘めていた宮本は、火中の栗を拾う形でオファーを受諾。すぐに高へ連絡を入れた。

 実は今月中旬までJ3が中断期間に入ることに伴い、オフを与えられた高は神奈川・川崎市内の実家へ帰省していた。宮本新監督から告げられた要件は「すぐに大阪へ戻って来い」だった。

 慌てて荷物を整えて、25日の午前中に大阪へUターン。新体制のもとで同日の夕方から始動したトップチームに合流した高は、全面非公開で行われた練習中ですぐに閃くものがあったという。曰く「スタメン組でプレーしたので、自分のなかで『そういうことか』と思いました」と。

 オファーを引き受けた時点での15得点はサガン鳥栖、名古屋グランパスと並ぶリーグ最少で、25失点は6番目に多い数字だった。今シーズンからはクルピ体制下でトップチームのコーチも兼任してきた新指揮官は、得点の少なさよりも失点の多さの方が気になっていた。

 原因は中盤における守備の緩さにあった。クルピ前監督は38歳の大ベテラン、遠藤保仁と組ませるボランチのファーストチョイスとして、ブラジルの名門サントスFCを率いていた時の教え子で、今シーズンの開幕後にフロントへ強く希望し、期限付き移籍で獲得させたマテウスを重用してきた。

 しかし、攻撃を得意とするマテウスは遠藤と役割が重なり、その分だけ中盤のフィルターが脆弱にななる。注目の初さい配を振るった、7月28日の鹿島アントラーズとの明治安田生命J1リーグ第18節。ホームのパナソニックスタジアム吹田のピッチへ、J1デビューとなる高を先発として送り出した宮本監督は、一方でマテウスをベンチ入りメンバーからも外している。

「前半戦の戦いを見ている中で、中盤の守備が改善点のひとつに挙げられると思っていました。高にはJ3でそういう役割を与えていましたし、実際にしっかりとしたパフォーマンスを発揮してくれた。守備面でボールをかすめ取るような動きを前半から見せてくれましたし、時間が進む中で後半には攻撃面でもよくなった。十分に期待に応えてくれたと思っています」

 いい守備があって、初めていい攻撃を繰り出すことができる――。現役時代はセンターバックやボランチとして、文字通り縁の下でチームを支えてきた指揮官が前面に押し出すイズムを、秘蔵っ子である高もそのパフォーマンスにしっかりと脈打たせている。

 アントラーズ戦では試合終了間際に足をつらせながらもフル出場し、高温多湿の過酷な条件下でチーム最多となる10.677kmを走破。1点ビハインドで迎えた後半25分には、こぼれ球に誰よりも早く反応。スライディングでかき出されたボールはMF倉田秋を介してDF米倉恒貴へ渡り、放たれたクロスが相手GKの頭上を越える幸運な形でゴールへ吸い込まれた。

「自分の目の前に、足を伸ばせば取れる感じでボールが来たので。ルーズボールにおける球際の激しさは自分の長所でもありますし、絶対に相手ボールにしちゃいけないと思いました」

 カップ戦を含めて、高がトップチームの公式戦でベンチ入りを果たしたのは初めてだった。緊張と興奮とが交錯する一戦で及第点のプレーを演じた20歳は、感謝の思いを込めて「ツネさん」と呼ぶ宮本監督から叩き込まれてきた泥臭いプレーにこそ、自分の存在価値が凝縮されていると胸を張る。

「ツネさんからは『守備の部分を期待している』と言われていたので。僕もこの半年間、トップチームの試合に出られずにスタンドから見ていた時に、もし自分が出ていたら『この場面では距離を詰める』とか『ここは守備を絞る』とイメージしてきました」

 レヴィー体制の下でトップチームとU-23チームが再融合した今シーズンは、若手選手の行き来も活発化した。同期の高江や食野亮太郎(ガンバ大阪ユース)、後輩の福田湧矢(東福岡)や中村敬斗(三菱養和SCユース)がJ1でデビューする一方で、マテウスの後塵を拝していた高にはなかなかチャンスが訪れなかった。

「この半年間は自分自身との戦いでした。メンタル的にきつい思いを、本当に何回もしてきたので」

 胸中に募らせてきた複雑な思いを成長への糧に変えてきた高に対して、アントラーズ戦のキックオフ直前に、宮本監督はそっと耳打ちしている。「これまでの悔しさを、しっかりとここで出してこい」と。モチベーターの一面も持ち合わせる指揮官は、アントラーズ戦で記録された今シーズンで3番目に多い2万8534人の観衆に「あれを見て奮起しない選手はいないと思う」と心を震わせている。

「サポーターも悔しい思いをしている中で、彼らに勝利を届けるんだというところを選手たちに訴えて試合に入りました。勝利を届けたかったですけれども、それに応えたいという選手たちの気持ちは十分に出ていたと思います」

宮本恒靖にとって今年か来年が、
第2のサッカー人生のターニングポイント

 アントラーズ戦に続き、敵地ヤマハスタジアムに乗り込んだ1日の明治安田生命J1リーグ第19節でもガンバは1‐1で引き分けた。後半アディショナルタイムに追いつかれる無念の展開の中で、宮本監督は高だけでなく高江も、遠藤に代わる先発として抜擢している。

「戦術的な落とし込みをする時間が少ないのは事実ですけれども、そこは上手くやりながら、相手によって選手起用も考えていきたい。ただ、チームとしてしっかりとした守備が必要だとは選手にも伝えています。(監督就任前まで)25失点していた中でそこは減らしたいので、引き続き求めていきたい」

 順位は16位と変わらず、勝ち点2ポイント差でサガン、さらに2ポイント差でグランパスが追ってくる。上を見れば3ポイント差の残留圏に横浜F・マリノス、V・ファーレン長崎、柏レイソルが並んでいる。現状のままでシーズンを終えれば今シーズンから導入されるJ1参入プレーオフ(仮称)に回り、17位以下ならば無条件でJ2へ降格する。

 12月1日の最終節まで続く熾烈な残留争いへ。宮本監督はU-23チーム時代に育ませた財産である若手の可能性を前面に押し出し、まずは守備を安定させながら、焦れずに戦っていく覚悟を見せる。冷静沈着でスマートに映る端正なマスクの内側に脈打つ情熱家の素顔を、高はこんな言葉で表現してくれたことがある。

「思っていたよりもすごく熱いというか、勝利に対して本当に貪欲で、スカウティングや試合前のビデオ分析、相手選手の特徴なども非常に細かく言ってくれる。通常の練習だけでなく、自主練習でも個々の課題についてしっかりと伝えてくれるんです」

 50歳になった時に何をしていると思うか、という質問を宮本にぶつけたことがある。U-23チームを率いて2シーズン目を迎えた直後の今年3月のこと。日本代表監督だけでなく、GMに代表される経営者、あるいは日本サッカー界の中枢に関わっていくのでは、とさまざまな期待をかけられる男から返ってきた言葉は「今年とか来年に何をしているかによって、決まってくると思う」だった。

 要は今年か来年が、第2のサッカー人生のターニングポイントになるということ。育てながら勝つU-23チームの監督から、結果を出すことへのプレッシャーの次元がまったく異なる「西の横綱」のそれへ図らずもポジションが変わった中で、41歳の青年指揮官は痺れるような戦いの中で未来へつがなるタクトを振るい続ける。(文中一部敬称略)


※本記事はダイヤモンド・オンラインからの転載です。転載元はこちら

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